お花泥棒・・・昔は優雅な言葉だなぁと思っていたが、今はあまり使われない。
言葉は時代の精神を含んでいく。それが、時代とともに変遷していくのだろう。
昔は、「泥棒」とか「狩り」という言葉を日常でも沢山使い世相を語っていた。それだけ貧しい時代だったと思う。
花泥棒・・・・「泥棒は、泥棒でも、花(桜)か、許してやれよ、優雅じゃないか」、とその表現を受け入れていた。
一年一回の花見を楽しみ、酔ったのか、土手の桜の枝を折り、肩に乗せて歩く着流しの若い衆の姿を思い浮かべる。
今は、花の枝を折ることはできない。
せめて・・・と思い、デジタルカメラをぶら下げて、ぶらぶらと、花(桜)を求めて、散歩する。
天気は快晴。やはり桜の魅力には勝てない。珍しく午前中に散歩した。

戸越公園の広場にはゲートボールを楽しむ同士の一団がいた。
退職し働かなくなると子供の時代に戻る。
毎日が日曜の身、子供時代より自由に遊べるようになった。
ただし、小遣いをくれる親はいなくなったけど。

待機児童の問題がでている。保育園や幼稚園の数が足りない。新しく幼稚園を作ろうにも広い運動場のスペースを確保できない。新しくできた認可保育園の児童は、先生に連れられて公園を散歩する。しかし、ぞろぞろと列を作って行進するだけ・・・自由に遊ばせてあげたいが・・・と自由を享受している老人は思ってしまう。

午後、昼食を済ませると、すぐにカメラを片手に、大崎の目黒川を目指す。
IT関係が多いのか、近くのレストラン(食堂)に入ると、外国語を耳にする。
昼休み、ジョギングする若い人の姿を見るようにもなった。

タワーマンションの住人だろうか、子供(赤子)と記念撮影。

まだ、6,7分咲き、花は散っていない。
江戸時代の歌 都都逸には
咲いた桜になぜ駒つなぐ、駒が勇めば花が散る
と歌っていた。
馬にゆすられ散る花弁の美しさと同時にそれを見つめる細やかな心も見事に表現していると思う。
船頭に、船主に、船を運航する会社に、滅びの美しさを感じる心があれば・・・
花筏の頃は、自主規制して、昔ながらの手漕ぎの屋形船にして欲しいなぁ・・・と思う。
しかし、経済活動を優先するのが現代なのだろう。
法律に則って運用するから問題ない。それが言い分。
「お金もうけして、悪いのですか?」村上某の記者会見の言葉が、今も、心に残っている。
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- 2015/04/02(木) 10:58:49|
- 桜
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