ANAのカレンダーを見ていたら、4月は吉野の桜だった。
綺麗に撮れている、さすが航空会社のカレンダーだと見とれる。
いいなぁ、行ってみたいと思う。
誰が撮ったのだろう? 作者を探すが、カメラマンの名前は一切書かれていない。
そんな、姿を見て、妻が、
「綺麗な場所に行って、機械で作るのだもの、誰が撮っても同じ、綺麗写真になる。」と辛辣なことを云う。
隣の部屋の壁には、銀行のカレンダーが掛けてあった。
絵画の複製だった。
そこには下に小さく画家の名前が記されていた。
この違いなのだなぁと思う。
その人しか撮れない写真でなければ、作者名は不問(関係ない)となる。
たとえ美しい写真でも・・・・誰が撮っても同じとみなされたら、軽んじられる。
レッスン・プロより、トーナメント・プロのほうが、尊敬されるよなぁ・・・と思う。
プロでなくても、できれば美しいだけの写真より、今までになかった表現で写真を撮ってみたいと思う。
菜の花を撮っていた。

撮っては液晶画面で出来栄えを確認する。背景とのバランス、発色、ピント、構図・・・簡単に作り込んでいける。
「機械で撮るのだもの、誰が撮っても同じ」と妻に言われてしまいそうだ。
ものの5分のしないうちに、撮影は完了した。
それなりに撮れているが、誰もが撮りそうな写真でもある。新しい視点はない。
不愉快な写真ではないが、心にも残らないだろう。

これは、汚い写真。不気味な感じがする。不愉快になる人も出てくるだろう。
菜の花の群生を撮影。
カラー・デジタルで撮ったら、黄色いお花畑の「綺麗」な写真を撮ることもできよう。
でも、アマチュアで撮っているのだ、誰に気兼ねする?
レッスンプロになれるはずもない。
ならば、綺麗な写真より、物議を醸すような写真を撮っていったほうが面白かろうと、思っている。
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- 2015/04/17(金) 22:56:31|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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