土地の名は重層的、古い呼び名の上に、後で区分けした名前がかぶさる。
戸越の名は江戸時代に名付けられたもの。
ここから江戸の町の外、江戸を越える「とごえ」からきている。
明治以降、行政上の区分から、たびたび変更がある。
最後の極めつけは郵便番号の区分けの時、
由緒ある地名が消され無機的な~~〇丁目となってしまった処もある。
東急池上線の戸越銀座駅は「平塚2丁目」(1丁目と2丁目の境)にある。

駅から歩いて5分もすると、このグラウンドに着く。
ここには嘗て荏原第二中学校があった。(町名は平塚三丁目)
今は統合されなくなって、跡地はグラウンドとして利用されている。

星薬科大学のテニスコートのブロック塀に、
埋め込まれたような電話ボックスが設置されている。
街頭から公衆電話がなくなっているが、これは奇跡的に残っている。
それほど人通りの多い場所ではない。
誰が利用するのか、ちょっとミステリー。
星薬科大学は荏原二丁目にある。
このグラウンドは道路を挟んだ場所にあり、町名は小山二丁目に変わる。
しかし、地名の記憶としては「後地」だろう。
少し行くと後地児童センターや、交差点に後地の名前が残っている。

テニスコート横の細道は小山と荏原の境にある。
そこを突き抜けると、桐ケ谷の通りにぶつかる。
その向こうに見えるビル群は西五反田にある。
東京上空を羽田に向か空路が新設された。
騒音、落下物の危険性があり、反対の声がある。
戸越の空を飛ぶコースにはなっていないが、
それでも夕方になると、近くを通り過ぎる飛行機もあり、確かにうるさい。
どうにかならないものかと思う。
桐ケ谷という町名はないが、
町名より「桐ケ谷」と告げた方が、方向を捕まえやすい。
それが本来の地名だからだろう。

桐ケ谷道を右に折れ、中原街道と第二京浜国道の分岐点近くへ進む。
町名は荏原一丁目となるのだろうが、旧中原街道入口に近いので、
どうしても「中原」という名が出てきてしまう。
江戸時代、この道(桐ケ谷道)を、
品川の宿から目黒不動へ、参拝の人が行き交ったのだろうと想像する。
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レンズは古いライカのノンコート・エルマーを、フィルムは中国製上海GP3を使用した。
フジフィルムのNeopan SSに似たフィルムだと思う。
意外と使いやすい。やや硬調な現像液(Ⅲd)で現像した。
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- 2020/06/26(金) 10:09:48|
- 散歩
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