戦争末期になると、
各地の軍需工場地帯は、
連合国(米国)の標的となり、空襲を受ける。
品川区、大田区は
1945年3月ころから5月あたりまで、
幾度となくB29の空襲を受け、
品川区で消失した家屋は、6万8400棟に及んだという。
8月に日本はポスダム宣言を受け入れたので、
その数か月前のことである。
戸越銀座駅、戸越公園駅、下神明駅で示された三角形の地域は、
焼け野原になったという。
武蔵小山、荏原、旗の台あたりも火の海になり、ほとんどの家は消失している。
今、散歩中、古い家を 見つけると、
ここは焼夷弾の落ちなかった地域だろうと想像する。

おそらくこの家の人は、愛着を持っているのだろうと思う。

更地にして建て替えたほうが合理的だろうが、
「これは残す」という意思を感じる。
おそらく内装は新しくして住居の一部として使用しているようだ。

この土蔵は、江戸時代、品川宿からの桐ケ谷に至る道筋に建っている。
三ツ木という場所の、土地の記憶になっていると思う。
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- 2023/09/12(火) 18:49:41|
- 都会の景観 Tokyo
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