洗濯ものを干していた妻が、物干しから降りてきて、
一言、「空に秋の鱗雲が出ている」という。
秋は、密かに忍び寄ってきた。
今年の立秋は8月8日、暦の上では既に秋。
・・・・・見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる。
カメラを、片手に 散歩に出ていた。
秋を最初に感じるのは、高原の空だろう。
目指すは、白金の自然教育園。

都会の真ん中にあるが、訪れる人は多くない。園内に一歩入れば、街の喧騒は、聞こえてこない。

確かに秋の鰯雲・・・しかし、やはり暑い。
残念ながら、「風の音に驚く」鋭い感性を 小生は持ち合わせていない。
池の近くの東屋で、しばし休憩し、耳を澄ませていた。
------------------------------------------
自然に神を見た日本人は、争うごとを好まなかったと思う。
野に出て、車座になり、お茶をすすり、花を愛で、環になって、歌い、踊る。
霊魂は言葉となり、言葉は研ぎ澄まされていく。
「秋立つ」と聞いただけで、敏感に反応し、
様々な歌となり、俳句となり、日本人の感性を豊かにしてきたと思う。
「秋立つや一巻の書の読み残し」
未完に終わった「明暗」執筆中の作という。
死期が近いことを感じていたのだろうか?
「秋立つ」という清々しい言葉が 「読み残しの一巻の書」を優しく包む。
読み残しがあっても悔いが残るわけではない。充分満足しているという心境だったのだろうか?
7月末 図書館から一冊の本を借りてきている。
まだ、読み終わらない。夏はまだ終わらない、人生の晩秋に今いるとしても・・・・
家に帰って、読み終えねば・・・
東屋を後にしていた。
スポンサーサイト
- 2015/08/12(水) 22:07:37|
- 散歩
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0