恵比寿の写真美術館へ行ってきました。

「写真で遊ぶ」 うまいネーミングだと、思いました。
確かに偉大なアマチュア写真家、自分の好きなところを、自分の好みで撮影している。
プロだと営業が頭をかすめ、クライアントの目にかなうような絵柄になり勝ち。
そこが、違う。おもねったところなどない。
特にラルティーグの写真は、笑ってしまう。動く瞬間を永遠にとどめてくれる写真が大好きということだろう。
まだ乾板の時代、フィルムの感度がISO=20程度のときから、動くものを写真に記録しようとしている。すごいものだと感嘆。
一族の記念写真をだろうが、実態はラルティーグの選んだ彼の世界。彼は、そこで遊んでいる。
ほとんどストレート・フォト、一枚だけ多重露光で撮影したと思われる写真があっただけ。
写真の発明から、第二次世界大戦まで、フランスは写真芸術の中心地、幾多のカメラマンを輩出してきましたが・・・フランスにいながら、職業写真家の影響は受けていない。おそらく、写真は独学。
家族のアルバムを撮るという枠から外れているような気もします。さりとて職業カメラマンの目とも違う。
家族に見せるアルバムというより、彼個人の世界に閉じこもることを志向しているような感じもします。「面白いと思ったものを、撮っているだけ、どこが悪い?」と聞かれたら、「いや小生もそうです。まったくその通り。」と答えるでしょうね。
植田さんは、そのフランスの影響が濃厚。昭和初期1930年ごろ、フランスではシュールリアリズム運動が起こっている。フロイトの心理学を源泉とし、詩、絵画、文学、演劇などを含んだ幅広い芸術運動。写真家ではホモ=ナジ、マン・レイが有名。
見た瞬間、あ、シュールリアリズムだと思いました。彼は終生この運動の中に自分の世界を見、その世界に遊んでいる。
フォトグラム風静物写真があり、現実の砂浜ではありえない光景を演出し、写真に収めた写真がある。ヨーロッパでは、絶賛される構図です。ダリやキリコの絵画に通じます。砂丘は、かれのスタジオ、そこに人を配し写す。そのため空は無地が好ましい。自分の世界を構築するためには、テクニックを使うことは当たり前、オリジナルプリントを良く観察すると、エヤーブラシで、あるべきものを消してしまったような写真、印画紙を傾けて焼いたと思われるデフォルメしたような写真もある。これが植田ワールドには欠かせないと・・・(戦後のカラー写真も展示されていましたが、それは、戦前流行ったベス単眼はずしで撮影したような写真、植田氏、多才です。)
ラルティーグとは写す対象はことなるが、彼もまた 自分の世界を構築し、その世界で遊んでいるなぁと思いました。
自分の世界を構築できるのは、すごいこと。うらやましい限りですが・・・小生の好みは、少し違うようです。
真摯に対象に対峙して写真をとったアンセルアダムス、ウインバロック、アンドレケルテス、サルガド、そしてつい最近知ったクーデルカなど、閉じこもる個人の世界より、ひろがる世界のほうがすきなのだと、気づかせてくれました。(これは個人の好みの問題です。)
会場を出ると、もう日は暮れていました。
偉大なアマチュアの足元に到底及ぶべくもないが、興味を引いたものだけを撮るアマチュアの自由さはあると、月の撮影をしていました。これは、「月とさるすべり」を撮影するための練習もかねています。

月のウサギを撮るためには f:8~f:11/125秒で撮影する必要がありそう。

像に近づきディテールを潰さないようf:5.6/125秒で撮影したら、月のウサギは光の中に隠れてしまいました。
植田さんが 撮るとしたら、どうするだろう?
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- 2014/01/18(土) 10:34:34|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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