使えるカメラは 古くなっても捨てることないので 段々と増えていく。
使わなくなっても、一年に一回くらいフィルムを入れて撮って、壊れていないかチェックする。
古いソ連邦時代のZorki-4を使ってみた。

1967年製 ソ連邦成立50周年記念に作られたカメラ。
その共産主義国家もそれから30年も経ず1991年に崩壊し、ロシア連邦となる。
Zorki-4は ソ連邦時代の高級カメラだろう。
頑丈にできている。
レンズは ツアイスのレンズを真似、カメラはライカを参考にしている。
シャッター速度は1秒、1./2、1/4, 1/8, 1/15, 1/30, 1/60, 1/125, 1/250. 1/500, 1/1000秒
レンズは ライカのスクリューマウントで テッサータイプのInduster-22, Induster-50など
ゾナータイプの Jupiter-8 (F:2ゾナー)Jupiter-3(F:1.5 ゾナー)もある。
ツアイスのコピー 80mm F:2 135mm F:4 35mm F:2.8など 各種用意されている。
ファインダーは当倍なので見やすく、また視度調節もあるので、使い易い。
無骨で重い、シャッター音が大きいという欠点はあるが、1960年代では、トップクラスのいいカメラだと思う。
世界大戦の後、ソ連邦と西側諸国の間に溝ができ、ソ連邦製のカメラが西側諸国に輸出されることなかったが、
もし、政治的に対立せず、共産国家と貿易が進んだら・・・・
KievⅡやZorki, フェッドのカメラが世界市場に溢れ、日本の写真工業、スタートアップ難しかった・・・と思ってしまう。
1950年代 KievⅡが西側諸国に輸出されたら、S型ニコンは売れなかったと思う。
Zorki-4は、いいカメラだけど・・・無骨、重い、ライカのスクリューマウントカメラなのであまり使わない。
ソ連邦 ウクライナのキエフKievⅡ(コンタックスマウント)は、ニコンSPと同格の扱いで、かなりの頻度で使っている。
9月6日の日曜、Zorki-4を持って散歩。

氷川神社のお祭りの列に会う。
氷川神社は桐ヶ谷通りに面し、不動前駅に近い。
場所は 第二京浜国道と中原街道の分岐点(追分)TOC(東京卸売りセンター)ビル前の通り。
国道が境界になっているのだろう。

歩道橋の上から撮影した。
星薬の横道を抜け、林試の森を横断し、細い遊歩道を抜けて、写真用品を求めて三宝カメラ店へ。
距離はちょっとあるが、散歩、散歩、足が衰えたら駄目と 自分を奮い立たせる。

広い道に出たら、ここでも祭りの隊列に会う。

地番は目黒本町だけど、地区的には、碑文谷。 碑文谷八幡の祭礼?だろうか。

氷川神社の祭列には格式を感じたが、こちらは、地域に根ざした当たり前のお祭り。
これもいいなぁと見送った。
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- 2018/09/22(土) 22:58:00|
- 散歩
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