11月に参加する写真クラブで、展示会をすることになっている。
展示会のテーマは「出会いの刻(とき)」
「出会い」というイメージを追いかけ、何枚か候補を絞った。
直前になって、勝島運河で萎れた向日葵に出会う。カメラに収める。
アッと思った。そうだこれも、出会いのとき・・・「友よさらば」 枯れ行く向日葵に、そんな声を感じた。

以前、このブログに載せた写真の一部です。クリックすれば大きくなります。
「ひまわり」には、健康的な明るいイメージがある。そのイメージで、ひまわりの花を見てはいまいか?ネットをサーフィンしてひまわりの画像を見る。イメージの明るい写真ばかり。群生したひまわり畑を俯瞰し、広角でその一つを強調し、後ろに綺麗な風景が続くフレーミング。美しさが確保した撮影法。あるいは、1つをアップでとって、美しさ、愛らしさを強調し撮影する。
ひまわり・・・、美しい、かわいい、健康的、そんなイメージの写真ばかりがネットに氾濫。いかにキャッチーに撮るか、腐心している。ひまわりって、本当にそうなの??
ゴッホの描く向日葵は、健康的でも、明るくもない。
明るいひまわりには、その底に言い知れない悲しさ、不気味さが潜んでいる・・・・と感じている。
それを撮りたいのだが・・・予定調和を破る写真に、嫌な顔をされ、不評をかい、無視されるのがおちだろう。
それでも撮ろうと思う。

雨が降りそうな天候。ストロボを焚いてライオンのたてがみ似た葉を白く強調したいと思ったが、失敗した。
しかし、このひまわり、話しかけようとする姿を感じる。「また、会おう」と語りかけているのではあるまいか?

暗く焼きこんでみた。余計、陰鬱になる。こんなの写真でないといわれそう。

しかし、これが現実。

綺麗に咲き誇った一瞬の花を撮りたい、その一心でカメラを向けるのだが・・・・
一寸待て、それは、自分のカメラ・アイか? 他人の眼に迎合しているだけでは?と、反省する。
今度は、萎れたひまわりにレンズを向ける。
土門拳の忠告
対象の美しさが写真の美しさでないこと、
対象の力強さが写真の力強さでないことをくれぐれも忘れないで欲しい。
その言葉に従い、もう一度、同じ向日葵を、撮ってみようと思っています。
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- 2014/09/03(水) 21:30:09|
- ひまわり
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