写真はメッセージ性が強い。
犯罪捜査では、現在でも犯行現場は丹念に写真が撮られ証拠品となる。
現実に見ているその場を、正確に記録しているという信頼がある。
もし、写真を加工・切り貼りし報道写真を作ったら、
それが判明したとき、
報道写真の信頼性は失われ、ジャーナリズムは崩壊する。
商品の宣伝に使うコマーシャル・フォトも同様だろう。
写真のメッセージ性は強い。
写真に捉えたものは、「そこに確かに存在する」という信頼感があるので、広告写真が成り立つ。
ところが、写真が加工され、商品が「そこに存在する」ものとは非なものであったら、
裏切られたという悪感情しか残らないだろう。せっかくの夢が覚めてしまう。
ファッション誌の写真は レタッチソフトで、モデルの体形を加工・合成することを禁じている。(と思う)
消費者の信頼を裏切る行為は、
会社のイメージ、ブランドのイメージの低下は避けられず、経営を危うくする。
目を開け、眼前に見た光景を これは自分の心の投射、「心象」であると思える人には 心象風景写真は撮れるのだろうが、
目を開けてみた光景・風景を 二次元の平面に正確に記録してくれるのが写真だと認識する人には、心象風景写真は撮れない。

写真は 目の前の光景を 記録するものと思っている。
この写真に小生の心の投影(心象)が一つでもあるだろうか?
そんなの何処にある?(自分の心の内など)写せないよと思う。
でも、タブノキ自体の存在感・メッセージ性は感じている。
それを出したくてフレーミングに注意した。
被写体ファーストで、撮っているだけ。
カメラを握る人は、自分の存在をなるべく消し、透明人間になったほうがいいと思っている。
大切なのは被写体だろう。
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- 2019/09/30(月) 09:35:55|
- 黒い花 怪しい花
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