赤外線フィルムを使っている。
その赤外線、人間の眼には見えない。
見えない光を相手に、結果をパッと想像して 撮れるものではない。
「いいと思ったら、バッと撮れ」と言われても、
「理屈は抜き、直感で撮れ」と言われても、
途方にくれてしまう。
見えない光を見るために、
理論/理屈を知り、知性で判断し、経験を積んで補正する。
それが、赤外線フィルムを使った撮影法。
可視光を使ったフィルムカメラも、原理的には同じこと。
条件が整っていたら、まぐれでも感動的な写真は撮れる。
しかし、『十万分の一の偶然』は続くものではない。
だからこそ、理屈を考え、工夫し撮ってみる。
いっぱい失敗する。
それでもTry&Errorし、写真を撮り続けるのは どうしてだろう?
それをすっかり忘れている。
カメラは新しい理論、最新の技術をどんどん取り入れ発展してきた。
シャッターを押せば、なんらかの画像を記録できるようになった。
理論を知らなくても、また撮る技術が稚拙でも、大部分はカメラ任せでOK、
「写真は、理屈はぬき。直感でいいとおもったら、シャッターを押さないと・・・・」
と言いたい気持ちは理解できるけど、その底に思い至る知性・感性は必要だろう。

なにか大事なこと忘れていやしないか?という危惧を感じている。
基本に立ち返り、写真の底を見極めたい。
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午後5時ごろ、御茶ノ水橋の上にいた。
道路を挟んで順天堂医科大学と医科歯科大学があり、人通りは多い。
神田川の堀を見下ろすと、斜光が木々の間に射し込んでいた。
梅雨空の一瞬の晴れ間。
橋の欄干に肘を当て、シャッターを切っていた。
今、見えない光を相手に、フィルムで写真を撮ることに面白さを感じている。
初めてカメラ(スタート・カメラ)を持ち、
撮った小学生の頃の「撮れるのだぁ」という驚き、
撮れたときの嬉しさを思い出している。
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- 2017/06/29(木) 12:17:49|
- 都会の景観 Tokyo
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