FC2ブログ

本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

Olympus ∞Stylusで撮る  下神明にて  カメラの原点 透視図法

朝食を済ませ、さて今日はどんなことして遊ぼうかと、TVをかけながら ぼんやりと考えている。
すると∞Stylus アトラクティブなネーミングが 心を横切る。
このごろ  ゼロや無限をぼんやりと考えてしまう。
この世に果てはなく、時間は∞に続くとしたら、人間の一生など80年/∞年→0(Zero)。
小生の残りの人生も無(0)?かなぁ。
その0と1の数直線の間にも、無数の∞が存在することに気づく。
1/2,1/3,1/4 ・・・・・1/n  n→∞とすれば無限の数が0~1の間にある。
いたるところに∞がひそんでいる。
数学者はそんな世界を相手に思考実験を行い、数学を組み立ている・・・・気が狂わないのかなぁ?

ギリシャの哲人達も気づいていたのでは?それを巧妙に考えないようにしていた・・・・
遠近法、透視図法は、ユークリッド幾何学を基礎に発展してきた。
無限遠(∞)と消失点(Stylus)を設定し、3次元の世界を平面に投影し絵を描いてきた。
古代ギリシャの舞台美術では 既に使われていたという。
ルネッサンスになり、ユークリッド幾何学が再びヨーロッパ文明に復活する。
透視画法を作成する装置としてカメラの原型が考案される。
江戸時代、西洋絵画を見た日本人は驚いたという。
日本が先生としてきた中国絵画とは違い、
まるで目で見ているかのようにそっくりと描かれてたから。
その後、幕末になりカメラが渡来すると、
これが西洋絵画を描く装置と合点する。
Photographは 本来「光の画」と訳されるべきもの。ごく初期には「光画」と訳されたようだが、
人の恣意性を拒絶し、現実を正確に記録できる装置へのショックが大きかったのだろう。
絵画を描くためには、長く厳しい修行が必要。
経た後でも目の前のものを正確に紙の上に書き写すのは難しい。
それを人間の技量の優劣を問題にせず、この小さな箱は やって見せた。
これは、うそ偽りない「事物の真の姿を記録」できている。
その画は「写真」と呼ぶべきだと、一般化する。
下神明1102-37 Ⅱ
下神明1102-38 Ⅱ
カメラという装置は、人の恣意性を拒絶する。
まだ、その装置が未熟なときは、扱うのに専門知識が必要で、ごく一部のインテリでないと扱えるのものではなかった。
しかし、そのときから一貫して写真の原版(ネガ)は人間の恣意を拒絶してきた。
目をもっとパッチリと大きくとしたいなら、暗室で格闘して合成した。
不要なものが映っていたら、それを覆い焼きしたして隠したり、焼きこんで潰したり、
あるいはほかのネガを使って合成して埋めたりした。
でも、シャッターを押した瞬間、被写体はそのまま正確に記録され、ネガに恣意性が入り込む余地はない。
同じカメラ、同じ場所、同じ瞬間に立ち会えたら、誰でも、同じような写真が撮れる。
カメラが未発達の時は、カメラに習熟した人のほうが、上手い写真が撮れた。
光を記録する平面板も、湿式コロジオン硝子板から、乾板が発明され、フィルムになり、半導体素子へと発展してきた。
デジタルになり装置がよくなると、カメラの扱いが楽になり、画像の質(クオリティ)はあがっている。
昔の有名カメラマンが撮った風景を、アマチュアが同じ場所に立ち撮影すると、
ずっと綺麗な写真を撮ったりしている。
天気、季節、時間帯を選ぶことが重要。
光の状態のいいときに巡り合いさえすれば・・・・撮れてしまう。
それが写真だろう。

写真ブログをサーフィンし どんな写真を皆さんは撮っているのかと覗いてみる。
綺麗な被写体を見つける、綺麗な女性にモデルになってくれるよう頼む、
綺麗な場所へ行く、綺麗な花を撮る、関心を寄せるものを撮る そんなサイトを見て歩いた。
すると、綺麗で上手な写真のオンパレード。
カメラに習熟しないと、上手な写真を撮ることができなかった時代は終わり、
息を吸うように綺麗な写真を撮ることができる時代に入っている。
綺麗なものを綺麗に撮ったからといって 写真が綺麗なわけではない・・・・と土門拳は警鐘を鳴らす。
写真の上手な人は多い。
小生の好きなカメラマンにクーデルカがいる。
彼より写真の上手な人は沢山いるだろう。
でも、彼ほどいい写真を撮る人は少ない。
綺麗な写真、上手い写真を撮ることのできるカメラは、
デジタル技術のおかげで完成に近づいている。
求められるのは いい写真だろう。
いい写真とは、小生にとって 語りかけてくる写真。
語りかけてくる内容がすばらしいからいい写真なのだと思う。
ことし初めの頃だったか、恵比寿の写真美術館で見たユージン・スミス展にも いい写真が展示されていた。
写真装置(カメラ)を追求したら、誰でも簡単に綺麗な写真撮れるようになってきた。
カメラを使う到達点は、上手い写真、綺麗な写真ではなく、いい写真をとることなのだろう・・・・と思う。
語りかけてくるものは、ささやかで 聞き取れないかもしれない。
しかし、写真にはそんな力があるように思える。
ユージンスミスもクーデルカも、彼らの知性は事物の底に、誰も気づかなかったzero(nothing)を発見し、意味を探り当て、写真に写しとめたから、いい写真が撮れたのだと思う。
クーデルカは nowhere撮った。スミスは水俣で人間の心の「無」の深淵を撮った。
それはささやかかも知れない。感じ取れない人もいる。それはそれでいい、それが写真。
その写真にstylusから語りかけてくる何かを感じ取れるか否かは、見る人の知性によるのだろうなぁ・・・と思う。
教訓だったり、感動の共有だったり、深く考えさせられたり、何だこれはと人間の深い淵を見せつけられたり・・・・
それだけで、人生が豊かになった気がするだけ。
もとより、知性を比較する物差しもない。
テスト方法はないから、高級も低級もないし・・・・ね。

ぼんやりと そんな夢想に耽っている。
東京は 雨が降り始めている。
カメラを持って散歩しようとしたが・・・・
明日、日曜日はOKだろう。



スポンサーサイト



  1. 2018/06/23(土) 11:47:55|
  2. ある場所、ある瞬間
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<池袋から新大久保まで    一本のフィルムで撮ったもの (縦) | ホーム | ∞Stylusで撮る   五反田散歩>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://alchemystsasaki.blog.fc2.com/tb.php/1206-91bd137b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
Phone-Cameraの時代、フィルムで撮ることの意味合い、意義はあるだろうか?と懐疑的になっている。写真の置かれている場所・期待・求められているものが根底から変わってしまったのかもしれないと思っている。
それでも、もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

最新記事

月別アーカイブ

カテゴリ

読み解く写真、心に残る写真を・・・ (117)
思い出の写真 (25)
遥かなる寧夏 (35)
新幹線の見える街 品川 (6)
フィルムの眼 (81)
レンズの眼、カメラの眼 (31)
デジタルカメラは記録機器 (13)
映し出された世界 (28)
水辺の光景 (18)
勝島運河 (16)
写真の技法 (146)
旅行・観光 (7)
ある場所、ある瞬間 (93)
デジタルで遊ぶ (29)
Silent City (8)
??? (21)
Street Photograph (26)
都会の景観 Tokyo (195)
Night walk in Tokyo (33)
散歩 (234)
猫、犬、鳥 (9)
白木蓮 (18)
黒い花 怪しい花 (53)
樹、草、花  (63)
桜  (118)
ひまわり (38)
竹林 (11)
八つ手 (9)
百日紅(さるすべり) (29)
オールドレンズの密かな楽しみ (33)
人物 ポートレート 踊り (35)
Photo彩遊 (27)
品川宿 (9)
その他  (31)

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR