50年近く前、奥蓼科に幾度となく遊びに行き、八ヶ岳などを歩き回っていた。
夏の初め、兄からもう一度蓼科に行ってみないかと誘われていた。
兄の都合がつかなく計画は伸び伸びになっていたが、一か月遅れの先週、茅野に降り立っていた。
昔とは様変わり、見知ったはずの道も、新たにできた道や、道が改良され、目印になっていた建物もなくなり、迷ってしまった。
ようやく市街地をぬけ奥蓼科へ向かう道を見つける。

笹原の部落を過ぎると道は上りになる。ここが最後の人里だった。
この柳には見覚えがある。ひそかに「お化け柳」と名付けていた。
当時すでに巨木であった。もっと高くそびえていた。上を切られたか?
右端の石組みの辺りに、野仏が数体置かれていた。
そしてバスの停留所もあった。

それがこの写真。1967年8月に、ここに降り立って、このお化け柳を撮影している。カメラはNikon F、 レンズは画角からNikkor 35mm F:2.8 フィルムはNeopan F(ISO50) それにYGフィルターをつけて撮影していた。 おそらくf:8(5.6かも)/60秒でシャッターを切っていたと思う。
手振れをさせない自信があったら、もっと絞っていたかもしれない。
カメラ雑誌を読み漁り、当時は、風景を撮影するにはベストな条件だろうと思っていた。
手には宝物のNikon F 家のカメラMamiya-6を卒業し、いよいよ専用の高級カメラを手にしていた。
レンズを交換することが嬉しく、随分気合を入れて撮っているなぁと思う。
現像はNeopanFにはミクロファインを、NeopanSSにはフジドール(D-76)を使っていた。まだTri-Xには手を出していない頃である。

47年後、石仏たちは、ずっと右のほうに移動していた。石組みは壊され、コンクリートの壁に変わっている。道路は少し広くなったような印象もある。

1967年と現在(2014年)の石仏と石碑を比べると、同じ石碑、石仏はあれど、かなり数が増えている。道路の改良などでここに追いやられてきたのであろう。

この石仏群から右に10歩ほど歩いて撮影した笹原部落の民家。部屋の中まで丸見え、よそ者が珍しい時代、近所はみんな見知った人間だったのでしょう。日中、道を歩く人影もありませんでした。
YGフィルターの効果が出ています。当時はまじめに写真雑誌を読み、撮影のコツを習熟しようとしていました。
心がけがいい。重いNikon Fに、50mmと105mmの交換レンズを持参していました。
今回は軽いレンジファインダーのContax Ⅱaと、21mmと50mmの交換レンズを持ってきました。
心がけが低下、YGフィルターを持ってくるのを忘れていました。

お化け柳のアップ写真。
笹原での撮影は、35mmレンズ1本で、行っていました。
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- 2014/09/12(金) 11:00:09|
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