年の初めにクーデルカ展を見、5月 キャパ展を見る。
最初はクーデルカショック、更にキャパショックに襲われる。津波のようだ。
写真を撮れなくなっていた。散歩にカメラを持ち出すも、写すカット数は、通常の1/3以下。現像しネガをチェックするも・・・「撮りたかったものかなぁ」という思いがする。
今 スランプです。
また一つショックが・・・アマゾンに注文していた写真集が届く。
「Vivian Maier」 Street Photographer
知っていますか?
無名のアマチュアカメラマンです。人に見せるために撮影していたわけではだろう。単に写したいから写した写真。人に見せ、「どうすごいでしょう」と自慢するために撮ったものでもない。無報酬、no return で撮影している。だが、だから すごい。
ダイアン・アルバス、アンドレ・ケルテス、ウォーカー・エバンスなどの写真家の影響を受けているようです。
写真のクオリティーは高い。すごい、雑誌などに投稿したら注目され、写真家としての道もあったろうに・・・
とは思えど、クーデルカが警告するように、「写真を金に交換するたび 写真家は、カメラの眼を一つずつ失っていく」
素人で通したビビアンは、カメラの眼を失うことがなかった。誰に見せるでもないのもよかったか?
ビビアンのように撮れたら・・・
何故撮るかは、撮らざるを得ない内的必然があるからだろう。内的必然に従い、ビビアンはシャッターを切る。
クーデルカは、「プラハの春」を押し潰した戦車を撮影する。国を追われるかもしれないという危惧はその時感じていない。キャパはノルマンジーの海岸に寝そべった。死の危険を顧みずに。
ビビアンは休日、シカゴの町を歩き、ローライフレックスで町の人を、町の表情をとらえる。
お散歩カメラだ! 小生のスタイルと同じ。条件は小生のほうがいいだろう。だが、決定的にちがうなぁ・・・と
何をとるか、どう撮るかは、二の次にすべきだろう。
何を撮る? キャッチーなもの、名所、旧跡。話題の人、場所。
どう撮る? 構図、レンズ、照明、現像
ともすれば、何をとるか、どう撮るかに 神経がいき、それがすべてになっている。
クーデルカ、キャパ、ビビアンの与えてくれたショックに打ちのめされrています。
7年ほど前から、定年後の楽しみにカメラを片手に「お散歩カメラ」しています。パラパラとその頃の写真を見る。

もう、こういう写真撮れなくなっているかも・・・散歩にカメラを持ち出した頃、盗撮するという意識はなかった。撮らねばと、とっさに腰をかがめ構図を決め、ピントを合わせ、シャッターを切る。時間にして数秒程度の長い時間をかけている。
撮影は2007年3月23日 戸越公園にて、カメラは Nikon SP レンズはコシナ製 NOKTON 50mm F:1.5 フィルムはTri-Xを使用しています。
今となっては、こうは撮れないと思います。しゃがんだら、「写真を撮りますよ」の合図のようなもの。ゆっくりとピント合わせし、構図を決めてなどしていたら 気づかれ、嫌がられ、場合によっては、盗撮と非難されます。OKをもらうと、自然な表情にはなりません。類型化された写真となり、撮りたかった写真ではなくなる。
何を撮るか、どのように撮るかの、その底に、何故撮るかの原点がある。
シャッターを切らざるを得ない内的な必然が写真の原点・・・それが三名の写真家に共通するPhotographだろう。
このブログの最初の写真が、小生の出発点と、改めて思う。構図(How)は二の次。

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- 2014/05/21(水) 11:22:09|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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