フィルムカメラは、構えるとしたら、横位置のほうが容易だが、
小生は縦位置で撮ることが多い。

横位置だと、余分なものまで入れてしまうことを怖れ、
また、遠近感を出したいので、縦位置で撮ることが多い。
これは 小生の好み、癖のようなものだろう。
1960年以前の写真は、熟達した巨匠の時代。
ピントは主題に対し鮮明、そして豊かなトーン、構図のきっちり決まった写真が主流だったが、
その域に達するためには、かなりの訓練が必要だった。
手っ取り早く写真家になることは無理だった。
そこに露光計内蔵の廉価な一眼レフが登場する。
露光計内蔵の一眼レフを手にした瞬間、
一番難しい「光を読み」適切な「露光を決める」という壁は低くなる。
露出計内蔵の一眼レフを手にした瞬間、
「プロの写真家」と宣言すれば、それだけで写真家になれた気がした。
1970年が近づくと 学園闘争が起き、社会は騒然となる。
同時期、コンポラ写真が、日本に紹介される。
そのキャッチーな「コンポラ」という名称に飛びついた面もあると思う。
写真界の巨匠へのアンチテーゼ、
見えない硝子の天井にたいする若者の苛立ちから、
「アレ・ブレ・ボケ」写真の時代が始まったと思う。
横位置のフレーミングが主だった。
ノーファインダーで撮影して、水平が傾いた写真を撮ることもあった。
それが、自己実現だと 思ったらしい。
豊かなトーンは否定され(ナンセンスとでも叫んだか?)銀塩の粒子をだしたり、
手振れ、ピンボケで 写真を表現した。
最初は その斬新さに 惹きつけら、受け入れられたが・・・・
既存の体制に対する「ノン(拒否)」が、表現され尽くされると、陳腐化し、
10年も経つと「アレ・ブレ・ボケ」写真の時代は終わっていたように思う。
フランスで起こったシュールリアリズム運動は、文学、美術、演劇、写真に 大きな影響を与え、
更に次の運動へと繋がってるが・・・・

「アレ・ブレ・ボケ」写真は一過性、いい作品もあったけど、
それを評論し理論構築することはあったかなぁと思う。
(米国発祥のコンポラ写真と、日本で声高に唱えられたコンポラの「アレ・ブレ・ボケ」写真 同一視はできないと思う。)
中心になるべき思想(指標)は何だったのか?今考えるとよく分らない。
当時、最先端を走っていた写真家と(写真)評論家の理論化が 不十分だったのだろう。
(この点は、日本人の弱いところ、目先の面白さ、受け狙いが先行し、地に根を張った議論にはならなかった)
「アレ・ブレ・ボケ」写真は 撮ったことないが・・・・
縦位置だと、整いすぎて窮屈。
横位置で、少し傾けて撮った写真のほうが、
確かに面白い効果がでたと思う。
デジタルカメラは、露出計内蔵一眼レフカメラの出現の衝撃を上まわる。
デジタルカメラがあれば、誰もが、綺麗な写真が撮れてしまう昨今、
失敗のない大同小異の綺麗な写真が溢れている。
しかし、簡単に撮れることが、却って写真をつまらなくさせている。
レタッチソフトで処理した綺麗な写真は食傷気味。
もう一度「アレ・ブレ・ボケ」写真の破壊力を期待したいところだが、
デジタルカメラにその破壊力あるだろうか?
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- 2023/07/31(月) 15:20:26|
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秋葉原に到着。

1960年代、カメラは かなり高価な商品だった。
一眼レフカメラを求めるなら、専門店で品定めし、そこで購入するのが普通だったが、
専門店では、メーカーの定価か、安くしても5%程度の値引きだった。
10%は当たり前、物によっては20%以上 ディスカウントする「カメラ屋」が現れる。
ヨドバシカメラも その中の一店舗。
新宿駅を、淀橋浄水場側へ降り、
駅前にあった旅館の横道を入った場所に その店舗はあった。
古い木製のガラス戸を引き、店内に入ると、すぐにカウンターがあり、
店員に欲しい物を注文すると、奥から持ってきて売る。
業者相手の古い問屋の販売方法だった。
時代の波に乗ったのだろう、それからは急激に大きくなり、
今では、家電品の量販店になっている。

Tri-XやNeopanSSの100フィート缶、36枚撮りNeopanFなどや、暗室用品は全て、新宿の淀橋カメラで 購入したもの。
暗室用品の現像タンク、クリップ、ダークバックは その頃購入した物で、今でも使っているので、60年以上使い続けている。
しかし、この頃は、ヨドバシにもビックカメラにも ほとんど、行かなくなっている。
どうしても欲しいと思うデジカメはないし、
フィルムカメラは、すでに沢山保有している。
そのカメラで使う交換レンズも すでにあるし、レンズの写りに不満を感じていない。
100フィートの長巻は、ネットで購入するようになったし、
現像に必要な薬剤は、すでに充分な量(といっても たいした量ではないが)確保している。
(どうしても欲しい薬剤があれば、神田にある薬品問屋へ行っても 購入できるし・・・)
「カメラ屋の時代」は、とうに過ぎているということだろう。
- 2023/07/28(金) 18:51:36|
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神田川沿いの柳森神社にて。

子供の頃、秋葉原は、ジャンクの電気部品を売っているちょっと怪しげな場所だった。
神田川を越えていないので・・・この場を秋葉原に入れるのは抵抗がある。
やはり神田須田町だろう。

秋葉原のイメージは、狭い通路にひしめくジャンク屋だろう。
それが、今では綺麗な町並みになっている。
以前は よく秋葉原の町を散策し、
雑然とし、何に使われていたの分らない電気部品から、
思いがけない部品を見つける楽しさはがあったが、
いま秋葉原にその楽しさを感じない。
あのドキドキするジャンク街(蚤の市)、どこへ消えてしまったのだろうか?
良い写真撮りたかったら、
最新のデジカメを購入し、
最新のレタッチソフトで処理をする。
メーカーの提供する完成品で遊び、
それで満足する時代に入ってしまったのだろう。
- 2023/07/27(木) 22:27:02|
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神田から秋葉原へ進むと、線路は二つに分かれる。

中央線の高架橋を伝いに歩いていくと、線路はお茶の水を目指し、綺麗なカーブを描いていく。

道を右に折れると、京浜東北線、山手線、高崎線などが走る、広い高架橋に出る。
この辺りを歩いたら、いろいろな発見があるのだろう。
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微粒子タイプの現像液を作ろうと、TRI-X用に作った(A)現像液を改良し、
ようやく作り上げた現像液、(Amn1)を使用した。
1960年中頃、超微粒子現像法というのが流行っていた。
まだ日本が貧しく、賃金が安かった頃、
フィルムは相対的に高価だったので、
ハーフ判カメラ、特にオリンパスペンは、欲しいカメラの一番手だった。(貧乏学生の)。
36枚撮りのフィルムで72コマ撮影できる。
そこで如何に粒子を抑えるかが 関心事となる。
よく使われたのが、古くからある富士フィルムのミクロファイン。
それに飽き足らず、写真雑誌を読むと、様々な処方が載せられていた。
この現像液は、そのときの現像組成を真似たものではないが・・・・
結局、ミクロファインに似た組成になったようだ。
違いは、繰り返し使えるように改良したこと。
現像を一定に保つ補充の方法がかなり簡便になっている。
今年の3月9日に現像液を作って、これまで12本のフィルムを現像したが、
今のところ何の問題もなく使用できている。
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先日、昔 暗室として使っている部屋の掃除をしようと、整理していたら、
ミクロファインの現像粉末が、出てきた。

缶詰になったミクロファインは、いまでは骨董品扱いだろう。
2本は錆びて膨れ、使える状態ではないので捨てたが、6本はまだ使えると思う。
おそらく1960年中頃のものだと思う。
当時使っていたフィルムは、ネオパンF、 ネオパンSSだったと思う。
特にネオパンFで風景を撮ったときは、ミクロファインで現像していた。
ネオパンSSは、フジドール?(D-76相当)の現像液で1:1希釈で使っていた。
右の箱には、ラミネート包装のミクロファインが入っていて、
箱に手書きで、87年7月28日に購入したと記されていた。
写真を撮り、自家現像を初めてもう60年になる。
途中、細々と白黒写真を撮っていた時期もあるが、
それでも、よく続いたものだと思う。
古いカメラなら、まだ使えるレベルのものを数台持っている。
フィルム(100fフィート巻き)さえ手に入れば、
現像に必要な薬剤は、ほぼ確保できている。
印画紙が手に入りにくくなったら・・・そのときは青写真の印画紙を作ればいい・・・・
そんな開き直りをしている。
- 2023/07/26(水) 19:13:31|
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レンズは 沈胴のFEDの50mmレンズ。
コーティングが施されているので、
おそらく1950年頃作られたものだと思う。
すぐにInduster-22 50mm F:3.5が生産され、それに切り替わるので、
製造された期間は短い。(でも、計画経済の国、沢山生産されたと思う)

マウントはライカのスクリューマウントなので、
互換性は高く、
BessaRでも 使用することができる。
使っているフィルムは、チェコで生産されているFomapan100。
レンズも、フィルムも、
ソ連邦崩壊前には、鉄のカーテンの向こうで作られ、使われていたもの。
70年以上前のレンズだが、
小生のレベルでは、もう十分過ぎるほどの性能を持っている。(これで満足している)
デジタル写真を見せられると、
あまりに精細で、かつコントラスト高く撮れているので、圧倒されるが、
同時に、今はやりの、Fake写真ではないかと・・・・疑ってしまう。
デジタル写真の利便性と引き換えに、
なにか本当に大切なものを失なっていくのではないか?
そんな危惧をしている。
- 2023/07/25(火) 22:00:41|
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神田から秋葉原までの一駅散歩をしたとき、見かけた民家。
下町も空襲で焼け野原になったというが、
免れた所もあったのだろう。

そろそろ夏がやってくる。
昭和の香りがしてきた。
- 2023/07/24(月) 07:28:10|
- 都会の景観 Tokyo
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何かが蠢いていた。
カメラを構えシャッターを押した。

撮れたのは ただ これだけ。
- 2023/07/22(土) 13:21:20|
- ???
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俺は、非暴力、
無抵抗だから、
いいように扱われる。

神宮外苑の再開発で、樹木が何本も伐採されるというニュースを知った。
幸い、おれは切られることは回避できた。
切られないだけでも、それは「お情け」なのだろう。
でも、これが俺の望みではない。
俺の声を聞き取る人は希。
一緒に暮らしているのに・・・
- 2023/07/21(金) 08:07:17|
- 樹、草、花
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暑さにぼんやりとしながら戸越公園を散策していた。
この光景にぶつかる。
老人ボケが始まったのか?

これは夢?
いや、これが証拠。
持っていたカメラで撮影している。
これは「夢の浮島」だろうか・・・
- 2023/07/20(木) 21:51:53|
- ???
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サイアノタイプ写真は古い技法だが、やってみると、なかなか難しい。
三価の鉄が、光で二価の鉄に還元されるというのが、サイアノタイプ写真の基礎であるとなっているが、
光で酸化されるなら話は分るが、還元されるとなると、
そんな単純な反応でないと考えるのが、化学を勉強したものの常識だろう。
三価の鉄ラジカルができたとして・・・その光ラジカルは、どういう形なのか?
三価の鉄ラジカルが、おそら(有機物)をラジカル化し、有機物が分解するとき、
三価の鉄に電子を与えて、二価の鉄還元される・・・
おそらく、クエン酸の脱炭反応(炭酸ガスの発生)が起きたと考えるのが合理的だろうと仮定をしたが・・・
小生にそれを確かめる、分析手段がない。(ガスクロか液クロの分析機器があれば、確かめられると思うけど・・・)

そんな細かなことは、このブログの話題にするのは適していない。
でも、小生としては、些細なことだが、それが知りたくて、いろいろな仮定(キレート構造)をし、
感光液を工夫し、現像液(発色液)を工夫し、
なにが サイアノタイプのトーンを決めるのか探している。

感光液の組成を変化させ、現像液の組成を変え、
沢山の失敗をし、
そのたびに失敗の原因を考え、また仮定し、実験してみる。
ようやく、要素は分ってきたが・・・まだ、反応機構は・・・霧の中。

キレート化合物を作り易い添加物を加えると、サイアノタイプのトーンに影響を与えていた。

感光液として(A3)、(A5)、(A9)を取り上げ、今 それを使ったサイアノタイプ写真の最適化を行っている。
八月一杯 これにかかりっきりになってしまうかも。
サイアノタイプ写真 奥が深い。
- 2023/07/17(月) 12:24:31|
- 写真の技法
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西品川の古い家を撮ろうとしていたら、
貴船神社の山車が後ろから近づいてくる。
貴船神社の祭礼は、6月の梅雨のころ催される。
この時期のなると、祭礼を告げる祭り囃子の街頭放送がありのだが、
今年は、その放送もなかった。
まさか、祭礼が行われているとは思わなかった。

コロナの蔓延で、祭礼中止が続いていた。
ようやく、祭りができるようになる。
まだ、おっかなびっくり、
山車を引く子も あまり集まっていない。
来年からと言うところだろうか。
- 2023/07/07(金) 18:55:32|
- 散歩
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6月に入って、急に左足の膝が痛むようになる。
初めての経験。
歳を重ねた結果だろうか・・・・
散歩にでても、30分と続かない。
そろそろかなぁと思いながら帰路につく。
書庫にはネガのシートが束になって沢山溜まっている。
動けなくなったら、そのなかから、数百カットを選び、
印画紙に焼き付けようと思っていた。
ネガから直接印画紙に焼き付けることを考えていたが、
スキャナーで取り込んだ画像データーもある。
OHPの透明なシートに、その画像をインクジェットプリンターで印刷し
A4あるいはA3の大きなネガを作り、密着で焼き付けることもできる。
プラチナプリント、サイアノタイプ(青写真)プリントも可能になる。
この機会だから、もう一度 材料費が安いサイアノタイプを試してみようかと
6月中は青写真をつくる条件を探していた。
10年ほど前、青写真を試している。
当時は「ヨドバシ」にも「ビッグカメラ」にも、カメラ材料の棚に、
青写真に必要なクエン酸鉄アンモンあったが、
今は 置いていない。
仕方がないので、合成した。
必要なものは、
塩化鉄と、塩化アンモン、百均で売っているポット洗浄剤(クエン酸一水和物)、それに苛性ソーダ。
(中学の化学実験のようなもの)
使用した画像は 去年戸越公園で撮影したもの。

フィルムはRetro400Sを使用した。
R72フィルター(赤外写真用フィルター)をつけて撮影。
硬調に仕上がる(Ⅱnhq)を使い、二液現像法で現像した。
緑の葉は白く輝き、空は暗く落ち、雲が白く浮き上がった。
この画像を、Adobe Photoshop Element7を使用し、(十数年前、エプソンのスキャナーを購入したとき同梱されていたもの)
フィルター →色調補正 →階調反転 をクリックしネガ画像にし、
イメージ →左右反転 をクリックして、
オーバーヘッド用 透明なフィルムに印刷し、
大きなネガフィルムを作った。

左右反転させたのは ネガと青写真印画紙を、密着して感光させるため。

晴天だったので、90秒の露光で充分な濃度の青写真ができた。(60秒=1分でもよかったかも)
青写真は、使う紙の質によって変化する。(安い紙だから駄目、高い紙だから良い というわけでもなさそう)
紙の選定、感光液の最適化、感光液の塗布方法、現像液(発色液)の最適化で、
まだ、改良の余地は多い。
あと1~2ヶ月、青写真の最適化を求め、格闘することになりそう。
------------------
ようやく、左膝の痛みは なくなってきたが・・・今度は暑さが身にしみる。
- 2023/07/05(水) 12:20:29|
- 写真の技法
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