笹原部落(今は市なので、笹原地区?)から道は登りになり、くねくねと曲った道が続いた。
ターンする回数が少なくなった気がする。道路が整備されたのか・・・・思ったより早く御射鹿池に到着する。

県道から、このようにフレーミングできる場所はなかった。植林された落葉松が成長し視界を塞いだか、あるいは、斜面を藪こぎして登り撮影ポイントを見つけたのか・・・若い時なので、そのぐらいのことはしただろう。
はるか眼下に笹原部落が見える。県道はまだ舗装されていない。砂利道をバスで登ってきた。
御射鹿池は、農業用水の溜池、堤防が直線になっている。できてまだ間がないのか、護岸は土塊、草もまばら、木も生えていなかった。
朝方は曇り、少しガスも出ていたが、午後になると天気は回復する。そのとき撮影した御射鹿池の遠望。バスが一台、池の端に停車、するとたくさんの人が降りてきて、散らばり、写真の撮影を始めていた。

噂には聞いていたが、有名な撮影スポットになっているらしい。

堤の端から撮影した御射鹿池の47年前の風景。水没した場所に白樺の若い木が生えていたが、すでに枯れていた。今回確認したが、跡形もなくなっていた。倒れ、池の底で朽ちてしまったのだろう。
中央付近に小さく建物が見える。御射鹿荘と名乗る売店があった。当時池のふちにキャンプ場があり、夏休み、地元の高校生がきてテント生活を楽しんでいた。ボートは売店が管理。売店の後ろの斜面には何軒かのバンガロウもあった。
売店はすでになく、バンガロウも深い木の陰に隠れわからなくなっている。ボートも消えていた。
友人等とボート遊びをし、売店でビールを飲み、そばを食べた記憶が残っている。
あれは一場の夢のようなものか??

高名な画家が御射鹿池で絵を描いたそうだ。それから有名になり、撮影のスポットになったという。この日は金曜の午前中、まだ人影はない。天気も曇りがち、カラーの発色は期待できない。
堤防の上に登ろうとしたが、無粋にも柵があり、禁止の立て看板がある。
とはいえ、写真を撮りたい人、若く機敏な人なら、堤の上へ入るのは簡単・・・・小生はあきらめましたが。
池の周りは管理されているのか、昔より綺麗になっている。キャンプ場のむき出しの地面は、落葉松の林になっていた。
形の良い白樺があった。記憶にない。おそらく植えられたものだろう。このように撮ってほしいという意図を感じた。

県道の際まで下がってフレーミング。
整備する人の意図に従って撮影しているようなもの。「さあ、ここが、撮影スポットです。」

疎水を下る。
堤の上は林になっていた。植林し10年も経ったらこうなるのだろう。あれから47年が経過している。驚くことでもないのだろう。
丸木橋があった。ここを渡り、堤を登れば、昔の撮影スポットにでる。渡るか? 丸木橋をじっと見つめる。真ん中の一本が少し朽ちている。ちょっと不安定、落ちたら嫌だとあきらめる。年は取りたくないものと自虐的な気分になる。

デジカメのレンズはE16mmの広角レンズ1本。フルサイズ換算で24mm。純正の交換レンズは持っていない。マウントアダプターを介し古いレンズをつけて遊んでいる。その、アダプターも持ってこなかった。
トリミングして画像を整える。フルサイズ換算で60mmくらいの画角になる。
深い山奥の湖の雰囲気を出せるので、撮影スポットになっているのだろうが、やがて陳腐化し、忘れさられることにならないか?
土曜日曜になると観光バスが来て、賑わうという。ズームレンズなら、いろいろと切り取りようはあると思う。
撮った写真・・・・記憶に残るか否かは、その人の感性でしょう。
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- 2014/09/14(日) 08:28:01|
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