その昔、身分不相応な高級カメラを手に入れ、最初に写していたのは、雄大な風景だった。
Ortho25フィルムを使ってみて、今、それを思い出している。
アンセルアダムスのオリジナルプリントを見たのが、転換点。
圧倒されてしまい、手も足もでない・・・・
小生は、単に美しい風景写真を撮りたいと思っただけ。
しかし、アンセルアダムスの写真は違っていた。
小生には、腹に一物もなければ、何かを撮らなければという志も希薄だった。
すごすごと風景写真からは撤退していた。
今も、楽しみで撮っているだけなので、レベルは当時とあまり変わらない。
志は 考えるまでもなくない。
でも、楽しめる。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
アンセル・アダムスの言葉、
フィルムで撮っているので、納得できてしまう。
その通りだと思う。

これが最初に感じたイメージ。レタッチソフトの調整は最小限に抑えた。
印画紙に焼き付けるなら3号印画紙で焼くことになるだろう。
小春日和の暖かな空を、新幹線が走っていく。

レタッチソフトをいじり、少し暗くし トンカーブをコントラスト高めに設定した。
印画紙なら4号印画紙で焼くところだろう。
晩秋の澄んだ大空を新幹線が疾走するイメージになる。

更に 暗くしトーンカーブをいじる。
こうなると、見慣れた天候ではなくなる。
異常性を感じる。
何か訴えかけているのでは・・・と思ってしまう。
腹に一物・志がなくても、暗いほうに調整すると写真はキャッチー(目をひく)になりやすい。
写真とは恐ろしいと思う。
写真には 写真を撮った人が映っているから。
どうだすごいだろうと演奏した写真は、己の浅薄さ・幼稚さをさらけ出ているようなもの。
いい演奏は心に響き、写真の世界に引き込まれる。
「ネガは楽譜、プリントは演奏」
いい楽譜をつくり、よき演奏者になる・・・・それが写真だろう。
写真を撮る行為は、その人の人間性が試されていると思う。
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- 2017/12/12(火) 18:57:02|
- 新幹線の見える街 品川
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