昭和28年(1953年)ごろ、この駅から汽車に乗り 新潟の小出の伯父の家に行った記憶がある。
大人の誰に連れられて行ったのか覚えていないが、兄が一緒だったことは覚えている。
当時は今で言うSL、蒸気機関車だった。
トンネルに入ると 慌てて窓を閉めたことを思い出すので、夏休みだったのだろう。
トンネルを抜けると 確かに違う風景が広がっていた。
記憶をたどれば、この駅には何度も来たことがあった。
しかし、思い出すたびに、記憶は更新される。
嫌なことは流され、ほかの記憶がその中に、忍び込み、新たな記憶となってしまうらしい。
当時 列車は混んでいて、席を取るのが大変だった。
列車が止まると、我勝ちにドアーに殺到し押し合うように、車内に入っていく。
でも、立って乗った記憶はなくなっている。
ボックスの席に座り、冷凍みかんを食べた記憶が残っているだけ。(それとても、不確か、別の記憶が混入したのかも・・・)
記憶は思い出すたびに「これが記憶だ」と新しく記憶しなおされるのだろう。

何度も来ているのに、写真を探したがなかった。
もし、写真があれば、記憶の錯誤もある程度防ぎ、
当時のことを正確に記憶として記録しなおせるだろう。
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幼児の頃の記憶を辿れば、
壁画は違った絵だった気がする。
ビュープラザの建物はなく、広い改札口が横一線に並んでいた。
屋根はもっと高く、アーチ型(ドーム?)で、コンコースは薄暗かった。
そのコンコースに、今は
iPoneで撮った写真が大きな広告になって飾られていた。
時代は変わる。
当時 写真を撮るのは 特別のときだけ。
この広場の写真を持っているとしたら、
写真好きの好事家か、新聞社などの資料室だろう。
今は Phone-Cameraの時代。
写真は日常のことになった。
いい時代になったものだと思う。
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- 2019/09/15(日) 10:26:34|
- ある場所、ある瞬間
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