「階段」という言葉単独ではイメージが広がらないが・・・十三階段という言葉になると、イメージは広がる。鋭く反応する人もいれば、何それ?と鈍感な人もいる。短歌や俳句、詩などを読もうとすれば、それなりに心構えをして、イメージを掴もうとする。詠むのも大変だが、読むほうも それなりの素養/教養/センスが必要だ。
しかし、写真は、見るだけ。至極簡単。見た瞬間、無意識にも 勝手に解釈しだす。そこが写真のずるいところか?

TVの教養番組で、句会の様子を放送していた。詠む方も、読む方(選者)も、真剣勝負、言葉に関する丁々発止のやり取りがあり、言語空間が明らかにされていく。まさに「言語にとって美とはなにか」だ。
これが、写真には いまだ不足している。デジタル写真の撮り方を教える放送があるが、それは、趣味講座、技術的なことを教えるだけ。こうやったら、綺麗に撮れるという類だ。
カメラの進歩はすごい、誰でも、容易に美しい写真が取れるようになった。
ならば、写真(カメラ)を趣味講座から教養講座に格上げできないものか?
もうそういう時期にさしかかっていると思う。
写真の解釈は千差万別だとしても、論ずることできる選者、でてこないかなぁ。
そんなことを思っていたら、番組は終了。
さて、この写真、どんなタイトルをつけるべきか?
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- 2014/03/06(木) 10:33:34|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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