雅叙園近くの目黒川沿いに自動車がとまっていた。
桜の花がそのウインドウに映っている。
面白いと思った。
桜より、自動車そのものの存在感に注目していた。
どう撮れるか想像したが・・・・イメージできない。
どう撮れるか判らないが、何かある。
面白い・・・そんな「わくわく」感を感じていた。

単に面白いと思って撮ったまで。
小生の「心象」風景ではありません。
自動車のボディーに、「もの」としての存在感を感じていた。

見方、撮り方によっては、こんなにグロテスクにも撮ることができる。
目の前の「もの」に何かを感じとり、どのように切り取ったかが写真の基本だろう。
撮影テクニックはそれを支えるものに過ぎない。
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今まで感じたことない、意外感のある自動車を感じとれればいい。
それが撮れているか否かは、
その写真を見た人が、意外感を感じ、面白いと思い、
経験を共有できたかどうかで決まる。
撮る人と、それを見る人との、知性・感性・見識のせめぎ合い。
もし、共有できなければ、ありきたりの写真、独りよがりの写真とされるだろう。
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使い古されたような写真が、写真コンクールで入賞する。
選者は、有名なカメラマンらしい。
選ぶということは、選者の見識が試されていることを 気にしていないのか、と思う。
まぁ、応募された写真が、似たり寄ったりだから、致し方ないか。
その中から選ぶのも大変だろうと思う。
そこで、選者のコメントを読む。
見識を感じない。
それ以来、この写真家の作品が、薄っぺらく見えてしょうがない。
見ないようにしている。
写真は、撮る人だけでなく、見る人の見識も試されていること 肝に留めるべき。
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- 2016/04/13(水) 08:33:41|
- 桜
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