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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

1967年の蓼科(その12) 蓼科の撮影、その落穂ひろいです。

蓼科。どう変わったか知りたくて、昔のアルバムをめくり、ネガを調べる。思いがけない写真も出てくる。
八ヶ岳を縦走した写真には、小学校時代からの友人が、美ヶ原を散策した写真には、大学の学友の姿が写っていた。御射鹿池、白樺湖でボート遊びをしている写真もあった。写っている友人(女友達を含め)で、今でも連絡を取り合えるのは2,3名になっている。
会社勤めしているときは、仕事の関係で人に会い、名刺交換し、意気投合すれば、酒などを一緒に飲み、知り合いも増えていったが、会社を卒業、10年もたつと、会う人の数も減っていく。社會から疎外されている?世捨て人状態?
いえ、人間のしがらみ・俗世間から解放され、自由人になったのだと、ポジティブに考えるべきなのだろう。
近頃は、近くの図書館から、物質の根源・素粒子関係の本や、宇宙の本を借りてきて、読むことが多くなってる。興味は、人間から、自然、宇宙そのものへ・・・仙人の世界に近づいたのかも。
しかし、47年前は、まだ、俗世間に入り込んだばかりの青二才。Nikon Fを手に入れ、ギラギラしていたのだろうか、「なんでも撮ってやれ」(その数年前、小田実の「何でも見てやれ」という本が、ベストセラーになりました。)と、撮影に挑戦していました。
奥蓼科の花-5
レンジファインダーカメラでは、1mまでしか、被写体に近づけません。花の接写は、ビユーカメラに4×5インチのフィルムで行うプロの仕事、アマチュアの出る幕はない。そんな固定概念がありました。ところが一眼レフは万能カメラ、超望遠レンズを付けて、スポーツ写真も可能。接写したければ、ベローズ装置を付ければいい。プロしか撮れないと思っていた写真を、撮ることができる!!ベローズ装置は高価で、さすがに手が出ない。最初は、中学時代に作った天体望遠鏡のレンズを、レンズの前に付け(虫眼鏡代わり)、撮ってみたが、中心はいいが周辺は流れる。
そこで、なけなしの金をはたいて、接写リングを購入した。リングの組み合わせで、倍率を何段階か変えられる。
蓼科の花を、盛んに接写していた。

1968年夏 蓼科の花-21 1968年夏 蓼科の花-5 1968年夏 蓼科の花-10 1968年夏 蓼科の花-25 1968年夏 蓼科の花-23
1968年夏 蓼科の花-33 1968年夏 蓼科の花-18 クリックすると大きくなります。(すでにブログには載せたものです)
当時使っていたのは、今でいうポジフィルム。リバーサル・フィルム、スライドと呼んでいました。ネガカラーに比べ、色の発色がいいこと、人に渡すことができない一点もの。撮った写真を欲しいと言われたら、スライドだから、見に来てくれれば・・・と女の子なら誘える。しかし、ネガに比べ、適正露光の範囲が極端に狭い。接写倍率が上がるにつれ、露光補正も必要になる。簡単な計算で求められるが、接写リングの説明書には、その倍率が表になっていた。花の撮影では、狙った構図に合わせ、接写リングの組み合わせ、入射光式露光計で照度を測定、補正倍率を調べ、絞りあるいはシャッター速度で調整する。そして、風に揺れない瞬間を待ってシャッターを切る。ISO100のフィルムを主に使っていました。神経は使うし、補正も考える。慣れるまで大変な作業だった。結果も、すぐにはわからない。ラボからマウントになったスライドが届くのを持たなければならなかった。
今のデジタルなら、なんのストレスもなく撮影できる。結果を見て、思わしくなければ、満足できるまで、その場で幾度も撮影できる。スマートフォンで花の接写を楽しんでいる人もいた。
接写倍率が高くなると、露光補正が必要になる・・・そんなこと知らなくとも、カメラが自動的に補正し、綺麗な写真を作ってくれる。感度も高く、手持ちでも十分撮影できるようになった。ピントもカメラの設定をマクロにすると、自動で正確に合わせてくれる。老眼よりましだ。
苦心して撮影した接写とは、何だったのだろう?割り切れないモヤモヤが、心の底でくすぶっている。
蟻の決闘-29
これは、宿舎に入ってきた蟻の決闘。おそらく等倍で撮影しています。
しかし、接写の熱もじきに醒めました。花を綺麗に撮ろうと思うと、意外にバリエーションはすくない。背景をどう選ぶかがポイントになる。逆光狙いが多くなる。背景は少し花より暗いほうを選べばいい・・・・
結局、美しい花の写真を撮ろうとすれば、演出写真になりがち、と気づく。これでは、コマーシャル・フォトと同じでは??
コマーシャル・フォト…確かに大衆受けを狙った美しい写真だが・・・それは商品を売るための手段にすぎない。花を選び、光線と背景を演出し、美しいイメージを商品に被せる。プロの仕事だろう。
次から次へと美しい宣伝写真が現れるが、記憶に残るコマーシャル・フォトはあっただろうか?
商品のイメージは残るが、背景の美しい花や景色は記憶にない。添え物の撮影に・・・熱心になっているのか?
凝って写した割に、これはいいという写真が撮れない。同じような写真が増えていく、努力は報われず・・・・やめた。
それ以来、接写リングは、押入れの箱のなか、47年後復活、時たま使うようになりましたが・・・・やはり、花の接写は面白くない。綺麗に撮れても、それでどうなの??という気分。受け狙いで撮影しているのではと、内心忸怩たる気分になることもある。
芸術に鈍感なだけで、何も分かっていないのでしょう。美しい花と美しい風景の写真、苦手意識があります。
その反面、うんちくが、増えました。(いえ、言い訳がうまくなりました。)
鱒釣り-25
プール平近くの鱒釣り。釣った鱒は、買わなければならない。夕飯用に人数分つりました。蓼科観光ホテルの看板が見えますが、今年訪れると、ホテルも、釣り堀もありません。どこかへ引っ越したのでしょうか?
こういう写真が好きです。人の痕跡が写っていれば、それを契機に、何だろうと、空想がひろがる。左隅で釣している子供たち、今は50歳半ば過ぎているだろう。そろそろ定年後も考えている年代になっているだろうなぁ。後ろの自動車、トヨタのコロナか? ブリキのバケツも珍しい、今はプラスチックのバケツになっている。麦わら帽を被っているが、今はもう少しバリエーションが増え、麦わら帽子減っているのでは?「鱒料理、お食事」手作りの感のある看板が好い。プロの看板屋のものではないだろう。家の壁に拡声器、当時観光地に行くと、サービスのつもりか、大音響で歌謡曲を流していた。うるさかったなぁ~~。写真は記録。こういうのが好き。美しいだけの花と美しいだけの風景写真では、そこに人間の痕跡がない。想像力を広げる契機がない。
一方、アンセル・アダムスのヨセミテの写真には、人の痕跡は写っていないが、確かに二人の人が写っている。
この差は、断絶している。小生が、風景、特に山の写真をとらなくなったのは、そんな心の動きがあったと、今、思っています。風景写真を撮ると、なにか人の痕跡を、小さくてもいいから人影を写しこみたくなる。
堀-15
堀の部落で撮影したもの。明暗差の大きな所を切り取っています。YGフィルターで、その明暗差を和らげている。YGを使うなんて、大したものだと、その当時の自分を褒めてしまいました・・・・。自画自賛、少々みっともない。
暗い部分の調子も、しっかり出ているので・・・たっぷり目の露光を与え、軟調な現像液で現像したのでしょう。
堀を過ぎ、笹原を抜け、山道に入り、北八ヶ岳の登山口、渋の湯に至る道には、野仏が置かれていました。
今年行くと、その数が増していました。昔は数えるほどだったのに・・・・
多くは、この10年くらいで置かれたものではないでしょか、苔が覆っているものは少なかった。
逍遥3野仏DSC03075
野仏を発見すると、そのつど撮影。・・・たくさんの撮った野仏の写真をを並べてみると、面白いものはない。顔やスタイル、手の組みかた、どこかですでに見たことある気がする。石仏は、既製品に近いのか?多量に作る専門石材店でもあるのだろうか?こう作りましょうという雛形があるのでしょうか?
野仏に無常の喜びを感じる人から見たら、どんな罵声を浴びせ掛けられるか・・・・こんな尊いものを見て、お前は何を云う・・・仏像は鑑賞するものでなく、手を合わせ、拝み、見るものだと、叱られるでしょうね。新しく設置された野仏、観光用ではなく、信仰心から設置されたものと思いたい。では、参拝すべき御神体はどこに? 八ヶ岳の丸山・・・なのでしょか?
逍遥3野仏661-41
カラーだと生々しく、即物的過ぎる。心に何か思い浮かべることできますか?
ここはモノトーンのほうが、想像の翼を広げやすい。
ツーリングDSC03333
47年まえには、こういう人いませんでした。道路が舗装され、道も増えています。冒険好き女性の一団。いい時代になったと思います。話声から関西のほうから来られたようです。どの道を行くか、話し合いをしているようでした。
飛ぶが如くDSC03329
山道、登るのは大変ですが、下るとなると、スピードが出て快適、一気に里まで下りていくのでしょう。
蓼科には3泊しました。小生らも、一気に車で、東京へもどりました。さあ、東京に帰りスナップだ。


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  1. 2014/09/24(水) 15:37:27|
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Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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