白金の畠山記念館で冬季展が行われているという。妻に勧められ同行した。
場所は港区だが道一つ隔てて品川区、小生の散歩コースに入っている。
妻は、昔一度行ったことあるようだが、方向音痴。小生の助けが必要と思ったのだろう。

韓国風の石像・・・おそらく韓国から持ってきたものだろう。レプリカ?次回、再び訪れたとき、館の人に聞いてみよう。

畠山即翁は茶人。記念館の敷地内には何軒かの庵がある。これは翠庵。
一時代前の実業家は、趣味人でもある人が多い。
今はその収蔵品を中心に美術館になっている。
そういえば、原美術館も散歩コース内にある・・・・電車を利用すれば、五島美術館、出光美術館、ブリヂストン美術館、サントリー美術館などにも簡単に行くことができる。しかし、こういう企業家は、もう出てこないのだろうなぁ。
時代が違う。今の企業人は金儲けに没頭、趣味に生きることはない。書画骨董のたぐいが、投資の対象になれば別なのだろうが・・・

開館50周年記念とかで、琳派のコレクションを中心に展示されていた。
酒井抱一の絵を見ていると、日本人の美意識に琳派の濃厚な影響を感じる。
西洋の古典絵画に、風景画は少ない。まして、花や昆虫を中心/テーマに描いた作品はない。
掛け軸のフレームも面白い。横長の蒔絵もある。クーデルカのフレーミングを先取りしている。
金箔・銀箔を散らした紋様見ると、クリムトはこの技法をパックったのでないか、など根拠ないでたらめな感想を持つ。
西洋絵画は透視図法で絵画を組み立てていた。現実を正確に描くことが重要だった。
日本の絵は、屏風、襖絵が中心、それに掛け軸の絵が加わるが、題材は主に風景画が多い。故事にまつわる絵も、風景の中の人として描かれ、遠近感は、透視図法で描かれているわけではない。眼前の現実を見て描くというより、風景と描く人が一体となり、その境地を描いているという 印象を受ける。
酒井抱一の掛け軸が3本並んでいた。(総称し月波草花図と呼ぶらしい)
これなんだと思う。今の日本人が、写真を撮ると、こういうフレーミングになる。
野花蟷螂図 薄(ススキ)の葉のに蟷螂(カマキリ)がのり、茎が大胆に画面を切る。地面には鮮やかな紫の花(おそらく桔梗 秋の花だ)を添えている。季節を感じる細やかな心情が伝わってくる。
波上明月図 波が大きく描かれ、その上に明るい月を大きく描いている、波の筆の勢いがすごい。波は白く、月はやや黄を帯び、遠近感を出している。自然と一体化した境地を描いているのだろう。
水草蜻蛉図 水草は菖蒲の花のようだ。紫の色が鮮やか褪色はわずか。高価な顔料を使っているのだろう。葉の先端に蜻蛉(トンボ)が描かれている。これが、日本人の美意識なのだろう。わけもなく納得・・・いいなぁと見とれる。
定年退職した老人が趣味のないことに気づく。あるいは、子供を育て上げた母親が、自分の自由になる時間を持ち、趣味を探すようになる。
カメラがデジタルになり、撮影のハードルが下がる。
フィルム代を気にせず撮影できるし、すぐに綺麗な写真が撮れるから趣味として始め易い。。
いざとるとなると、無意識に琳派の構図をまねている。これは、刷り込まれているのだろう。
花を撮り、風景を撮る。花に感情移入し、自分の気持ちを託した気になり満足する。

できれば琳派の流れに逆らいたいが、これも琳派風かなぁ・・・
畠山記念館から、妻が迷子にならないよう、五反田駅の見えるところまで送り、散歩を続けた。池田山に登り(高低差せいぜい30m位か)美智子妃殿下の生家跡にできた「ねむの木公園」へ行く。

梅の樹が一本、ちょうど咲いていた。花は・・・撮りたくないなぁ・・・と思えど、せっかく来たのだからと、記念に撮影した。
梅は写しようがない。剪定するので、花を撮ろうとすると枝が目立つ。梅は枝ぶりをとればいい・・・・と少し下がって梅の幹を撮ってみた。

花を撮るなら、バックはなるべく単純にしないと花が引き立たない。暗いバックを選ぶか、青空に抜いて撮るか・・・・
暗いバックを選び、背後に無駄な枝が入らない場所を探し、絞を開け、露光を切り詰め白い梅の花弁とコントラストが出るようにして撮影。花弁に弱く光が当たっていたら最高だろう。これが、梅の花の撮影の基本。すこし、経験を積むと、すぐに気づき基本を守るようになる。そして見栄えはいいが月並みの構図になってしまう。誰が撮っても大同小異。
森山大道が撮ったら、別の梅を発見できるだろうか?
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- 2015/02/22(日) 14:18:48|
- 散歩
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