昭和30年代 土門拳はカメラ雑誌のなかで
「(アマチュアが)無理して高級カメラを買い、写真を撮ることない。どんなカメラであれ、撮ることのほうが重要だ」
などという発言をしていた。
しかし、「どうだいいだろう」と自慢したい道楽者のアマチュアは、見栄でもキャノンやニコンの高級カメラを購入していた。飛び切りの金持ちはライカだろう。
分かる気がする。昭和30年代前半まで、レンズの性能差は明らかだった。
SAMOCA35を使ってみて、そうだったのだろうなぁ・・・と納得する。
母の兄は戦前、田舎で写真館を経営していた。出征し帰らぬ人となったが、兄の影響で母は写真に詳しかった。
祖父は戦前からのアマチュアカメラ好き。
サモカ35の発売の年(昭和27年)、祖父は、ようやく写真が撮れる時代に戻ったと、Mamiya-6を購入している。(Mamiya-6 良いカメラです。D.Zuikko 75mmF:3.5のレンズも優秀、今使っても、現在のデジカメに負けない写真を撮ることができると・・・時々 使っています。)
カメラはレンズ・・・それが二人の共通認識だった。

今回 サモカ35で撮影した柳の木。左の高架橋は東海道新幹線で、少し進むと東急大井町線、下神明駅の高架橋と交差します。解像度、コントラストともに不足。写真に締りがありません。

これは、2ヶ月ほど前、ニコンSP Nikkor 50mm F:2のレンズで同じ場所を撮影したもの。 ツアイスのf:2ゾナーをコピーしたようなレンズです。 レンズの性能差は歴然。
写真を見てもらう/人様に見せる出発点に立ちたいなら・・・・高級カメラを手にしないと、という気にさせてくれます。
サモカ35を使ったのも、Nikonを使ったのも、同じ人間です。写真の腕が同じなら、高級カメラで撮ったほうが評価は高い。
写真は、カメラが重要、「俺が撮ったのだから・・・」と胸を張って見栄を切るようなものではないでしょう。
カメラが撮ってくれたのだから。
AEになり、オートフォーカスになり、モータードライブが当たり前になり・・・
そして、デジカメになりと、急激にカメラの自動化は進んできました。
金さえあれば、そして、高級デジカメを手にする気になれば、写真を簡単に撮ることができる。
でも・・・あまりによく写るので・・・すぐに飽きてしまうのでは?
簡単にできることに、人は飽きやすいものです。
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数万円以下のデジカメでも、綺麗な写真を撮ることができるようになっている。
「カメラなら何でもいい、撮ることだ」という 土門拳の発言。 今、力を持ち始めているのでは・・・
撮る意義を持続させることができる新人が現れれば、今までと違った新しい写真できてくるでしょう。
そんな気配を感じています。
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- 2015/05/26(火) 09:44:38|
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