司馬遼太郎の著作に「街道をゆく」というシリーズがある。
イマジネーションをそそるネーミング。
さすが小説家だと思う。
中原街道から区役所通りを結ぶ細長い通りがある。
歴史のある通りとは思えないが・・・
それをまねて、散歩コースの名にしている。
かつては小川が流れていたが、今、川は下水道となり、道路の下にある。
その長い道路の約2/3は戸越銀座通り、残りは三ツ木通りになっている。
第一波のコロナ騒ぎの時は、
その状況を記録しようと・・・デジタルカメラを抱え、戸越銀座通りをスナップしていた。
殆ど無意味な撮影であったと反省している。

コロナの世界的な感染拡大で、海外との飛行機の減便が続いている。
空には 関心を寄せていなかった。
しかし、そのときすでに、都内の上空を飛ぶ新航空路の試験運用が、始まっていた。
こちらを撮っておけばよかったかも・・・・と反省する。
上空を飛ぶ飛行機が見慣れたものになれば、
それを記録しようという気にならないだろう。
記録すべきは、その初期段階。

今年の夏、各地で局地的な大雨が降り、甚大な洪水被害があった。
ゲリラ的な洪水被害の頻度は高くなっている。
60年ほど前、小川が暗渠となる時、大きな排水溝(下水)が掘られ、
それ以降、戸越銀座と三ツ木の通りが、冠水する被害は殆どなかったが、
近年の傾向を捉え、もう一本さらに地下に排水溝を作る計画が進んでいる。
西品川公園はその拠点となる場所で、
ここから(シールド工法で)掘り進み、中原街道近くまで排水溝を掘る計画になっている。

2,3年のうちに完成してもらいたいものだと思う。

区役所通りにぶつかる。
ここが三ツ木通りの起点。
大崎を経由し埼玉と湘南を結ぶ、湘南ラインの電車が走っていた。
右の角地にガソリンスタンドがあったが、営業を止め、今は更地になっていた。
去年は営業していたような記憶が残る。(果たして、写真に記録してあったか・・・定かでない)
知らないうちに、徐々に、三ツ木の通りも変化していく。
写真は記憶の鏡なのだろう・・・・
昔 撮った写真を見ていると、
そのとき、どんな思いでシャッターを切ったのか、
どんなことを注意して、現像したのか、
個人的な思いが、記憶の底から浮かび上がってくる。
写真は、ごく個人的な、その人のための記録に過ぎないが、
それが原点なのだろう。
撮影者の個人的な思い出が減り(なくなり)、
一般化すれば、万人に受け入れられる報道写真 あるいは商業(広告)写真となるが、
何が写っているかが関心の中心で、誰が撮ったかは、それほどの関心事にはならない。
(絵画なら画家の名が、小説なら著者の名が心に残るのに・・・・)
スポンサーサイト
- 2020/08/20(木) 14:29:38|
- 散歩
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0