昨日、雨の中 衆議院選の投票へいく。
途中 ヤツデの葉を見る。
空からの淡い光に水滴が光っているように思えた。
これ(水滴)を撮ったら面白いだろうと、ポケットに入れてきたデジカメを取り出した。
雨の中、傘をさしてまでして写真を撮る、なんと酔狂なことか・・・・
妻は あきれた顔して待っていてくれた。

水滴に注目するばかりで、ヤツデの葉にまで意識が行っていなかった。
実際撮ってみると、湿気を含んだ
ヤツデの葉が”あやしく”光っていた。
生と死であるまいが、うなだれて地に落ちたヤツデの裏面は黒く沈んでいた。
撮ったとき、枯れたヤツデの葉は、見えていなかった。
意識できないと、眼前にあっても見えない。
見えないから、大事なものまで 失うのだろう。

同じヤツデの前を今日も歩く。
台風一過、明るい陽が射していた。
葉の葉脈が透けて撮れるかと期待してデジカメのシャッターを押したが駄目だった。
同じ被写体でも、いろいろな姿を持っている。
場所と瞬間が合致したベストな一瞬というのがあるのだろう。
それを発見する眼がないから、無駄と思うが、どんどんシャッターを切ってしまう。
数打ちゃ、当たるさ・・・・宝くじのようなもの。他力本願、カメラ任せ。
スポンサーサイト
- 2017/10/23(月) 22:29:07|
- ある場所、ある瞬間
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0