勝島運河を散歩していた。
護岸に菜の花が咲き、早春の風景に季節は変わっていた。

菜の花まで2mくらい、絞りを利かせ撮影。

更に50cmくらい近づき、絞りを開けて撮影。
写真のフレーミング(構図、切り取りかた) そんなに種類は多くない。
大判カメラを使おうが、レンズを替えようが、
画家の道具だった「カメラ」には限界がある。
画家に許された自由度(創造性)ほど、
「カメラ」に自由はないと思う。
写真でも絵画でも被写体は必要。
しかし、画家にとって重要なのはモチーフ。
被写体の何に即発されたのかデッサンを重ねモチーフを確かなものにしていく。
やがて被写体を離れ、自分の構図、フォーム、色彩を作っていく。
しかし、写真は、その被写体から逃れることはできない。
すこし沢山 写真を見たり、撮ったりしていると、
うまいとされる構図に近づき、同じような撮りかたになる。
お手本を真似ているようなもの。
これ 創造的といえるだろうか?
絞れば 説明的、どんな場所だのかわかる。
背景をぼかせば、興味を持ったものが浮き上がる。
順光を選ぶか、逆光か、斜光を狙うか、
これらは、定型化された・・・・多分に技術的な事柄だと思う。
二枚目の写真は背景をボケるように撮影していますが、
撮影者の意図、何に感動して撮ったかわかりますか?
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たいしたことではありません。
どの程度ボケるものか、確認で撮ったまでです。
一眼レフやデジタルカメラなら、ファインダーあるいは液晶画面で
ボケ方(ボケ量)は撮らずとも確認できます。
レンジファインダーカメラはそれができない。
レンズに刻まれた被写界深度がガイドの役目、それを確認しながら
・・・・おそらくこうなるだろうと予想してシャッターを切ったまで。
多分に技術的です。
直感で撮ることも、情感で撮ることも 小生にはできない。
ちょっとおもしろいかなぁと思ったら、
カメラを向けてシャッターを押すだけです。
あまり創造的ではありません。
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- 2018/02/27(火) 10:50:08|
- レンズの眼、カメラの眼
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