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本当に大切なものは見えない

古いフィルム・カメラで、ありふれた身の回りを撮っています。日常の中の一瞬を捉え、読み解く写真になっていれば・・・

俺は何もの?

白金にある自然教育園は、国立博物館の付属施設。
昔の武蔵野の風景に戻そうと、
極力人間の手を入れないようにしている。

倒木があれば、観察路(散策路)に支障がないかぎり、
倒木はそのまま、土に帰っていくのに任せている。

訪れる人は、
バードウオッチングを楽しみに来る人や、
武蔵野の野草を観察する人が多い。

入り口にあるパンフレットと、
野草の名、あるいは樹木の名を書いた札を参照し、
野草観察をすることもできる。

武蔵野の野に、艶やかな花はない。
控えめで、小さく、ひっそり咲いている。
それを発見し、スマホで撮る人が、この頃増えてきた。
技術の進歩は素晴らしい。
50年まえなら、かなり腕に立つアマチュアか、プロの仕事だろう。
うらやましい限りだが・・・・「誰にでもできることは、やらない」が信条の「ひねた」老人。

見た瞬間、デズニー映画にでてくるような魔法の樹のようだと思った。
デジタル・カラーでは表現できないだろう。
カラーだと即物的で、イマジネーションは働かない。
モノトーン・フィルム向き被写体だと思う。
私は何もの?1559-33
縦位置で撮影したが、
樹に視線が集中するよう上下をトリミングし構図を整えた。

樹は声なき声で、
「一体、俺は何だ、なんと呼ばれている?
まさか、むらさきしきぶ?・・・・そんなはずない。
つるうめもどき・・・おれは”もどき”とは呼ばれたくない。
やまぶきでもない。
それなら、いぬざくら か?
犬はいやだ。もっと尊厳のある名で呼んで欲しいのに」

そんな、想像をして撮っていた。
これ小生のEquivalent?
---------------------------
見て、(面白いと)感じて 撮った。
フィルムを現像し、ネガフィルムをスキャンし 画像を起こす。
見返すと、見て感じていたもの以上によく撮れていると思った。

これが、小生の「心象風景」かと言われれば「否」。
カメラに、人に代って「心象風景」を撮る機能は備わっていない。

もし、心象風景を描きたかったら、
絵筆をもつか、
お絵かきソフトを使い、
画像を切り貼り、合成し、色づけして加工する。

写真は、単なる 手軽な自然のスケッチです。

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  1. 2023/06/28(水) 17:40:49|
  2. ???
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Equivalent・・・?

「あなたは、自分の髪の毛一本をも、白くすることも黒くすることもできない」
そんな格言を、聖書で読んだ記憶がある。

被写体に手を加え、キャッチーなポーズをつけたりして、飾るのは
広告写真や、プロパガンダの写真では当たり前に行われる手法だろう。
広告は、見る人に「夢」を売り、消費を促すものだし、
プロパガンダの写真は、依頼者の意図した方向へ見る人の思考を誘導するもの。

事実をそのまま伝える画像に、
演出を加えた瞬間、キャチーさを狙った魂胆ありありの写真ではないかと身構えて見てしまう。
「いいね」が欲しい、目立ちたいという 個人的な魂胆が透けて見えてしまう。
ロダンは、写真は「浅薄な正確さ」だと、受けとったようだ。

人は、心の中に湧いて出てくるイメージを、直接、写真に撮るとこはできない。
ムンクの描く「叫び」はすごい絵画だけど、
彼の心の中を理解し、それを写真に撮ることはできるだろうか?

決定的瞬間、
飛行船ヒンデンブルグ号の事故の瞬間を撮ることだけが、
写真の役割(存在理由)でもない。
勝島運河にて1557-41
日常で見たもの、感じたものを写真に撮ってみる。
「あなたは、自分の髪の毛一本をも、白くすることも黒くすることもできない」
のだから、
それは己の心に浮かぶ、その人の「心象風景」であるはずもない。

ただ見て、感じて、シャッターを切っただけ。
フィルムを現像し、ネガを作り、それを印画紙に焼き付け、一枚の写真にする。

それが スティーグリッツの言う「Equivalent」だろう。
見たものを、そのとき感じたように、印画紙にプリントできたとき、
それが、彼のquivantになる。
写真の良さは被写体でほぼ決まる、
あくまでも対象物が主、
撮る人間は透明人間であってもいいではないかと思う。
透明人間は従、出しゃばらない。
それでも、透明人間の息づかいを感じさせる写真はある。
それがスティーグリッツの言うEquivalntではないかと、この頃思うようになった。
  1. 2023/06/25(日) 19:05:45|
  2. ある場所、ある瞬間
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風が吹く

ビル風が吹いていた。
広い連絡橋に、枯れ葉が渦を巻く。
シャッター速度を遅くし、絞りを絞った。
旋風1554-10
渦が最適な場所になるようフレーミングする。
小学生が走ってきて、その渦の中に飛び込む。
その瞬間、さっと渦は左に切れていく。
流し撮りするわけにはいかない。
手振れしないよう、そっとシャッターを切った。
思いもかけず、写真に小学生の姿が入ったのは、嬉しい誤算だが・・・
構図の重心が左に傾き、バランスがいいとは云えない。

構図のしっかりした写真を、
ときたま偶然に撮ることができても、
何回も繰り返して撮ることはできない。
それが 小生の写真の眼。
咄嗟のことと言い訳しても、
写真は正直、上手いとは云えないだろう。

でも、見ていると、それなりに面白い。
アンバランスを直そうと、トリミングを試みたが、
やはりこの構図が一番いいように思える。

これが小生の"Equivalent"かなぁ。
  1. 2023/06/20(火) 11:04:33|
  2. ある場所、ある瞬間
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地下の世界は、           摩耶寺にて

地下の世界は、得たいのしれないものの住む世界。

太陽が沈み、世界が暗くなれば、
地下より魑魅魍魎が現れ、地上を跋扈する。

この老木は、地に根を張り、得体の知れないものを吸い上げ、
地上に枝を伸ばし、緑の葉を繁げらしていた。
根1581-39
何か見えないものかと、根を凝視する。
少しオーバー気味の露光をして記録してみたが、
暗い部分のディテールは出たが、ごく普通の樹が記録されているだけだった。
根1581-38
露光を一段減らすと、内蔵されたカメラの露出計は適正露光を示した。
このカメラでは・・・このトーンが推奨されているのかもしれない。
撮ってみる。
コントラストが上がり、万人向けのトーンになる。
しかし何も見えてこない。

更に露光を減らす。
根1581-37
すると、急にトーンは変化し、
不気味な根が地表を覆い、地を掴んでいる姿を捉えていた。
---------------
本当だろうか?
いや、これがフィルムの眼、
只それだけだろう・・・・
深読みはいけない。
  1. 2023/06/17(土) 21:42:17|
  2. ある場所、ある瞬間
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何か見ている・・・

文庫の森公園、
散策路にイヌマキの老木がある。
誰も気にとめないで、傍を通り抜けていく。
でも、フィルムは微かな視線を、確実に感じていたと思う。
何を見ている1588-22
古木は、こちらに視線を向け、
「何を見てるんだよう」と弱々しく呟いていた。
------------
思い過ごしでなければいいのだが・・・
  1. 2023/06/16(金) 13:30:47|
  2. ある場所、ある瞬間
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御殿山陸橋にて

新幹線1589-18
1937年5月6日、ドイツの飛行船ヒンデンブルグ号が、
米国レイクハースト海軍飛行場に着陸するとき、爆発炎上する事故があった。
着火の瞬間は船尾付近だった。
ムービーはそのとき船首付近を撮っていて、気づいたときには炎上していた。
たまたま カメラを持っていた若者が、着火直後の船尾を撮っていて話題になる。

その写真は 確かにすごい写真だが、撮った人を「すごい写真家」とは呼ばない。
何故なら、同様な写真を、何回も繰り返して撮ることはできないから。
すごい写真家とは、その人の個性に基づいて、常に何かを感じさせる写真を撮ることができる人である。
(What a great photographer does it they're constantly able to make something in s style that's personal to them selves. by Ken Van Sickle)

6月3日、臨時列車「カシオペア紀行」が栃木県矢板市を通過中、
その姿をカメラに撮ろうと、鉄道ファンが詰めかけていた。
特別な列車で、滅多に走るものではないようだ。
誰よりもキャッチーな写真が撮りたいと、
3名が線路に入り、列車は緊急停止したというニュースがテレビに流れていた。

デジタルカメラの発達により、誰もが美しい写真を撮ることを可能になり、
誰でもちょっとの練習で、決定的な瞬間を捉えられることができるようになる。
個々人の個性に従った何かを感じさせる写真は埋没していく。

一億総Photograperの時代、「いいね」こそ評価の基準。
お洒落な写真、すごい写真、面白い(演出を含めた)写真、キャッチーを狙った(あざとい)写真が氾濫する。

後先考えず、「いいね」の写真を撮りたくて、線路にまで入ってしまうことになる。
「撮り鉄」ということで問題にしているが、
ほかの所でも(観光地など)似たことは、起きていると思う。

昔から(フィルム時代)の鉄道写真ファンは、今どうしているのだろう。
農道で列車を待つ集まりのなかにもいたのだろうか?
それとも、苦々しい思いで 現場には近づかなかったのだろうか?

  1. 2023/06/13(火) 12:42:57|
  2. 新幹線の見える街 品川
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切り通し

たいした写真ではない。
せめてタイトルだけでも含蓄がありそうな多義的な言葉を選ぶ。
そのタイトルから 見る人の「思い込み」を喚起できたら 思う壺だろう。
切り通し1578-3 Ⅲ
第二京浜国道、戸越から都心に進む道。
嘗ての小道は、国道によって分断されている。

遠方の階段を若い女性が行く。
この若者は誰だ?
何らかの関係があるのか・・・・それは不明。

タイトルは「第二京浜」という即物的な言葉より、
詩的な響きのある「切り通し」のほうがいいかなぁ。

しかし、言葉に頼らざるを得ない写真とは、弱いものだと思う。
写真の評価は、見る人の判断に委ねられているのに・・・
  1. 2023/06/10(土) 10:56:36|
  2. ある場所、ある瞬間
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ラフォーレの滝

誰もがスマホを持つようになり、一億、総写真家の時代になる。
綺麗な写真は撮れて当たり前、写真の評価は、「お洒落」とか、「面白い」へ変わってきた。

「ラフォーレの滝」と題つけたら、お洒落かもしれないと、カメラを向ける。
ラフォーレの滝1589-16
新感覚の庭師の作った現代の滝、今までにない面白さがあり、お洒落な感じもする。

少々固定概念に縛られてしまった頭の硬い老人では、
こんな撮り方で、この滝を(お洒落に)表現できただろうか?と 少々不安になっている。
やはりデジタルカメラ(スマホ)?向きかなぁ。
----------------------------------
そういえば、テレビが一家に一台の時代になったとき、
「国民一億○○」と批判(?)した評論家がいたが、
当時のオピニオンリーダーは、テレビではなく、本、雑誌、新聞など「活字」が活躍の場。
それだけ 語ったこと(書いたこと)への責任感(覚悟)はあった。

いまは、ネット(インターネット)の発達で、
テレビを見る人は減っている。雑誌、新聞の発行部数も落ちている。

オピニオンリーダーの発信場所は何処にあるのだろう? 
ネットの記事は すぐに更新 流され、そこに沢山のフェークが混じる。
膨大なデーターから、責任のある確かな意見を探すのも、かなり難しい。
「面白い」人とか、「お洒落」な人が オピニオンリーダーの代りになっていくのだろうか?

  1. 2023/06/08(木) 12:35:54|
  2. ある場所、ある瞬間
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戸越の滝

散歩で 時々訪れる公園の滝
戸越の滝1564-20 Ⅱ
滝のある公園はそれほど多くない。
ピクトリアフォット風に狙ってみた。

28mmの広角、50mmの標準、85mmの望遠で狙うと また違った切り取り方になる。
まだ、これが「戸越の滝」と納得できる写真ではないが、
この滝が消えてなくなる訳でもなし、
散歩がてら来てまた撮ればいい、と軽く考えてしまう・・・・
そんな気でいたら、撮ろうとする熱量が低下して、「これだ」という写真、無理だろうなぁ。
  1. 2023/06/06(火) 12:22:56|
  2. ある場所、ある瞬間
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ステーグリッツとスタイケン

スタイケンは学校を卒業(15歳)すると1894年リソグラフの工房に入る。
スタートは週給25ドルだったが、すぐ才能を開花させ、4年後には50ドルになっていた。
給料は申し分のないものだったという(庶民が稼げる最高額)。
そして大型の乾板写真も撮るようになる。
1899年に撮影した "The Pool-Evening, Milwaukee,1899"は
10年ほど前のオークションで100万ドル近い額で落札されたという。(正確な落札額は覚えいない)
その頃の作風はピクトリアフォットと言うべきもの。
1905年にスティーグリッツとPhoto-session 291号室を作るが、まだ、スティーグリッツの影響は少ない。
StieglitzSteichen.jpg
スティーグリッツと会い、彼の話に触発されたか、同じ被写体を、スタイケンも撮っているが、
必ずしも、まだストレートフォトをメインにするということではなかった。
それは、スタイケンが資産家の息子ではなかったことが大きいと思う。
構図と当たる光に留意して、著名人のポートレートをピクトリアフォット風に撮っていた。
クライアントの求めるポートレートは、会画風の重厚なもの、
その欲求を満たすものでないと、商売にはならない。
あるいは、雑誌社に確実に売れることが必要だった。
作風が、ストレートフォットに傾いていったのは1915年くらいからだろう。

スティーグリッツは、写真を絵画とは異なる別のアートと位置づけようとしていた。
資産家なので、お金には頓着しない。
写真を売って利益を得ることは二の次だった。
被写体の多くは、都会の風景、市井の人間をカメラに収め、
ポートレートはあまり撮らない。
撮るとしても家族(娘)や友人の範囲に留まっていた。

スティーグリッツはアマチュア、スタイケンはプロ(商売)が立ち位置だった。
この関係では早晩分かれざるを得ない。
二人は数年で、分かれていく。

小生の撮る写真も、身近なものばかり。
金になるような写真は一枚もない。
都会の景観1550-4 Ⅱ
資産家の息子ではないが、まだフィルム代くらいの余裕はある。
カメラも古いものを修理しながら使っている。
現像は薬品を調合し、自家現像。
極力薬品の使用量を減らした現像液にしているので、
薬品代は一本現像しても20円くらいに抑えられている。
都会の景観1554-25 Ⅲ
都会の景観1558-8
都会の景観1557-2
都会の景観1558-19
小生が、銀塩フィルムカメラで楽しめる(趣味)のは、
これまでの写真技術の発達とコストダウンのおかげだと思っている。

19世紀末、スティーグリッツやスタイケンは、カメラに出会い「写真に取り憑かれてしまう」
当時、ようやく乾板写真が発明される。
12インチ×10インチ、8インチ×10インチの硝子乾板を、木製のカメラに装着し、写真を撮っていた。
カメラは高嶺の花。乾板も高かったと思う。
一枚の写真を仕上げるにも大変な労力が必要だった。
 
20世紀の初め頃、フランスの大金持ちの息子、ラルティーグ少年も 
同じように木製カメラで12インチ×10インチの乾板写真を撮っている。
カメラをセットし、構図を決め、乾板をセットし、撮影する。
一日 頑張っても2枚の写真を撮るのが精一杯だったという。

スティーグリッツはネガ乾板からプラチナプリントしているが、
スタイケンは、プラチナプリントだけでなくGumプリント、カーボンプリント(?)など多彩。
ガムプリント、カーボンプリントとなると工程が長く、技術の習得には時間がかかり、
いまとなっては失われた技術、行う人は希となった。
でも、ユーザーの求めるものであれば、ピグメントプリント(ガムプリント)を、せざるを得ない。
一枚撮り、一枚の写真にするにも、大変な労力を要した。

それが、フィルムとなり、小型カメラが開発され、機能的に洗練され、カメラが使いやすくなる。
一本で続けて36コマの撮影もできる。
露出計が内蔵され、AEが当たり前になる1960年代になると、
一眼レフカメラが売れ、誰もが「カメラマン」の時代に入る。

カメラがAE化されて、難しかった露出の呪縛から解放されたことが1965年から1975年の
日本写真の隆盛を呼ぶ。
その分、一枚に費やす人の熱量は減っていく。
危険な兆候だが、これが何を意味するか・・・当時は、気づかない振りをせざるをえなかった。

デジタルになり、一枚の写真に籠める人の熱量は下がっていく。
こんな写真、撮れないなぁと嘆息するほど素晴らしいデジタル写真が吐き出される。

簡単にできることに、大きな価値は見いだしにくい。
誰でもできることに、だれも敬意を払わない。

写真は綺麗に撮れて当たり前の時代に入った。
良い写真とは?と考える必要はない。
面白い写真、お洒落な写真と思ったら、褒め言葉が出てくる。
おそらく これがスティーグリッツの夢みた写真の行き着く先、
その終焉なんだろう。
  1. 2023/06/03(土) 22:43:39|
  2. 写真にとり憑かれた人達
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ステーグリッツとスタイケン      ピクトリアルフォトからストレートフォト

スタイケンの家族はオーストリアからの移民だった。
母親が、しっかりとした人だったのだろう、
夫の健康が優れなくなると、帽子屋を始める。
ミルオーキーの田舎町、道の舗装はされていない。
帽子は、必需品に近い。商売は当たり、
生活には困らなくなる。
子供の教育にも熱心だった。
スタイケンも賢い(頭脳明晰)で、小年時代、写真に興味を持つと、
自宅の階段下の物置を暗室に改良し、写真を撮るようになる。
いろいろな薬品を持ち込み、暗室に入る息子をみて、
母親は、息子が暗室内で倒れているのではないかと心配したそうである。
階段下を暗室にすることを許可した母親もすごいなぁと思う。
学校を卒業すると、リソグラフの工房(宣伝広告を作成する会社)に入社する。
持ち前の美的感覚、器用さから、たちまち、図抜けた職人に成長する。
1900年の初め、21歳のとき、それまで貯めた資金を元に、
スタイケンはフランスで絵画の勉強をするためニューヨークへでる。
そこで、ステーグリッツに出会う。

フランスでは入った美術学校は、古くさく、芯の通らない先生に嫌気が差し、
すぐに止めてしまう。
当時のフランスは、写真発祥の地、絵画より、興味が引かれたようだ。
そこで、彫刻家、ロダンの元を訊ねると、ロダンに気に入られる。

よく言えば、コミュニケーション能力の高い人。
人当たりが良く、相手の懐に入るのが上手い。
悪い言えば、人垂らし・・・・

「写真は浅薄な正確」と
写真にネガティブな考えを持つロダンに取り入ったのだから、すごいものだと思う。
地上に堕ちた天使達1584-12
地上に堕ちた天使達1583-9 Ⅱ
何度か、ロダンの元を訪れ、ロダンのポートレート、制作中の像とロダン姿などを 写真に収めている。
1902年にニューヨークへ帰国するが、
彼の撮した写真はピクトリアフォット風のものが多い。
地上に堕ちた天使達1578-18
地上に堕ちた天使達1583-5 Ⅱ

ステーグリッツとPhotSession"291"を始めた前後より、
ストレートフォットへ、作風は変わって行く。

かれが どう行動したか、どんなことを為したか、本で確認していくと、スタイケンの凄さが浮かび上がってくる。
頭脳は明晰、企画力、世の動きを読む力、人を集めそれを纏める力、そしてそれを実行する力はすごい。
もし、彼が、ステーグリッツのような裕福の家庭で生まれていたら、
一流の大学をでて、起業し、大きな会社の経営者になっていたかもしれず、
あるいは、政治家を目指したら歴史の名を残す政治家になっていたのではないか、と想像してしまう。

芸術志向(ある意味偏狭)のステーグリッツに対し、
より現実的なスタイケンは、
互いの求める路線の違いから 
第一次世界大戦前頃には離れてしまったようだ。

このあたりの人間模様、
彼等の作品を見比べ、写真集に記載されたエピソードを読み、
当時のアメリカ社会を想像し、その中に二人の人物を置いてみると、
小説を読むような面白さを感じる。

たかが写真、されど写真、面白いなぁと思う。


  1. 2023/06/01(木) 14:40:51|
  2. 写真にとり憑かれた人達
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  4. | コメント:0

プロフィール

Alchemyst Sasaki

Author:Alchemyst Sasaki
未だフィルムカメラの沼から抜け出せない。
もう一年白黒フィルムで遊んでみるつもりでいる。

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