どうしても撮っておかなければという使命感があるわけでもない。
テーマは希薄、なんとなく撮っているだけなので、
10年目に突入すると、マンネリになり、スランプ状態に陥っている。
先月の初め、「呼吸するように撮る」つもりで散歩したとき、
(持って出たものの)ほとんど使わなかったフィルムカメラに写っていた写真。

露光は空に合わせて決めた。
フィルターを持っていけばよかったと思う。
それでも、今のフィルムはパンクロ・タイプ、少な目の露光にすれば、空の調子を落とすことができる。
50年以上前になるが、
如何に豊かなグラデエーションを印画紙上に焼き付けることができるかが
モノトーン写真の美しさだと思っていた。
今は、それほど気にしなくなったが、
それでも 豊かなグラデーションのネガを見ると、いいなぁと思ってしまう。

手前の葉に気をとられ水平線が大きく傾いてしまった。
不安、不気味さ・・・・の演出をしようと、全体を強く焼き付けた。
デジタルHCB&Wモードの写真のほうが、すっきりとして見やすい。
見やすいけど、心にピンとこない。
ピンと来ないのは、新しい表現への怖れと拒否する心があるからだと思う。
デジタル画像を、焼き込もうとして、
PC上でスライドバーを操作するが、グラデーションに破堤が出る。
デジタルデータ 意外と粘りがない。
ここまで焼きこむことはできないだろうと・・・嘯く。
説明の得意なデジタル、情感を表現したいならフィルムと、勝手な思い込みをしている。
この思い込み、そのうちステレオタイプ的な見方と批判され、馬鹿にされるのだろうなぁ。
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- 2016/08/04(木) 10:18:40|
- 都会の景観 Tokyo
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