「狛犬」 どのように日本に伝来したかを 探ると面白いようです。ルーツは あのスフインクスのようです。
「ライオン」が原型だったようですが、インド、中国と伝わり、日本では「イヌ」に変化しました。本来は狛犬ですが、後年、「こま」の発音から高麗の字が当てられ、それが朝鮮から伝わったものではないかという、説を生んだようです。朝鮮から、仏像など日本へ伝わっていますが、日本の仏教は、空海に代表されるよう、中国へ学びにいき、もたらされたものが、本流です。高麗へ仏教を習いに行った僧?(記録にあるかなぁ)が、ついでにコマイヌを伝えた・・・考えにくいですね。
日本では、最初、お守りの像として、室内に飾られていたものが、屋外に出て、本来の守り像として飾られるようになりましたが、仏閣より神社の参拝道に多いのは、それなりの理由があるのでしょう。サブカルチャーのような気がしますが、民俗学などでは、面白いテーマかも。(そうすれば、朝鮮がルーツか、論争になるかなぁ)

品川にも沢山の神社があり、狛犬が飾られています。荏原神社の狛犬は、名工の手になるもの、戸越八幡神社は、区内で最古のもの(いずれも、江戸時代以降、古いものがないのは近世になってから流行?)とか、能書きはありますが、良いと思うのは、下神明の狛犬。
新しい作りなのでしょうが・・・環境が好い。高い石組みの上に置かれ、辺りを睥睨している。神社の守りは鉄壁という感じです。
そばに高い松の樹があるものの、枝葉に遮られることなく、広々とした空が広がっている。
下神明の村落に轟く狛犬の唸り声が、聞こえてくるような気がしませんか?
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- 2013/12/01(日) 12:13:06|
- 読み解く写真、心に残る写真を・・・
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| コメント:2
獅子がどうして「狗」と表現されるものになったのか興味深いですね。
「狛」≒「高麗」については、仏教受容の歴史の中で大きな位置を占めているとされている聖徳太子の先生について調べてみると何か分かるかもしれませんね。
- 2013/12/02(月) 09:25:04 |
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- soujyu2 #-
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確かに 獅子(ライオン)がなぜ狗(いぬ)になったのか、不思議ですね。いろいろな本、文献を当たれば、氷解するのかも。(神社は狐という先入観に染まっています。)
古代史は、門外漢でも何かロマンを感じ、思いを過去に走らせます。飢饉だ、厄病だと、実際は大変な時代だったのでしょうが・・・
聖徳太子の時代、東アジア、中国、朝鮮、日本は激動の時代、前方後円墳が、韓国で見つかったり、韓国の馬具が日本で見つかったりと、面白い。韓国の古い歴史書、三国志、韓国でうそだと 取り合いませんが・・・なにか、読み解く手がかりになるのでは。学者諸氏の結果を期待しています。
- 2013/12/02(月) 21:54:08 |
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- 錬金術師 #-
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