散歩しようと家を出ると、冬の明るい日差しが、植え込みの八つ手の葉を照らしていた。
どう写るだろうと、シャッターを押していた。2日前のことである。

現像し、ネガをスキャナーで取り込む。
濃度調整、トーンカーブをいじるが、出てくる画像は、・・・・・思い描くヤツデではない。
こんなのとは違う。
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八つ手には、変な思い入れがある。
記憶に残るヤツデは、家の中庭に植えられていた。
幼児にとってそれは大きな樹、かくれんぼには、絶好の場所。
大きな手のひらの葉の下に潜り込んでいた。
日陰のじめじめした空間が広がっている。
母親の探す声がする。見つけてくれない。
思わず幹をゆすっていた。
その瞬間、花粉が落ちたのかもしれない。皮膚に赤い斑点がでる。
「八つ手の樹の下にいたら、バッと蕁麻疹がでるのだもの・・・驚いてしまった。」
後年、母がそう話していた。蕁麻疹が出たのは覚えていないが・・・泣いたことは覚えている。
ヤツデの葉を撮影しようする人はすくないだろう。
丸いボール状の花をつける11月のころ、あるいは新芽が出る春の季節なら、カメラを向ける気にはなるが、
地味な写真であることには変わりはない。
しかし、小生には、この記憶が残っている。
八つ手の葉の下に広がる 暗くじめじめした空間は、邪悪な世界への入り口につながっている・・・・
そんな感覚が、心の底に沈んでいるのかもしれない。

2年ほど前、同じヤツデをデジカメで撮影している。
モードは、HCB&W ハイコントラスト白黒モード。
順光で撮ってみた。液晶モニターですぐに確認。
違うなぁ。
あの時は、葉の裏から見たはずと、八つ手の葉の裏側のもぐりこみ、逆光で撮影。

こうでもない。
その時は、これであきらめていた。

去年、洗足池に鯉を撮りに行ったとき、見つけた八つ手の樹。
思わず、シャッターを切っていた。
これでもない。
やはり 幼児に戻らないと撮れないものかも・・・・。
人生は不可逆反応、戻れない。
とは思え、鬱蒼と茂る「八つ手」を見たら、今後もシャッターを切っているでしょう。
あの記憶の八つ手を見たくて。
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- 2016/01/12(火) 12:21:45|
- 八つ手
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