いい写真といっても、評価の基準は、あくまで小生の感性、ほかの人が見たら、顔をしかめ 「この写真のなにがいい?」と問い詰められると、答えるのに窮するが、森山大道の「アクシデント」展、心に残っていました。
露光に失敗したフィルムを、無理やり現像し、粒子を荒らしているようにも見える。
水平線は傾き、空は露光過剰で真っ白になっている。そこを無理矢理焼き付け銀粒子が印画紙を覆い、きたなく汚れる。
或は、ネガの一部をトリミングし、大きく印画紙に焼き付け、ぶれたり、ボケたりした写真が飾られていた。
美しい風景や街並みを撮ることが趣味の人や、綺麗な花を接写して喜んでいる人が、この写真展を見たら、「これ、写真?」と、そそくさと会場を出てしまうだろう。
しかし、なにか心に残る。無料だし・・・と最終日、再び新宿へ。

タイトルは「アクシデント」 1969年の朝日カメラにシリーズものとして1年間掲載されたという。その頃は、朝日カメラを毎月購入していたので、見ているはずだが・・・記憶にはほとんど残っていない。新宿騒乱(学生運動)を捉えた写真だけが記憶の底に残っていた。しかし1969年の朝日カメラだったか?
この場所で、あの騒乱はあった。最初のころは、政府への抗議に、集まった青年が、ギターを抱え歌をうたう集会だったが・・・・
朝日カメラの要請で、森山氏は、その騒乱を撮影している。彼自身は右でも左でもない。カメラをもつジャーナリスト。この騒乱をカメラに収めておきたいと、思っていたのだろう。しかし、口汚く罵られ、蹴飛ばされ、写真のシャッターを押すことを、止めようとする機動隊(警察)に、表現の自由、人間の尊厳を踏みにじられたような、屈辱を覚えたという。
自分の存在そのものを否定された気分だったのだろう。
・・・俺はカメラマン、カメラを手にした以上、記録していおくべきだという信念があった。
ことの善悪は歴史が決めること、撮るべきだと、小生も思う。
クーデルカも、プラハの春を撮っている。それがため、国を追われている。侵攻してくるソ連の戦車に(政治的に関心なくとも)カメラを向けていたと語っている。
兵どもの夢のあと・・・今、西口広場は集会禁止になっている。集まらざるを得ないような、政治情勢にないということでしょうか?人々は、足早に、広場を通り抜けていく。

1969年 当時都庁は有楽町にあった。ここは淀橋浄水場、すでに壊され、整地作業に入っていただろうか?
西口に出るのは、淀橋カメラに、写真の機材を買いにくるだけ。駅前に連れ込み旅館と思しき建物があり、その横道に、ヨドバシカメラはあった。何処より安く買えるので、そのころから有名でした。間口は2間か3間、ガラスの引き戸を開けて中に入ると、カウンターがあり、必要な品名を云うと出してくる形式だったような記憶が残っています。その後、カメラは爆発的に売れ出し、いつしか、旅館は、ヨドバシカメラに呑み込まれていました。

今回のカメラは、ContaxⅡa 西ドイツに逃れたツアイスが、新しい設計で作ったコンタックスカメラ、戦前のコンタックスのレンズがそのまま使用できます。ただし、35mmのビオゴンは、レンズの後ろがぶつかり、つけられません。(S型ニコンは着けて問題なく使うことできます。)
レンズはコシナの作ったSC-Skopar 21mm F:4の広角レンズ。最新の設計なので、文句なくいいレンズ。欠点など、恐れ多く探しようもありません。収差がどうの、キレがどうの、周辺部は~~だなど薀蓄を語ること、小生にはできません。
森山大道の写真は、ニコンとミノルタのカメラで撮られたものが多かった。フィルムは全てTRI-X。広角レンズと望遠レンズ、それにポスターを複写した作品ではマクロレンズの55mm。ニコンの反射1000ミリレンズを使った作品もあった。
雑誌社からの借り物で撮影したのだろう。 撮りたいものに合わせ、レンズを選ぶ・・・
やはりプロの仕事だろうと思う。道具は使えれば、それでいいと、割り切るべきなのでしょう。
バカチョン・カメラと蔑まれた(軽んじた)フィルムのカメラでも、写真は撮ることができます。
改めて思うが、デジタルのソニーのNEX-3、家電品カメラと軽んじられようが、随分いいカメラではないか?
壊れるまで、買い替えは止めておこうかなぁと思う・・・・(しかし、できるかなぁ?)
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- 2014/10/30(木) 12:08:18|
- 都会の景観 Tokyo
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