戦前の話、もう80年くらい前のことだが、
アンセル・アダムスは「ゾーン現像」という手法を考案する。
ゾーン現像では だめだという人もいるが、
撮影から現像、そしてプリントまで、ゾーンという概念を駆使し、
写真のトーンを調整する方法は、その後の写真に大きな影響を与えたと思う。
ネガは作曲、プリントは演奏。
写真は最終的にはプリント(演奏)で完成する。
ネガを作るまでが一仕事、それをプリントに仕上げるのもまた一仕事。
45年ほど前、氏のオリジナルプリントを 美術館で見たことがあった。
丁寧にプリントされた一枚の写真に感動し、見入ったことがあった。
(ある意味 打ちのめされていた。己の技能を棚に上げ、手にしていたNikon Fに悪態をつく。これでは撮れない。)
どのようなトーンのネガを作るかが最初のステップ。
被写体(何を撮りたいか)に応じ、フィルムを選び、フィルターを選び、カメラを選ぶ。
目的にあった露光(適正露光)で被写体を撮影。
現像液を選び(硬調、軟調、微粒子・・・・)、現像法(二液、希釈、ソラリゼーション・・・)を選び、現像しネガを作る。
マミヤプレスは着脱できるフィルムホルダーを使う。
違った種類のフィルムをフィルムホルダーに入れておけば、交換し使うことができる。
大崎の「つわぶき」を撮影したときは 2つのホルダーを持っていき、同じフィルムで撮影した。
それを 現像法だけ変えて 現像してみた。

(Ⅰ)現像液を使い、通常の標準現像を行なった。

フィルム、フィルター、露光は まったく同じ、フィルムホルダーを交換し、同じフレーミングで撮影。
それを(Ⅰ)現像液を使用して、弱めの「ソラリゼーション現像」を施した。
同じものを、同じフィルム、同じ条件で撮っても、現像法を変えれば、また違ったトーンになる。
それが、表現したいものに近づいているかどうかを判断するのは 小生(表現者)なのだろう。
これは絵画のデッサンのようなもの、試行錯誤しながら 自分で正解と思うものを探すだけだろう。
遍界かつて隠さず(遍界不曾蔵)
何も隠しているわけでもないのに、
そっぽをむいて、見ようとしない。
カメラを抱え、キャッチーな処を求め右往左往。
見たいところだけ探し、見栄えを優先し
あるいは見栄えを演出して写真に撮る。
綺麗な花を撮った写真は多い。、
しかし、美しい花の写真が多いだけで、写真(そのもの)が美しいという写真には なかなかお目にかかれない。
ああ綺麗な花だなぁとは思え、(また 同じか・・・と)印象に残らず、写真そのものは すぐに忘れる。
もし、写真が美しいなら、花ではなく写真を覚えている。
そして、「~~の花を撮ったあの写真」が 忘れられないと言うだろう。
怪しい植物を撮ってみたいという気持ちはある。
「写真」(Photograph)そのものに拘りたいから。
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- 2019/06/07(金) 12:07:54|
- 黒い花 怪しい花
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