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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

人を写すとは? スナップショットの真髄

写真の著作権、保護期間はどうなっているのか知りたくて、ネットで調べて見ました。
ウキペデアに出ていたものの一部を載録します。
「写真の著作物の保護期間は、1899年7月15日に施行された旧著作権法では、発行後10年(その期間発行されなかった場合は製作後10年)と規定されていた。その後は、以下のような変遷をたどっている。
1967年7月27日 - 発行後12年(未発行の場合は製作後12年)に延長(昭和42年法律第87号、暫定延長措置)
1969年12月8日 - 発行後13年(未発行の場合は製作後13年)に延長(昭和44年法律第82号、暫定延長措置)
1971年1月1日 - 公表後50年に延長(著作権法全面改正)
1997年3月25日 - 著作者の死後50年に変更(WIPO著作権条約への対応)」

1953年製作されたこの写真は1899年の法律に従うとし、改竄するのは論外だが、木村伊兵衛氏の作品の価値を減じないよう配慮(尊敬の念を込め)すれば、このブログに載せても、著作権上の問題はないと判断しました。
勿論、1997年以降の作品は、作者死亡後50年は、許可なく載せることはできません。(念のため)
木村伊兵衛
ポートレートは、写されている人と、写す人の合意で成り立っているが、スナップは その合意がないまま撮影されています。今となっては、盗撮と、ものいいが入るでしょう。
ポートレートは、被写体の存在そのものにおんぶに抱っこで成り立ちます。光線の具合、ポーズなど、人物の特徴を出せるよう、最善の工夫をするので、プロが撮ると、結果的に ほぼ似たような構図になり、確かにクオリティの高い写真に仕上がりますが、反ってプロの個性は消失します。
電力王 松永安左ヱ門の写真 雑誌、グラフ誌、写真集などで、昔見たことがありますが、松永安左ヱ門の個性が強く、すべてを支配。写真を見る人は、松永安左ヱ門に興味があるので、それを撮った写真家に、それほど注意は払わない。土門拳が撮ったのか、杉山吉良だったか、林忠彦だったか・・・意識しないでしょう。
しかし、そのポートレートも 写真集という形にまとめられると、ようやく作者の力量や何が撮りたいのかの意図が伝わってくるようになります。
一方、スナップでは1枚でも作品として成り立ちます。
写す人の視線が前面に出てくる。その場を見出す眼力、透徹した歴史感覚、人間理解力・・・
この写真、見たときすごいの一言。。
撮影は1953年の浅草とのこと。おそらく神谷バーであろう。入り口から入った所の席なら、窓から射す光から、午前中の撮影!?だろう。浅草へ行くと、朝から酒を飲んでいる人を見かけますが・・・
デンキブランを3杯、少し憂さを晴らせたか・・・頬杖をつく人、気づかれることなく、一瞬のうちにカメラに収めている。神業としか言いようがない。発表された当時、果たしてこの作品評価が高かったかどうかはわからない。似たような状況は、巷にあふれ、その中の1枚のなかに紛れ込んでいたかも。
戦後の復興期、8年目、ようやく生活が少し安定した頃、まだ貧しい時代。前年には、血のメーデー事件もありました。そんな雰囲気を感じます。
スナップ写真は、四角いファインダーで、眼前の一部を切り取っただけですが、臍の緒のように、左右前後上下から、現実が、その四角の世界になだれ込んできます。
ポートレートは、画家の世界、四角いキャンバスの中に思いが閉じ込められている。外と遮断された、完成された世界(美の世界)を作っている。(不要なものは排除、写真は引き算・・・)
ここが、ポートレート写真と、スナップ写真の大きな違いだろうと 思っています。
美しい紅葉を求め、この1ヶ月、撮りまくりましたが、限界を感じました。
美しい景色を撮ろうとすればするほど・・・なにか大切なこと 置き去りにしていないか? ポートレートと同じでは?そんな 疑問がわいてくる・・・変な/嫌な 性格だとは 思います。
ハードデスククラッシュしたので、過去のネガを、再び、スキャンしています。これは、2002年1月、出張で中国の辺境地?(住んでいる人にとっては、中心、楽土でしょう)を旅したとき、朝、1時間ほど時間があったので、散歩して捉えたスナップ写真。木村伊兵衛の作品とは、比べようありませんが、10年、20年と、時が過ぎていけば、資料的価値が出てくるのではと・・・密かに期待しています。
平羅2001年2月-2
肖像権は、著作権とは別。刑事罰の対象外だが、民事裁判の世界になるようです。民事事件の範疇・・・撮られた人の尊厳を汚すことないものなら、10年一昔(子供は青年になる)10年もたち古くなればOKでは、と勝手に解釈しています。これは、外国で撮ったもの。10年以上前の撮影です。一応、自分の心のなかの内規には、触れていません。
平羅2001年2月-3
中国の朝の市場の雰囲気 伝わってきませんか? 北京から西へ約500KM、広い中国は1つの時間、朝は8時ころにならないと太陽出てきません。暖房に石炭が焚かれ、空は汚れていますが、ここはまだ、風に流され、時々、青空が覗くこともあります。
平羅2001年2月-5
この女性は、撮影されていることに気づいていますね。日本人は、黙っていれば、区別つきません。習いたての中国語で話しかけたら、南からきた中国人と 間違えていました。話し言葉が、まったく違うようです。カメラをもってうろうろ・・・南の政府の役人(共産党員)かと思ったそうです。(中国語の通訳が、役所のことを政府と訳して知らせてくれます。地方の役所でも、政府と訳すくらい権限が大きいようです。)
平羅2001年2月-6
貧しいけれど、食材豊か、住む人の顔は穏やかです。急激にこの地も経済発展中。貧富の格差も目立つようになってきたようです。
今、どう変わったか、行って見たいところです。
ただし、寒さはかなりのもの。 季節の良い、6月ころがいいな。




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Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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