「ネガは作曲、プリントは演奏。」
まだ、誰もが気軽に写真を撮ることができない昔、
放蕩息子がカメラを玩具代わりに遊んでいたころの言葉かも知れない。
写真を撮る人は、暗室でフィルムを現像し、ネガを作り、それを印画紙にプリントしていた。
浮世絵に喩えるなら、絵師、彫師、摺師の三役を、一人で演じたことになる。
ところが、映像の役割が拡大するに従い、分業化が進み、
現像やプリントは街の写真屋、プロラボなどに頼むようになる。
フィルム・カメラを持った人は、撮影に専念すればいい。
あとは、ラボ(写真屋)にお任せで写真(作品)が完成する。
フィルムカメラを持った人に 唯一残された範囲は、
人の気の引くキャッチーな場面を探すこと。
そして、それを記録(シャッターを押す)すること。
撮影したあとの大事な部分、
「ネガは作曲、プリントは演奏。」
という考えは薄れてしまった。・・・・写真を「撮る、撮った」という感動は 暗室にあったのかも知れない。
失ったものは大きいように思う。
ニコンF(1966年?東京オリンピックの次の年だっかた?)を手に入れてから、
白黒フィルムの現像、印画紙への焼付けは 全て行なってきたので、
現像・焼付けは、ごく当たり前の操作、それが格段楽しいこととは感じなかったが、
改めて 現像液や現像法を 工夫してみると、やはり面白い。

ソラリゼーション現像で、トーンが逆転する少し前で終了したネガから起こした写真。

ソラリゼーション現像を 弱くかけた段階で現像を終了したネガから起こした写真。
ソラリゼーション現像しなくてもいいし、進めてトーンを逆転させてもいい。
どこまでにするかは、作品を作る人に任される。
撮影から最後のプリントまで行なうと、
写真を撮った人の、覚悟・ものの見方・感性・知性・品格が出てしまう。
それが、写真。
そこにデジタルカメラが登場する。
技術の進歩。
明るい暗室を使えば・・・・
絵師、彫師、摺師の三役を、一人でこなせる。
人の手を借りなくとも、撮影からプリントまで一人でできるようになった。
現像・プリントまで その人の流儀で行なえるというのは
作品の良し・悪しは 全て撮った人にかかっている。
誰もが、その気になれば 簡単に(放蕩息子でなくとも)できるとは、
いい時代になったとおもう。
だからこそ、写真に撮った人の、覚悟・ものの見方・感性・知性・品格が 前面に出てくるはず。
しかし、金太郎飴のようなデジタル・フォトが、多いのはなぜ?
今はまだフィルムとデジタルの過渡期なのでしょう。
これから、デジタルの新しい展開があるのだろうと、期待している。
(フィルム写真の真似は避けて欲しいなぁ)
スポンサーサイト
- 2019/06/10(月) 15:30:20|
- 黒い花 怪しい花
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0