50mmの画角に慣れた眼には、望遠レンズでどう切り取っていいものか、途方にくれるときがある。
NikonF用 ズームレンズ(35-70mm、43-86mm、28-80mmの3本)を持っているが、
使ってみると望遠側で使うことはまれ、標準の50mmか、それ以下35mmくらいで使っていることが多い。
そこで、レンジファインダーカメラに、50mmレンズかそれ以下の広角レンズをつけて散歩にでることが多い。
「望遠は技術」の呪縛から逃れられないのかも。苦手意識は高い。
それを払拭するため、望遠レンズをつけて、散歩にでるようにしてみた。

新橋のガード下。
広角レンズや標準50mmではよくスナップする場所。

広角レンズでこのショウウインドウを撮ったことがある。
望遠で切り取ってみる。(広角レンズのほうが迫力がある。)

日比谷公園にある松本楼、度々ここで撮影するが、望遠レンズで撮ったことはない。
望遠レンズは難しい。
人物にピントを合わせたつもりだが・・・かなりの前ピンになっていた。
人物の特定ができないので・・・・これもありかなぁと失敗も成功と前向きに評価。
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レンズは3枚レンズのトリオータータイプ。
ニューヨークにあった小さな光学メーカーの製品らしい。
戦時中、敵国ドイツからライカのレンズが入らなくなったので、
計画されたスクリューマウント(日本ではLマウントと呼ばれる)の望遠レンズ、105mm f:4.5.
しかし、戦時中には間に合わなかったようで、戦後の販売となる。
そうなると、需要はそれほど掴めなかったのか、会社はやがて倒産したらしい。(よくわかりません)
以下は 小生の推察(根拠は貧弱)。
生産本数は 1000本。 ネットを検索したが、レンズ番号はA+4桁の番号で、1000番台のレンズしか見当たらない。
レンズにブルーのコーティングが施されていた。
ドイツ・ツアイスのコーティング技術が 戦勝国により公開され、その技術情報を知り、自由に使えるようになったのは1946年ころだろう。ニコンのレンズにブルーのコーティングが施されるようになったのは1947年製のレンズからだったと思う。
ネットで調べると、PAM-Britar 105mmレンズを中古で売買した実績があるのは、
日本と東南アジア、ヨーロッパ、米国では見つからなかった。
製造会社は、1950年を待たず倒産、資産売却、売れ残りのレンズは、二束三文の安値で売られていたのかも。
戦後 大きな米軍基地があったのは 日本とフィリピン,
1950年には朝鮮戦争があったので、沢山のアメリカ軍人がやってきた。
そのときチープなライカの望遠レンズとして持ち込まれ、朝鮮戦争休戦となり帰国する戦士が換金し帰国。
日本にPAM-Britarレンズが残ったのではないか・・・・実態は、違うかもしれないが、
小生の幼少期と重なりそんな想像をしている。
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- 2018/01/26(金) 11:58:12|
- 都会の景観 Tokyo
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