今まではA型レンズ、これでは解像性が甘いので、現在改良中。
B型レンズを考案し、テスト中。
A、B、C、D・・・アルファベットは昔の伝統に従い、レンズの枚数を表す。

100円ショップで購入した虫眼鏡を流用しています。
硝子のレンズではなく、プラスチックレンズになっていました。
一番前のレンズは、ガラス製にしたいのですが、致し方なし。
擦り傷ができやすいでしょう。
ピントを合わせる仕組みが、まだ貧弱で、レンズ性能を発揮できていないようです。
いま、この辺りの仕組みの改良をしています。
凹レンズが欲しいのですが・・・戸越の里では、手に入りません。
ニエプスが使用したカメラ・オブスキュラでは、どんなレンズを使っていたのだろう?
写真(Photograph)が誕生したころに思いを馳せる。
写真は人間の英知の結晶だと思う。
目の前ある光を、どう記録するかに人間の英知を集中させ、Photographが誕生する。
そして、写真は常に、その時の最先端技術を取り込んで 発展してきた。
それは、より正確に早く記録したいためだろう。
ある一瞬を捕まえる。
あるいは、身の回りの美しいもの、風景をみて感動したら記録する。
それが 写真。それ以上でも、それ以下でもない。
今 部屋の壁にMizuuho銀行のカレンダーが掛かっている。逆さ富士の写真だ。プロが撮ったものだろう。
しかし、誰が撮ったものか不明。
もし、これが画家の描いたものであれば、作者名が必ず記されている。
写真は現実のコピー、たとえうまく撮れていても、やがて撮ったカメラマンの名前は記憶から消えていく。
それで、満足しているのに・・・
写真は「芸術だ」などと言い出すと・・・なんとなく胡散臭くなってくる。
この写真は「私の気持ちを あらわしたもの」
「僕の生き様を、撮りました。」
「現実を撮ることで、世界と自分の関係を見出し、心の反映を写す」
などというコメントを見ると、違和感を覚える。
新興宗教の勧誘??
カメラに、そのような機能が備わっていると思うなら、ニエプスの時代に戻り、初期の写真術(テクニック)を試してみたらいいと思うのだが・・・
写真には、撮影者の前にあった現実と、その眼前の何に興味をもち、どういうテクニックで撮影したかということが写っているだけ。
サッカーの試合で決勝点を挙げた瞬間の写真が新聞の紙面を飾ったとしても、撮影した人の生き様が撮れているわけでも、世界と自分の関係を見出し、(カメラマンの)心の反映を表現しているわけでもない。しかし、決勝点を挙げた、高揚感は、見ている人の心の中で共用されている。写真は記録だから。
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- 2015/06/13(土) 11:57:05|
- 写真の技法
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