戦前の記憶を持っている人なら、星製薬という大きな製薬会社が、西五反田にあったことを知っているだろう。
三共製薬は、目黒川沿いの大崎の地にあり、両社は距離的にそれほど離れていない。
しかし、三共製薬は政府の肝いりで作られたようなもの。
一方、星製薬は、企業家精神に富んだ星一の作った会社。
東北の出身で、仙台出身の後藤 新平とは気が合ったらしい。
しかし、明治政府の高官は、薩長出身者が多く、
後藤新平の派閥は、頭を抑えられていたのだろう。
星一も、政府役人(内務省)との確執から、苦境に立たされていく。
戦前は東洋一の製薬会社と言われ、三共製薬より大きかったが、
次第に経営は傾いていく。(内務官僚に潰されたようなものだろう。)
今その工場跡は、TOC(東京卸売りセンター)の大きなビルになっている。
当時の面影はほとんど残していないが、
社内教育用に作られた星薬業講習会は、今、星薬科大学となり、往時の記憶を今にとどめている。
創業者の息子は、SF作家として著名な星新一。
星薬大の近くに住んでいたのだろう。
戸越銀座の通りを歩いている姿や、戸越銀座の本屋で、何度か見かけたことがあると、妻は言っていた。
「大きな人だった。」 妻は小柄なので・・・・どのくらい大きかったのか、定かではない。
もう20年以上も前の話である。(星新一の晩年の姿を目撃したことになる。)

星薬科大学の時計台。やや逆光気味の光線を捉えた。暗い部分、黒く潰れない。それがよかったか、悪かったか、意見の分かれるところだろう。

紫の紫陽花が咲いていた。
紫陽花の後ろには、黄色の小さな花を咲かせた熱帯植物(サボテン、種類は不明)があったが、
全て白く写り、ちょっと異様な感じになる。

星薬科大の敷地を離れ道路を渡り、長慶寺の参道に入る(裏道か)、桐ヶ谷の斎場は、近い。


太陽を背にして撮影したので、空はもっと暗く落ち、雲は白く輝くと期待したが、それほどもない。
太陽が天頂に近い昼ごろの空では、まだ赤外線が残っているのかも。
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官邸(政権)と実効部隊(内務省)が結びつくと、
自由な産業活動も、自由であるべき人権も歪められてしまう。
それを防止する仕組みが三権分立の精神。
精神は移ろいやすい。
常に、再確認して、そうならないよう監視しない限り、
民主主義の精神は弱まっていく、気づかないうちに。、
やがて三権分立は機能不全となるだろう。
星薬科大学だけでも残ってくれたことは、重要だろう。
政権と官憲が癒着するとどうなるのか、考えるきっかけとなると思う。
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- 2017/06/25(日) 12:15:58|
- 散歩
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