写真を写す以上、動機はどうであれ、上手に撮りたいと思う。
見て褒められるような写真を撮りたいと思う。
去年の夏、向日葵を撮っていた。
その同じ場所に、晩秋、向日葵が植えられていた。面白いと、去年の暮れから、「冬の向日葵」を撮影した。
今年も春になると、再び 種が撒かれ、初夏には向日葵が咲いている。
同じ場所で、再び、向日葵の写真を撮る。
去年と比べ、撮影のスキルは上がったか?といえば、自信はない。むしろ下手になっているかも。
この「向日葵」を撮る必然など、あるのだろうか?と思う。だけど、シャッターを切っていた。

ネットで、「向日葵 画像」で検索すると、280万近くの画像がすでにアップされている。(Yahoo)
この一枚も、その中の1つになる。上手に撮れたとして、記憶に残るようなインパクトはない。
ネットに載らない、実際にとられた向日葵の写真は、億の単位に上るだろう。
それらは、撮影した当人の大事な記憶、他人の眼を意識したものではないだろう。
しかし、ネットに載せるのは、それなりの動機があってだろう。
善意の微笑ましい写真、この場所を訪れたら、こんな面白さがありますと、紹介する写真。感動は共有したほうが、ずっと楽しくなる。中には、自慢したいがための写真・・・もありますが。
綺麗な花を見て、シャッターを切ってしまうのは、当たり前の行動、趣味の世界なのだから、好ましいことではないか?・・・と、納得する。

向日葵の写真で、記憶に残るものあったか?・・・・としばし自問する。
ようやく、須田 一政さんの向日葵の記憶が浮かんできた。
高く伸びた向日葵の前に2,3人の少女が立っていた。服装から昭和30年代?真昼の太陽の下、ストロボを焚いて、少女の顔を明るく撮影していた。白黒の写真。上手いなぁと・・・ その時の記憶がだんだんと鮮明になってくる。
それ以外は、思い浮かばない。
絵画では、ゴッホの向日葵。花瓶に活けてある向日葵、向日葵畑の向日葵、みな強烈な印象がのこる。
3年ほど前、妻をつれ、ニューヨークへ旅したとき、メトロポリタン美術館で花瓶に活けてある向日葵を見ていた。
映画の「ひまわり」は、ソフィア・ローレンが主演した反戦映画。
一面のひまわり畑が広がっていた。
向日葵には、「明るく健康」、「美しい」イメージがあるが、スクリーンの裏には、悲しい調べが漂っていた。
「向日葵」の写真を撮るなら、その裏にある影を撮りたいものと・・・夢想する。
この映画、まだ結婚する前の妻と見た記憶が強く残っている。1970年の初めの頃でしょうか?
一政さんの向日葵の写真、残念ながら、妻を写真展には 連れて行かなかった。
印象に残る「向日葵」、撮れるだろうか?
人の心に残る写真は撮れないだろう。
しかし、家族の記憶に残る一枚は、撮れるかも。
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- 2014/07/02(水) 23:09:04|
- ひまわり
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