プロとアマの力量が、はっきりと区別できる分野がある。
たとえば 将棋とか、ゴルフ。
アマのチャンピオンでも、プロに勝利することは難しい。
勝負の判定基準は公明正大。
判定は覆らない。結果は明かで、すがすがしい。
人間のへんな忖度、えこ贔屓は入らない。
写真はどうなのだろう?
有名な逸話?コメントか?に、
ヒンデンブルグ号爆発事故の写真(Photograph)はすごいが、
撮った人を写真家(Photographer)とは呼ばない。
なぜなら、もう一度 同じヒンデンブルグ号の事故を撮れないから。
では、優れたプロの写真家とは どんな人、どんな力量を指すのか?
Phone-Cameraを誰もが持つ時代、
目を引く事故や アクシデント的な面白い写真は
偶然そこに居合わせた人が撮ったものがほとんど。
あるいは、自動で記録する車載カメラの映像であろう。
写真を撮る力量は 関係ないといえる。
カメラの進歩は 撮影技術の壁を低くしてしまった。
アマもプロ並みの写真を撮っている。
プロがプロである力量を見せ付ける場所が狭められていると思う。
その象徴が、キヤノンギャラリー S 100回記念として開催された森山大道の「遠野 2014」展だろう。
ここで氏はキャノンのコンパクトデジカメを使用し、「森山大道調」のプリントを展示していた。
画像データを森山氏の指示に従い加工し、プリントしたのは、キャノンの優れた技術集団だったのだろう。
90cm幅のプリント用紙に、キャノンの誇る大型プリンターで作品を作っていた。
Tri-Xフィルムでなくとも、デジタルで 大道調が表現できる。
しかも、キャノンの技術者の手で・・・・となると
将来、「大道調」写真を作るフィルターソフトが 市販されるのでは?と思ったが、
現実は もっと進んでいる。.
レタッチソフトを駆使し、森山大道風 写真をつくる人が出てきた。
カラーフィルムになり、写真家自身が暗室に閉じこもり、
現像や焼付けをする人は少なくなっていた。
優秀なラボに現像と焼付けを依頼した。
暗い暗室から明るい暗室へ、
予算のついた仕事か、自腹で行なうか、
それが、プロとアマの差になっているのかも。
急速にプロとアマの境界が不鮮明になっていると思う。
名を伏せて写真を見たら、写真の優劣は、はっきりしない。
好みとしか言い様はないが、
写真家としての名声、忖度、受け狙い、えこ贔屓、販売戦略など
外部要因に引っ張られていることにならなければ・・・と思うが、
どうなんでしょう。?
森山大道のすごさは、遠野物語のトーンではなく、
艶のある黒のアメ車のボディー あの写真(トーン)だと思っている。
このトーンは出せない。
プロの作品だろう、達成できないくらいの断絶がある。



何度も挑戦するが、未だし。
真似すらできていない。
デジタルだと 艶のある黒 表現できているだろうか?
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- 2019/08/27(火) 12:02:43|
- フィルムの眼
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