見たまま、感じたまま写真を撮る。
できたらいいが、
未だ、感じたように撮れたことも、見たように撮れたこともなかった。
カメラの眼は、人間の眼と違うものを見ているらしいと気づく。
写真にしたらこうなる・・・・カメラの眼を予想してシャッターを切る。
あるいは、これ撮ったらカメラはどう撮ってくれるか、興味津々でシャッターを切る。
最初から見たまま撮れると思っていない。
感じたように撮れたことはない。
そこで、
昔なら暗室で格闘し、印画紙に映像を焼き付けた。
いまなら、レタッチソフトで画像を調整する。
しかし、感じたように画像を作れるわけでもない。
ローキーにしてみたり、ハイキーにしてみたり。
印画紙の号数を替え、コントラストを強めたり、弱めたり、
覆い焼き、焼きこみのテクニックを駆使して写真を仕上げていく。
感じたように写真を作るといっても様々、
アレ、ブレ、ボケの写真を作って、「これが 俺の感じた、この場の風景(心象)」といきがってみたり、
色温度を調整し、肌を青白く調整する。
しわ、あるいはそばかすを取り除く。
撮られた女性は、綺麗に写っていることに喜ぶ。
写真の表現には そんな面(作る)もあるだろう。
レタッチソフトの濃度調整バーと、トーンカーブを調整し、
白黒のコントラストの強い写真を
作ってみた。




フィルムを硬調な(Ⅳo)か(Ⅳa)現像液で現像するのが正統な方法だと思うが、
(Ⅶ)現像液で作ったノーマルなネガからでも、
レタッチソフトを使えば 白黒のコントラストの強い写真を調整することができる。
安易だと思うが、ひとつの流れだろう。
こうして調整した写真、小生の感じた「心象」か といえば、そうではありません。
単に 面白そうだから・・・どこまで可能か知りたかったから、
作ったまでです。
白黒の明暗差の大きな写真を撮る人がいる。
インパクトがあり、確かにキャッチーだ。
暗室で格闘し作ったなら、それなりの評価はできる。大変な努力だろうと推察する。
しかし、レタッチソフトだと「自分」で作ったというより、レタッチソフトに頼ったという後ろめたさが残る。
安易だよなぁと・・・評価されがち。
コメントを読むと、フィルムが好きで、多くはフィルムで撮ってますとは 言うが・・・・
多くはデジタル写真だろう。(おそらく全て)
デジタルで撮っおきながら、
フィルムですと(嘘)言うのは 目立ちたいだけことだろう。
堂々と デジタルで撮りましたと宣言すればいいのに、残念だ。
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感じたようには撮れない。
デジタルで撮ろうが、フィルムで撮ろうが、
予想していた以上のものが写っていたとき、
その場に漂っていた「精神」を捉えたことができたと 小躍りする。
それが 小生にとっての「写真」なのだろう。
美しく裏切られたいのかなぁ。
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- 2017/10/12(木) 08:30:37|
- 写真の技法
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