10月のテーマは、「夜景 或は ひかり」
夜景は、ブラッサイの「夜のパリ」が有名。
カメラの進歩はすごい。今のデジカメで撮影したら、すごい作品ができるのではと期待し、新宿へ向かう。
何カットか撮影し、液晶画面で確認する。すぐに到底無理と・・・思い知らされる。
面白いという単なる好奇心では、底が浅すぎるのだ。見るに堪えない写真になっている。
何かが足りない。カメラのせいではない、眼の前の光景・現実の背後にある「大切なもの」を感じとっていないためだろう。感じなければ、撮ることはできない。またもし感じたら、しつっこく満足できるまで、何回でも通い詰めシャッターを切っている。
ブラッサイは1930年代のパリの精神を写していると 改めて思い知らされる。
ものの表面を撫でるだけの感受性では、いくらカメラが高機能になったとしても、写せないと思う。写真のクオリティー(質)とは、その時代の精神をとるようなものではないか。木村伊兵衛のスナップ写真(浅草・神谷バー、電気ブランを飲んでうなだれている男性の映像)が、頭の中を走った。
「対象の美しさ/力強さが、写真の美しさ/力強さではない」という、土門拳の指摘は正しいように感じる。
2010年代の東京の精神とは何だろう? それをはっきり意識できていない小生には、対象を選ぶこと、切り取ること・・・できるはずもない。
いつしか居酒屋でビールを飲んでいた。(反省会です。)

ふと気づくと、女性が立って遠くの板場(厨房)を見つめていた。その中に意中の人でもいるのか?
思わずそっとシャッターを切っていた。ピントはビール瓶に合わせた。広角だが、f:2.8と絞りは開けている。顔はボケて誰と特定はできないだろうという読みはあった。
これ、やはり盗撮だろう。事情を話し、モデルになってもらえばよかったか・・・
ミステリアス(大胆)な組み合わせの服を着ている。題なら「赤と黒」
或は、「酒場の女」か、陳腐だなぁ。「カスバの女」でもいいか・・・? そんなこと考えていたら、女性の姿、ふっと消えていた。
代わりに一言も声をかけられなかった自分がいた。(しょうもない老人です。)
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- 2014/10/15(水) 17:40:56|
- Night walk in Tokyo
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