桜を撮るのはもう厭きた。
今年はいいだろうと思いながら、花が咲くと桜を撮っている。
すぐ散ってしまう・・・と思うと、いてもたってもいられなくなる。
脅迫されているのか??不思議な花です。
今年は3月末に兄が緊急入院、
撮影する場所は、兄が入院した旗の台の病院近くか、
自宅近くの戸越公園に限られてしまった。
桜の季節も終わり、ネガを整理する。
変わり映えしない、ありきたり写真ばかり。
進歩ないなぁと思いながら、それでも、
今年の桜の「落ち穂」拾いをしてみました。
撮影したのは戸越公園。
毎年撮っている馴染の桜。



28mm、105mm、50mmのレンズで撮影。
50mmレンズ(Jupiter-3)で撮ったものが、画質がトロンとしていて面白い。
レンズの味?か、たまたま光線の具合が良かったからか?
フィルムで撮ると、予期せぬ階調になることがある。
職人芸/陶芸作家の「焼き物」に似る? そんな大したものではありませんが。




レンズを替えたり、フィルターを使ったり、あるいはストロボを照射したり。
撮影するアングル、切り取りのフィレーミングを変えたりしても、
それほど多くの選択肢があるわけでもない。
名前を伏せて、一枚の桜の写真を見せたら、
誰が撮ったか判定しようにも、それは不可能。
撮り方で個性を出そうとしても、
良ければ、すぐに真似られ、誰が撮たかわからなくなる。
しかし、同じ桜の樹を、複数の画家に描いてもらったら、
それぞれが 違う桜の絵を描くだろう。
(タッチや色の使い方、その人の個性で、簡単には真似できない)
カメラの機能が進歩しすぎた。
一枚の写真に写真家の個性を表出することは、困難だろう。
そこが決定的に違うとおもう。
写真家は、デジタルカメラを手にして職人の世界に留まり、
芸術の世界には入り込めないと思う。
写真を芸術にと志向するなら、
写真を素材に、合成、モンタージュ、コンポジットし、写真を作る方向へ進むべきと思う。
デジタルカメラの機能を最大限利用し、画像を「作り」、
最新のフォトショップやライトルームを使い、いままででは不可能だった画像をつくる。
デジタルによって、その道が 開かれたことは確か。
写真は、何をやっても(加工しても)写真だろう。
そう思い切らないと、写真表現は萎縮/縮小し、単なる手慰みの遊びになってしまう。
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- 2017/04/23(日) 12:32:39|
- 桜
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