大正時代の初め頃、大崎駅前に明電舎の工場ができる。
その辺りから、大崎の街が整備されていったのだろうと思う。
山の手線を挟み南側は、明電舎、三共製薬、日本ペイントの工場などの大手が、
北側は、小さな工場が建ち並ぶ地域だった。
今は 再開発され、その面影はかなり消えている。

駅前に高層のビルが建つ。
ビルに直結するよう遊歩道ができ、
傘なしで電車に乗れるタワーマンションもできる。
駅前から、羽田、成田へのシャトルバスも運行、長距離バスもでるようになった。
そして、飛行機も陸上を飛ぶルートが新設される。

工場とそこに通う住民の街。
目黒川沿いの、
御殿山、白銀、池田山などの台地に登ると、
瀟洒な高級住宅街が広がるが、
低地の川沿いは、下町の庶民の住むところだった。
いまはタワーマンションができ、様相は様変わり、
身なりのいい人も増えてきている。

嘗て川の両岸は、小さな工場と住宅が混在する所だった。
家を小さな工場にし、そこで生活している人もいた。
クラスメートの家もあったが、立ち退いて、郊外へ引っ越した。
ここは、記憶に残る街ではなくなっている。
別世界を散歩しているようなもの。
変ったなぁと思う。
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- 2021/04/29(木) 13:11:36|
- 都会の景観 Tokyo
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