アンセルアダムスの言葉だったかも。
被写体を発見し、光を読み、カメラをセットしフレーミング。
一瞬を狙い、シャッターを切る。
暗室に入り、撮影したフィルムを現像し、ネガを得る。
そこまでが作曲に相当する。
出来上がった楽譜(ネガ)を演奏することがプリントという作業。
プリント作業には、
印画紙の材質の選択、号数(軟調から硬調まで)、プリントの方法(覆い焼き、焼きこみなど)まで
多岐にわたる選択肢がある。
技術の習得の差は 演奏の良し悪しに直結する。
それがフィルム写真だった。
1950年代のプロの写真家は、自宅に暗室を設け、自分の手で、あるいは助手を雇い、
自分の責任で写真を作っていたのではないだろうか。
今でも白黒モノトーン写真に拘るプロはいる。
そういう方たちは、おそらく今も自分でフィルムを現像し、自分でプリントし 作品を作っているのだろうが・・・・
そうやって丁寧にプリントされた写真の市場性は・・・日本ではまだ おそらく今後も あまり大きなものにはならないだろう。
文化、伝統、意識が違うから致し方ない。
「ネガは作曲、プリントは演奏」 この言葉には納得している。
小生は道楽、己の楽しみで撮っているだけなので、 この言葉には納得している。
自分で作曲し、自分で演奏して、自ら自分の曲を楽しんでいる。
これでいいではないかと思う。
デジタルには、この途中の楽しさが欠損しているような気がしている。
「ネガは作曲、プリントは演奏」の楽しさ、Phone-Camera(デジタル)で、
楽しめるだろうか?
デジタル・カメラ(Phone-Camera) には、フィルム写真にない楽しさがあるのだろうが、
小生は まだよくわからない。(見いだせず、すぐに飽きてしまった。)
----------------------------------------
Acros100フィルムで撮影。
Acros100で使える一番硬調な現像液(Ⅳo)で現像した。
ネガをフィルムスキャナーでストレートに取り込む(プリント操作)

黒潰れも白飽和もしない、ごく普通のプリント。
これでは面白くないと、再度 フィルムスキャナーの設定を変え(トーンカーブをより硬調に、全体を焼きこむようにして)取り込む。

白黒写真は、暗く焼きこんでいくと 「プロ」ぽく見える。
安易だと思うが、焼きこんでみた。
そして意味深な題をつける・・・という誘惑に駆られる。
(時分を大きく見せたいという願望)

ネガをストレートに取り込むでみる。
PCなどのモニター画面に表示するということは、プリントしたようなものだろう。
洗濯ものが もっと白く輝いていた印象がある。

コントラストがもっと効いてもいい。
そこで、Photoshop(レタッチソフト)で、トーンカーブと、画像の濃度調整、コントラストを調整する。
これも、演奏の一つの有り方だろう。
最終的には、印画紙に似た(高級)紙に印刷し演奏は終了するのが小生のスタイル。
(現在のモニター画面では、表現力が不足している。写真の階調性の良さが出てこない)
デジタルで撮影している人は、紙は不要と、
モニター画面、フォト・フレームに表示させれば それでプリント終了とする人も増えているようだ。
(画質が悪くてもそれで満足するようになっているのだろう。「悪貨は良貨を駆逐する」かなぁ)
高解像度、ダイナミックレンジの広いモニターが 廉価で手に入るようになればいいのだが・・・
これも 新しい楽しみ方なのだろうが・・・・こうなると写真のプロが育つ環境 益々低次元になりそうだ。
量のない質はないというが、デジタル写真になり、簡単に綺麗な映像が撮れるようになると、
夥しい量の写真が氾濫してきた。
すると相対的に、写真の市場ニーズ・価格は低下(誰でも撮れるなら、より安い価格提示できる人・プロに依頼)する。
結果的に プロが育たなくなるということになりはしまいか?
「銀塩写真の20世紀は映像の世紀だった。」
では「デジタル映像の21世紀は○○の世紀」
○○にはなにが入ることになるのだろう?
スポンサーサイト
- 2020/02/28(金) 10:51:12|
- 写真の技法
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0