「平羅の今昔」と 少しオーバーな表現だが、町を歩き この約10年の違いを感じていた。
2006年2月末に撮影した、平羅の市場の写真が出てきた。

以前 登楼近くにあった市場は閉鎖され、そこから北に約1km離れた場所に、自然発生的に市場ができていた。

リンゴを買うのは、小生の通訳。小生に同行した元商社マンから貿易の実務を習い、今では友人の会社で片腕として働いている。
杭州の友を、中国辺境の地 寧夏回教自治区に引きずり込んだのは、小生。少々、悪いことしたかなぁという思いも交錯していた。もし、引きずりこまなかったら、杭州の方で安定したサラリーマン生活ができていたろう。
でも、彼の作った会社を見学し、ようやく撒いた種が、芽を出したようにも感じている。

南で仕入れた安っぽい衣服を並べていた。

肉と言えば 羊。 食べなれているので、調理法が沢山ある。確かにおいしい。 季節が暖かくなると、肉は大きな布袋に入れられ吊るされている。(蠅対策) 客の求めに応じ 切って売っていた。

白い帽子は、回族の証。
2015年 訪れると市場は消えていた。
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今回撮影した 平羅の人たち。

10年前はまだ人民服の名残があったが、いまは、東京の街を歩いているような服装になっている。

果物は豊、バナナ以外は 近郊の農家で作ったものだろう。

焼いたトウモロコシを売っていた。残念ながら醤油の付け焼きはない。

面白いことに、電動の3輪トラックにナンバープレートはついていない。。
エンジンがついている乗り物に、ナンバープレートがつくのが決まりらしい。
中国では電動3輪車まで、どうやら無免許で乗れるようだ。事故を起こしても、逃げたら、追いようがないが、それほどの速度も出ないのだろう。1回の充電で40km位しか走れない。近郊農家の運搬手段、一家に一台が実現しているようだ。
規制緩和が 進んでいる。

回族といっても混血が進んでいるのか、ほとんど中国人と顔立ちは同じ。たまにウイグル族特有の顔立ちの人を見る。そして、その中に、ごくまれだが、すごい美形を見る。スナップ写真を撮ろうとするが・・・つい見とれて、そのチャンスを失っている。
いつか必ずとは思え、果たしてもう一度 寧夏の地を踏むことあるだろうか。
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- 2015/07/29(水) 07:55:20|
- 遥かなる寧夏
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