メーカーのブースには、キャンペンガールと呼ぶべきなのだろう、スタイルのいい女性が、にこやかな笑顔を振りまき、カタログを配っていた。
その中の一人を、数名の男性が囲いデジタルカメラでその姿を追う。求めに応じポーズを付ける。ポートレート撮影会の呈をなしていた。
見るとあちこちで、同様な撮影が行われていた。
デジタルカメラは・・・持ってきたが、写す気にはならない。何か抵抗がある。
お散歩カメラにはならない・・・と気づく。
日本カメラ博物館の展示スペースが奥にあった。
そこに 懐かしいカメラが飾ってあった。係りの人に、撮影していいか?と尋ねると、快諾、どうぞどうぞ~~

スタートカメラ!!小生にとっては、写真の原点。このカメラから、始まっている。
「クリスマス」というのがあるのを知らなかった。暮れの12月、父親が嬉しそうな顔をしてクリスマスプレゼントだと言って、箱をくれる。その中にこのカメラが入っていた。
今思えば、朝鮮戦争が終わり、世の中が安定しだした頃だろう。
景気は上向き、占領軍とともにアメリカの文化がどっと入ってきた。
子供に、ものを買って与えることができる時代になったこと・・・父にとっては、誇らしくもうれしいことだったのだろう。
そして、父は猛烈に働いていた。

フィルムは高価で、親に買ってもらわないと無理。現像も親に頼んで近くにカメラ屋で行う。どのくらいの写真を撮ったか・・・記憶は定かではないが、奇跡的にネガが1本分(16枚撮り?)出てきた。普通の35mmフィルムを裏紙に巻き付けていたものだと分かった。
62年前の、小生のごく初期の作品ということになるのかなぁ。
遊び友達、家は向こう三軒両隣の関係。しかし、奇妙なことに同じ小学校ではない。
右の一人は三木小学校、左の二人は兄弟で、白金の小学校へ通っているとか。
撮影場所は・・・三木小学校か大崎中学校の校庭。大崎中は戦後の新設中学で、もう少し校庭が雑然としていた記憶が残る。三木小だろう・・・
この三人の消息、今となっては、知る由もない。住んでいた家は、今マンションとなっている。
今改めてこの写真をみると、玩具カメラといえ、意外としっかりと写っていることに驚かされる。
スタートカメラ、数年後にはフジペットに替わっていた。

フジペット、小学生の高学年になると、このカメラに替わった。おそらくクリスマスプレゼントだったのだろう。親が使うMamiya-6と同じ、ブローニーフィルムを使用する・・・なぜか誇らしい気がした。

フジペットで撮影したネガは、何本か残っていた。全て、スキャナーで取り込み、PCに保存したはずだが、探しても見つからない。ようやく、見つけたが、違うファイルに偶然紛れ込んでいたもの。去年ハードデスクがクラッシュしたとき消えてしまったのだろう。ネガはある。もう一度ネガを探し・・・PCに取り込まねば・・・・
昭和32年か33年の秋の遠足のとき撮ったもの。顔を見て、5名の名はすぐに出たが、右から2番目の野球帽をかぶった人が判然としない。野村君か村岡君か・・・
現在も居所を知って、連絡の着くのは4名。地元に残ったのは一名だけとなった。
去年のクラス会には、この中で2名参加している。次回はどうなることやら。
オリンパスペン! そうだ忘れていた。東京オリンピックの始まる前から、このカメラを使っている。記憶から抜け落ちているのは、その頃のネガと写真がそっくり紛失しているからだろう。箱に入れて保管していたが・・・それを廃棄してしまったのかも・・・・かろうじて残っていたネガは・・・

オリンピックが終了し4年、このころは既にNikonFを使っている。ペンはサブカメラ、記録用として使っていたのだろう。Tri-Xを使用。ハーフサイズなので、普通に構えると、縦フレームの写真となる。新潟の叔父さんの家に遊びに行ったときのスナップ写真。当時年齢は60歳くらいか。新潟の田舎で歯医者をしていた。
息子も歯医者になり、同じ場所で開業しているが、年齢は既に写真の叔父さんを超えている。20年近く会っていないが、年賀状の交換はしているので、まだ、互いに生きているということか。
オリンパスペンのカメラを家中探したが、カメラもどこかに消えていた。
写真は個人の記憶を呼び起こす契機になる。その記憶はあくまでも私的なもの。
しかし、そこから、個人をそぎ落とし一般化できれば、時代の記録となる。
時代の記録として写真を見たら、スタートカメラで撮影した一枚が、ベストだと思う。
やはり、これが小生の最初の作品だろう。
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- 2015/02/20(金) 10:42:55|
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