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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

同じような鴨を狙って/撮っていますが・・・フィルムの可能性を探っています。

19世紀末 少年スタイケンは 母親にコダックのカメラを買ってもらう。
50枚撮りだったらしい。撮り終わるとコダックへ郵送する。
すると現像し、プリントして返してくれる。
有名なキャッチコピー
「貴方はボタンを押すだけ、後はコダックにお任せ」
で知られるボックスカメラである。

しかし、クリアーと評価され返送された写真は一枚だけ。
あとは 露光が過度か、あるいは不足して、印画紙に焼き付けられない。
父親は「一枚きりか」と嘆息し、
母は「一枚でも、素敵に撮れている」と励ます。
スタイケンは 写真に魅了される。

撮れているということに感動したのだろう。
アメリカの田舎では、写真の情報は乏しいが、
家の納戸に暗室を作り、見よう見まねで、フィルムの現像をするようになる。

写真を撮るという行為に惹かれたのは何だったのだろう?と思う。
スタイケンと、同じようなものかも。
あ面白いと思った光景を そのまま記録してくれる。
小学生のころ買ってもらったスタートカメラ。
50枚撮って1枚ということはなかった。
祖父から、明るい外でないと撮れないよと 注意されていた。
写真屋から返ってくる写真に、やったーと思った。

高校になると、化学実験室の片隅を陣取り、
暗く覆い、実験と称し 
ブローニーフィルム(マミヤ6で撮影したもの)を現像し、
印画紙に密着で焼き付けてみた。
沢山の失敗と、一枚の成功。
赤いランプの下、
バットの中で映像が浮かび上がってくるのは・・・やはり感動ものだった。
これが 写真だよなぁと思う。

一枚の写真を手にしたとき、
この写真を作るのに、
カメラと人間 どのような比率で関与しているだろうとおもう。

写真が湿式で撮影された当時、
レンズはレンズメーカーから購入するも、
カメラ本体は、家具職人(指物師)に作ってもらう。
必要な薬品、資材を買い求め、
コロジオン液を調整し、硝子板に塗布する。
感光剤の組成は、カメラを操作する人に任され、秘密のノウハウとなる。
塗布のうまい下手も 撮影者の責任。
乾かないうちにカメラにセットしてシャッターを切り、
直ちに現像する。
できたネガ硝子板は、鶏卵紙に密着させ、焼き付け、現像、定着、水洗、乾燥・・・・
一枚の写真を得るための寄与率は、撮影者(人間)が主、カメラは従だった。

それが乾板の発明により工場生産され、更にコダックがフィルムを販売するようになる。
映画の35mmフィルムを利用したライカカメラが発明され市販されると、
一気に 写真は使われ始める。
この辺りで 機械(カメラとフィルム)と人間の寄与率は 50:50くらいになったのではないだろうか。

1960年代の後半からカメラの電子化が始まる。
露光の自動化(AE)は、決定的。
誰もが写真を撮れる時代に入る。
ベトナム戦争、学園紛争、ヒッピーの群れ、
大量消費時代に突入し、映像、コマーシャルの需要は拡大する。
一眼レフを手に入れ、
「俺は、カメラマン」と宣言すれば、カメラマンになれる時代が出現する。
一枚の写真の人間の寄与率は下がり20%くらいだろう。カメラが主の時代に入る。
一時代前なら、訓練を積んだ手練れのカメラマンしか撮れなかった写真が、
カメラの高性能化で、駆け出しの新人でも可能になる。

現在は デジタルカメラの時代。
人間の寄与率は もっと低下しているだろう。
5%くらいではないだろうか?
撮影のほとんど全ては、デジタルカメラのほうで処理してくれる。
近い将来 デジタルカメラは 更にAI化され、
人工頭脳が カメラマンの意志・意向を察知し、自動で撮影をするようになるだろう。
そのとき 人間の寄与率は1%以下なのだろうなぁ・・・と想像している。

人間と機械(カメラ)が50:50の純機械式フィルムカメラが、
小生の性に合っているようです。
負けもしないが、勝ちもできない、このバランスがいい。

いま、(Ⅳo)現像をものにしようと 練習中。
露光、現像時間、現像の仕方で 同じフィルム、同じ現像液(Ⅳo)を使っても、トーンの調子は、変わります。
撮影者の裁量に任せてもらえる部分が多いのは、面白い。
鴨909-1-4
鴨909-1-6
鴨909-4-3
鴨909-6-28
これ、写真で撮ったら どう写るだろう?
想像し、工夫し、撮影してみる。
そのわくわく感が原点だった。
カメラにお任せで撮れたら このわくわく感は失せてしまうだろう。



 

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  1. 2016/11/21(月) 23:59:55|
  2. 写真の技法
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Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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