カメラの申し子ではないかと思う写真家に アンドレ・ケルテスがいる。
写真家としては、あまり恵まれてはいない。
第一次世界大戦と、第二次世界大戦の間の平和な時代、
パリで活躍した写真家。
たまたまアメリカに仕事ができ滞在しているとき、
第二次世界大戦が勃発、パリ(欧州)へは戻れなくなった。
ハンガリー出身のユダヤ人だったので、帰れば、おそらく命はなかったろう。
気の進まないコマーシャル・フォトで、どうにか生活していたようだ。
彼の写真は構図に厳しく、アメリカ人の好みには合わなかったようだ。
きっちりしたややもすると厳格ともいえる、付け入る隙のない構図ではあるが、
それでいて、やさしさ(親しみ)があり、
ほっとするものを感じる写真が氏の写真の特徴だろう。
クライアント(発注者)の意図には従わず、
写真(被写体)が勝手にしゃべりだす・・・・そんな感じの写真が多い。
アンドレ・ケルテスのように撮れたらすごいだろうなぁとはおもう。

そして、アンドレ・ケルテスを意識して撮ってはみるが・・・・
そうはできない。カメラの眼が違う。
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ライカが発売されると、その有用性に気づき、早い段階からライカを使っていた。
同じハンガリー出身のキャパに、写真術とライカを教えたのは、
アンドレケルテスではないかと(小生は勝手に)想像している。
(キャパの初期の作品は、ライカカメラにズマールレンズで撮られてたものが多い)
フランスの巨匠カルチェ・ブレッソンにも影響を与え、
ルーマニア出身のブラッサイに写真術の手ほどきをし、
(そのころはルーマニアはハンガリー帝国の中にあった)
夜景の撮り方を伝授した・・・と勝手な想像をしている。
(夜のパリを撮影し、ブラッサイは一躍有名になる)
カメラの眼をもって生まれてきた人、
それが、アンドレ・ケルテスではないかなぁと思う。
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- 2019/11/20(水) 21:31:10|
- 樹、草、花
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