ステーグリッツが、米国写真の原点か?となると、そうでもない。
写真が発明されると、直ちに米国に伝わり、ダゲレオタイプの写真館が林立し、好況を納めたという。
カルフォルニアで金が発見されるとゴールドラッシュが起きる。(1850年代)
その頃になると、より簡便な、湿式写真法になる。
金を掘り当てた人は、その金を換金し、故郷へ帰るとき、
お土産に、風景を撮った絵はがき(写真)を求めたという。
19世紀の後半になると(明治後半)、乾板写真の時代になり、更に写真を撮るのが簡単になる。
家の壁を飾るため、ヨーロッパの絵画を感じさせる「ピクトリアフォット」が求められるようになる。
米国(とくにニューヨーク)では、
絵画の目利きにかなった写真が、
ギャラリーに展示、販売されていた。
絵画の目利きの眼鏡にかなわないと、ギャラリーに展示されることはない。
それが ステーグリッツには、腹立たしいことだった。
写真には写真の表現がある。
絵画の奴隷ではない・・・・そんな思いだったのだろう。
絵画の目利き(ギャラリーのオーナー)に写真の選定を委ねるのではなく、
写真ギャラリーをつくり、写真家が独自に、写真を展示販売するフォットセッション(”291”)を立ち上げる。
この辺りが、日本と米国の写真にたいする向かい方の違いだろう。
ステーグリッツの周りには、賛同する人が集まって、一つのグループになっていく。
「ステーグリッツ」の名前を知ったのは、15年ほど前、散歩にカメラを持ち出した頃、
世界でどんな写真が撮られてきたのか知りたくて、
古本屋を彷徨い、Paul Getty MuseumのHandBook of the Photographs Collectionを購入したことから始まる。
写真の歴史、各写真の説明は簡潔にして要領を得たものだった。
かの国の写真に対するCuratorの質の高さを感じさせるものだった。
ステーグリッツは 裕福な家の長男として生まれる。
受け継いだ遺産のおかげで、お金に不自由することはなく、写真に没頭。
欠陥のない構図の確かな美しさを追求した。(初期のピクトリアフォット時代)
オリジナルプリントを「作品」として見て欲しいという気持ちが強く、
写真集をだすことには 後ろ向きだった。
彼の写真集が出版されたのは、没後のこと。
おそらくオキーフの監修のもと(1976年)、出版されたのだと推察する。(違うかも)
その後、1989年 もう一度 Dorothy Norman名で 出版された。
彼の作品の全てを網羅したものではないが、
この本のおかげで、どうにか、彼の創作の歴史をたどることができる。
彼の影響を受けた人は多い。
一緒にPhotosessionを立ち上げたSteichenの写真集の前書きには、
スティーグリッツとの出会いの場面が、生き生きと書き記されていた。
後にアメリカの有名な写真家なった、アンセル・アダムス、Paul Strandとの交友関係もあった。
1893年 結婚するが、離婚している。おそらく離婚は、1910年頃ではないだろうか、(情報が掴めない。)
1924年 Stieglitz 60歳、O'Keeffe 37歳の時 結婚しているが、
O'Keeffe、Stieglitzの本には、彼との出会いが語られている。
生活を共にしたのは 僅かに数年、
O'Keeffeは絵を描くため、ニューメキシコへ移動している。
Dorothyにしても、O'Keeffeにしても、
Stieglitzには1910年代に知り合っている。
二人とも、才能溢れる人のようだ。
オキーフは女流アブストラクト絵画の先駆者となり有名になったし、
Dorothyは、評論家として有名だった。
写真を撮っても(もともと写真家志望)上手だが、作品を公開することはなかったようだ。
O'Keeffeがニューメキシコへ去った後は、
Dorothyと生活を共にしていたようだ。
その横の繋がりと、米国の歴史の縦軸が絡み、Stieglitzの写真生活は続いていく。
20世紀は 発明の世紀。
時代は機械文明へと変化していく。
1893年、裕福な資産家の娘と結婚するが、彼女は「写真を」理解できない。
娘をもうけるが、やがて離婚する。
20世紀初頭は、好景気の時代。
1914年 第一次世界大戦が勃発すると、輸出は拡大、アメリカに莫大な富をもたらす。
株は高騰していく。
第一次世界大戦終了後も、まだヨーロッパの生産は少なかったので、
アメリカの景気は過熱し、遂に1929年(ステーグリッツ 65歳の時)大恐慌となる。
世界の歴史と重ねると、そこでもがき、創作していく写真家の姿も見えてくる気がする。
ステーグリッツのEquivalentsは、この世のChaosを表現したものだという。
数十年間、写真に人生をかけたステーグリッツの”いらだち”がEquivalentsとなって雲の写真になる。
Equivalentsは自分の心象を被写体に託して表現した心象写真と ひとくくりにしていいのだろうか?
それこそ、浅薄な幼稚ではないだろうか。
写真は 知れば知るほど 面白い。
絵画などのアート作品とは異なるけど、アート作品になり得ると思う。
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2023/05/29(月) 19:10:30 |
写真にとり憑かれた人達
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物干しから妻の声がする。
登ると、綺麗な雲が朝の空に広がっていた。
慌てて、部屋に行き、カメラを手にする。
スティーグリッツの「雲」の写真を思い浮かべる。
彼はそれを"Eqivalent"と称していた。
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よほどの写真好きでなければ、
アルフレッド・スティーグリッツを知る人は少ないだろう。
アメリカでも、写真家というより、
女性抽象画家の先駆者 Georgia O'Keeffeの夫としての知名度が高い。
美術評論家であり、雑誌の編集者、個展の開催などを通じ、
オキーフをプロモート(売り出)した人という評価だろう。
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何が"Equivalent"(等価体、同等のもの)なのか、極めてわかりにくい。
等価体、同等という言葉を聞いたら、日本なら、
「あれ(雲の映像)は俺の気持ちそのもの」と理解してしまう。
心象風景を撮った写真家であろうと、判断しがち。
日本人にとって、心象写真とは、その人の心象風景を表現したものと思っている。
(なんの裏付けのある証拠/エビデンスも示さずに)
自分の撮った作品を前に、自己表現だと発言したり、
自己実現とニコニコと語る若い写真家もいた。
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生前、彼は写真集を出すことはなかった。
死後、著作権は最後の妻(もしかしたら、結婚はしていない)が持っていたようで、
1976年に彼の写真集が出版されている。(彼は1946年に死亡している)
Apetureシリーズの一冊として1997年復刻(?)された写真集を手に入れ、
その写真集で、雲の写真、数作品を見ていた。
そのタイトルは"Equivalents"。
"Equivalent" アメリカの人にしても 捉えがたい概念のようで、
写真集のカバーにも、
He is best known for his winter scenes in New York and Paris ,his luminous landscapes at Lake Georgia, his prostrate of Georgia O'Keeffe(二番目の妻) and Dorothy Norman(三番目の妻?), and his
elusive Equivalents .
と紹介されている。
アメリカ現代写真の原点に立つ人物で、
ニューヨーク5番街に作った小さなPhoto-session会場、”291”はその核になる場所となる。
ここに集まる写真家、あるいは、彼の編集するCamera Workを通じ、アメリカの現代写真は開花していく。
そののち 西部カルフォルニアにF64のグループができるが、そのメンバーは”291”の活動に触発された人が多い。
町で撮るスナップショットの”スナップ”という言葉も、スティーグリッツが最初に使ったという。
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晩年のアンセル・アダムスのインタービュー映像がYouTubeにアップされていた。(BBC?)
その中に、スティーグリッツとの思い出話も入っていた。
感じたものを大切に、そのものが語ってくれるものを、(君の言葉ではなく)素直に写真に撮る・・・
それが"Equivalent"。
"Equivalent"について、そんなことを口が酸っぱくなるほど言われたとアンセルアダムスは語っている。
そんな内容だったと思う。(もう一度確認したいけど・・・なかなかみつからない)
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写真集には "Equivalents"について、
彼の説明(概念化)がある。
拙い翻訳だが、内容は以下のようだと推察する。
「私の写真("Equivalents")は、(写真と訳すより光画のほうが適切だと思う)この世界のChaos(カオス)を撮ることにある。
それはとりもなおさず、世界のカオス(不条理と訳すべきか?)と私の関係を撮ることでもある。
私のプリント(作品)は、この世界の絶え間なく続く心の悩み(これがChaosらしい)と、
心の平静(equilibrium)を取り戻そうとする様子を描いている。
それは、心の平穏を取り戻そうとする永遠の戦いでもある。」
哲学的というか・・・わかりづらい。
equilibriumという言葉、
科学を学んだ人なら、equilibriumは学術用語で、
日本語では「平衡」と定義され、化学平衡、あるいは相平衡という概念で理解する。
心の平静さという 概念までは 広げない。
米国人は日常会話でも使うのか?とおもうが・・・・使っているのかも。
またこんなコメントも記載されていた。
「そのイメージが、私にとってどんな意味をもつのかは考慮せず、
私は単に私が見たようにイメージを作りたいのだ。
印画紙の焼き付けて写真になってから、それはEquivalentsとなり、私に迫ってくる。
そして、この(Equivalentsの)素晴らしさを考え始めるのだ。」
日本人がイメージする心象写真とは大分異なる。
日本は嘗てカメラ生産大国になったが、
作品としての写真大国にはなり得なかった。
いまカメラの中心はPhone-Camera(スマホ)に移っている。
その中心は中国か米国になっている。
写真に関しては、いつまでも ユーラシア大陸の東の隅にある辺境の国で有り続けるのだろう。
2023/05/26(金) 12:03:28 |
写真にとり憑かれた人達
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新幹線が通るようになって、もう60年ほど経つ。
生活に溶け込み、誰も気にとめることはない。
まだ、桜は咲いていなかった。
東京の開花(靖国神社)は20日ごろだったろうか・・・・
目黒川沿いの桜は ややそれより遅い。
川より少し上った斜面なので、川沿いより少し早い。
ほぼ満開に近い。
あっという間に散り、青葉になっていた。
大崎ガーデンシティの横を、新幹線は走る。
数分待てば、列車が走っていく。
ちょっと待てばいい。
桜と新幹線、一緒に撮らない手はないと、シャッターを切った。
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散歩すれば、新幹線の走るのを見る。
それを見ると、咄嗟にカメラを構え、撮ってしまう。
撮ったところで、また同じようなもの・・・と思いながらも、
条件反射のようにシャッターを切ってしまう。
撮り鉄と呼ばれる人は、明快なテーマを持っている。
何を撮るか、どう撮るか、ふさわしい場所は、時刻は・・・・撮影対象を決め、ブレることはない。
単に写真を撮って楽しんでいる小生に、明快なテーマがあるかと言われると・・・・
口ごもってしまう。
何がテーマだろう?
内的な必然に突き動かされて、シャッターを切っているわけでもないようだ。
フィルム写真が好きなだけだろう。
動機は脆弱かなぁ。
強いて言うなら単に面白いから。
「小生の写真のテーマは○○です。」と言った瞬間、
なにを格好つけて、嘘だろうと心の底で呟いてしまう自分がいる。
たかが写真、されど写真と心の中で呟きながら、遊び、
そしてフィルムを浪費している。
2023/05/22(月) 12:06:18 |
新幹線の見える街 品川
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カメラをぶら下げ、都心をあてどなく歩く。
残りのフィルムはほぼなくなっていた。
最後のショットになった。
水玉模様で有名になった草間彌生さんのオブジェが飾られていた。
幼い頃、統合失調症と診断され、画家としての評価はキワモノ扱いだったのだろう。
一部熱烈なファンがいたが、日本の美術界では余り評価されていなかった。
旧態依然とした日本の美術界に失望し、渡米する。
寧ろ、海外ではのびのびと活動できたのだろう、
1960年代になると、インスタレーション、ボディペインティングなど、前衛的な芸術家として、米国では認められていた。
1970年頃、帰国。
日本でも、米国と同じような活動をするが、一部マスコミは注目するも、
キワモノ扱いの枠は 越えていない。
話題になりさえすればと、草間彌生さんの起こすパーフォーマンスを撮影するカメラマンもいた記憶が残る。
(写真は被写体無しには成立しない。ヤドカリみたいな表現法。
草間彌生さんの精神に感化されて撮ったのか、
草間彌生さんをネタに、写真界にデビューしたかったのか・・・・
その後、この写真家、どんな写真を撮っていたか、小生は知らない。)
そんな日本の現状に、帰国後、絵画制作の活動は、ほぼなくなったように思う。
(小生が知らないだけかもしれないが、注目はされていなかった)
芸術家として持ち上げられるのは1990年代に入ってから。
海外での再評価が進み、話題になったことが大きい。
アメリカのオークション価格に連動するように、
日本では、手のひら返しのように評価は高くなっていく。
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絵画や彫像、詩や歌(短歌、俳句)、文芸作品は 制作者の内的必然性から 生み出されていく。
内的必然もないのに、作品を作り、
それを売りさばくことは、自分への冒涜だと心を蝕んでいく。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません。
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません。
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは……とても
嘘をついてもばれるものです。
広告業界の寵児と もてはやされた杉山登志さんが、
こんな遺書を残し、自殺している。
それは、1973年のことだった。
この前後に、草間彌生さんは、
日本に帰国している。
1965年~1975年の10年間は、今思うと激動の時代。
ベトナム戦争、ビートルズの来日、ウッドストックのロックコンサート、ヒッピ-、・・・学園闘争
古い価値観と葛藤し、現実とどう向き合うか、個々人の心の闘争でもあったような気がする。
(当時の人は、尖っていたけど、真面目だった。哲学書、宗教書などが、町の本屋の棚に置かれていた。)
日本の写真も、この頃がピークだったと思う。
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写真は不完全な表現方法。
被写体がないと、もう何もできない。
作品の善し悪しの大きな部分は被写体に依存する。
それでも、何かを表現したくて、写真家は写真を撮る。
写真家の内的必然性とは何だろう?
何に憑かれて撮っているのか、それを確かめに、展覧会などに行き、オリジナルプリントを見る。
でも、なにに突き動かされ写真を撮っているのか、それを感じる(読み取れる)写真家はいるにはいるが、少数派。
心象写真だ、自己表現の写真だ、写真による自己実現、写真は写心
そんな言葉を ネットや雑誌記事に見るたびに
薄っぺらいなぁと・・・杉山登志さんの言葉を思い浮かべる。
たかが写真、されど写真、でいいと思っている。
2023/05/20(土) 12:37:31 |
ある場所、ある瞬間
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商店街の道から一歩中に入り、そこから更に曲がった道にあった。
人ぞ知る、隠れ家ような花屋さんだったのだろう。
今は、飾る花はなく、締っている。
不思議な雰囲気が漂っていた。
帰宅し、フィルムをやや硬調な現像液(Ⅲo)で現像してみた。
画像を確認したが、期待したほど「荒れた美しさ」が出ていない。
どのように撮ったら、この空間を表現できるのだろうか?と思う。
二液現像(Afx)-(BⅠ)で、フィルムを現像してみた。
(Ⅲo)に比べ二液現像のほうが、コントラスト、精細感とも、格段に良くなっている。
しかし、雨風に晒され、荒れてしまった感じが出ていない。
もっと硬調な二液現像の組み合わせ、(Afx)-(Ⅱkf)を選び、現像した。
風雨に晒されザラッとした感じは出たが・・・そこにゾクッとする残酷な美しさは感じない。
現像法を二段現像に切り替えてみた。
このトーンでは、未だしの感は残る。
最強の硬調現像液(Ⅱof)で現像した。
コントラストは出るが、整いすぎて面白くない。
更なる「怪しい美しさ」を追い求めるなら、
残っている現像法は、常楽寺の「巴旦杏」条件だろう。
(フィルム、露光と、二段現像の組み合わせ)
駄目なら、また考えればいい。
「まぁ、やってみなされ」という所か。
2023/05/18(木) 12:39:28 |
都会の景観 Tokyo
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鯉のぼりを見る季節に入っていた。
例年にならい三ツ木小の校庭に鯉のぼりが 飾られていた。
去年は、この鯉のぼりを撮った。
今年はどうしようかと思う。
試したい撮り方はあるだろうか?
どうフレーミングしたらいいだろう?
アイデアが湧かない。
撮るなら、もっと違う場所の、違う鯉のぼりだろう。
では 何処の?となると、それも思いつかない。
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ソ連邦時代のカメラやレンズは、ドイツを真似て作っていた。
35mmレンジファインダーカメラ用レンズは、
大戦前のFED用の50mm F:3.5から始まり、
戦後、ツアイスの技術が入ってくると、進歩を遂げ、
Induster-22,Induster-50へと進んで行く。
戦前のFED用50mm F:3.5のレンズは、Tessarを しっかりと真似し、質は高いと思う。
戦後になり、コーティング(ツアイスの技術)の施されたFED 50mm F:3.5レンズも生産されたが、
すぐにInduster-22へ統一される。
計画経済のなせる仕組み、
各地の光学レンズメーカーでInduster-22が生産されたようだが、
ノルマ達成が優先されたのか、品質にはバラツキがあり、
Elmar以上のいいレンズと評価する人もいれば、
だめレンズと酷評する人もいる。
いいレンズに当たればラッキーということかもしれない。
小生の保有するレンズは、問題ない写りだった。
15年ほど前は店頭で5000円程度(数は少なかった)、
ヤオフク(多くの出品があった)で2000円から3000円で落札できるレベルだった。
現像は(AⅢn1)を使用した。
Tri-X用に作った(AⅠ)現像液を改良し、新たな成分を加え、微粒子現像液としたもの。
軟調な現像液になると思ったが、実際試して見るとD76と同等か、やや軟調な現像液になった。
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数日後、三ツ木小の前を通ると、門は開放されていた。
統一地方選挙の投票日で、品川区会議員選挙が行われていた。
レンズはInduster-50 50mm F:3.5 当たり外れのない優秀なレンズだと思う。
個人的にはTessar 50mm F:3.5の最終形だと思っている。
やや硬調な現像液(Ⅲo)で現像した。
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子供の日も過ぎ、ゴールデンウイークも終わっている。
上神明(二葉町)の天祖神社(蛇窪神社として売り出したいようだ)の前を通ると、
鯉のぼりが飾られていた。
鯉のぼりを順光で撮るなら、カラーだろう。
白黒フィルムでは、余り綺麗なトーン(メリハリのある)にはならない。
ちょっと逆光気味の構図を探す。
レンズは、Induster-26M 50mm F:2.8 (1949年製?)を使用した。
おそらくツアイスのTessar 50mm F:2.8を意識して作られものだと思う。
ソ連邦のF:2.8テッサータイプのレンズの歴史・変遷はよく分らない。
その後Induster-61というレンズが出現するが、それは かなり年月が経ってから、
ソ連邦崩壊の前後に F:2.8 53mmとか F:2.8 55mmのレンズが出てくる。
1960年頃から1980年代は空白だが、小生が知らないだけかも。
線の細い描写力かなぁと思うが、優秀なレンズであることに変わりはない。
いまでも充分、実用に耐えると思う。
現像はP(Ⅳo)を使用した。
今は珍しいフェニドン系(PQ)硬調現像液になっている。(フェニドンが日本では入手困難になった。)
硬調な現像液だが、暗部のディテールも出してくれる処方になった。
たまに使う程度なので、
保存液を希釈して使うのではなく、
数種の成分を粉末の状態で混ぜて保存。(粉末中の有機物は2%程度)
使用するたびに一定量をはかり、水に溶かして使用している。
(2.5gを500ml水希釈だったが、この頃はSUSの現像タンクを使うので1.25g/250ml水にしている。)
フェニドンの含有量は少ないので、20℃の水でも、数分で溶解する。(溶け残りない)
現像は一回限りで廃棄しているが、
ネガの洗浄水で希釈すると、
現像液由来の有機物(BOD,COD)は30ppm以下になると計算している。
問題ないレベルだと思う。(家庭の生活排水のほうが数十倍から数百倍、高濃度)
------------------------------
翌日、大崎駅へ出ると、まだ鯉のぼりが飾られていた。
戦後のコーティングの施されたFED用 50mm F:3.5レンズを使用し撮影した。
今でも実用に耐えるいいレンズだと思う。
現像は微粒子現像液(AⅢn1)を使用した。
コーティングレンズなので、期待はしていたが、
小生の好みか、ノンコートの古い(おそらく戦前の)FEDレンズのほうに 手が伸びる。
Fake Elmar(偽エルマー)を作るとしたら、FEDのレンズをつかったほうがいいように思える。
Induster-22では・・・・だませないのでは?
2023/05/15(月) 11:16:36 |
オールドレンズの密かな楽しみ
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露光が少し足りない時、
第一現像が不足気味の時、
第二現像を押しすぎた場合、
あるいは被写体に当たる光の具合で、
トーンの破堤が起きる。
小山八幡の「スダジイ」の幹を撮した。
硬調な現像液で現像すると、暗い部分のディテールは失せるが、
白黒のコントラストは高くなり、違った不気味さはでる。
二液現像法でも、似たトーンになると思うが、
エッジ効果は二段現像のほうが大きいように思える。
一絞り分(正確には露光量は1/2.5に減じる)絞ると、トーンの破堤が起き、
現実の姿から抽象(虚構)の世界に踏み込んでしまう。
おそらく+2EVの露光を選べば、常楽寺の巴旦杏に似たトーンになったと思う。(一つ前の記事)
明暗差のある構図では、露出をどこに合わせて決めるかで、トーンは大きく異なる。
更に一絞り分少ない露光では、トーンの逆転も起きてくる。
見慣れた写真ではないと、心はざわつく。
写真?だろうか。
この現像法、「劇薬」に近い。
現実と虚構の境に留めたいと思うが・・・・まだ、そのコツが掴めない。
ノルウェー人から教わった、遊びの秘訣、
決められたルールに従って遊ぶより、
自分の眼(体験)で、ルールを発見し遊ぶ。
その通りだと思う。
2023/05/13(土) 10:01:18 |
フィルムの眼
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昨年9月頃から二液現像法の開発を初め、
実用になったのが、11月頃だった。
そのころ、テストで撮ったなかに、この被写体もあった。
(今年1月3日の記事に その画像を載せている。)
黒光りした肉体のように感じるこの被写体、
二段現像でも、表現できないかと、挑戦してみた。
入射光式露光計を持ち出し、陰になった部分で光を測定し基準露光とした。
露光を増やすにつれ、暗部のディテールがでる。
ネガは濃くなるが、焼き込むと、トーンはさらに黒光りするようになる。
露出を増やせば、ハイキーになるはずが、ローキー表現になっていく。
常識とは・・・少し外れるかも。
もともと、二段現像は、トーンの破堤が起きやすい現像方法。
予想が外れるのは、当然だろう。
軟調現像液(Ⅳ)でUp180まで現像した後(そのときLow値は30程度)、
硬調現像液(Ⅱ)で、Low100~120まで現像を押している。(Up値は245程度まで上がっていた。)
もう少し、黒光りを強められないかと
第一段現像(Ⅵ)でUp160に下げ、同様な操作を行ってみた。
最初の現像を浅く行った方が、いいようだ。
常識を越えた、かなりオーバな露光が効果的。
近づいて撮ったため、被写界深度は浅い。
綺麗に撮るなら、三脚を持参し、絞りを効かせ、スローシャッタ-で撮ることになるだろう。
これも、写真表現の一つだろう。
2023/05/11(木) 09:55:06 |
フィルムの眼
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長い間 自家現像してきたが、
被写体の境界にエッジがでたのを発見したのは、この10年ほど前、
マン・レイが発見したソラリゼーション現像を真似て Tri-Xを現像した時だった。
画像の一部が反転し、白いところが黒に、黒いところが白くなる、その境界近くを丹念に見ていると、
境界にエッジが立っていた。
その後、注意深くネガを見るようになり、
ソラリゼーション現像でなくとも、
使うフィルムにより、エッジがでることを発見した。
出やすい現像液はフィルムにより異なる。
Retro400S、SuperPan200の高感度フィルムなら、軟調現像液(Ⅵsx)を使ったとき、
Retro80Sはやや軟調な(Ⅰ1)か(1d1)現像液、
Fpmapan100は、硬調な現像液(Ⅱof)、やや硬調な(Ⅲo)、やや軟調な(Ⅰdf)を使ったとき、
エッジの出たネガができてくる。(すべて上手くいくわけではないけど)
去年、二液現像法の再評価を行った。
精細な(accuitance)の高い画像を期待し開発したが、
結果は、エッジの出たネガが生成した。
しかも、フィルムの種類に依存しない、汎用性に富んだ現像法であることに気づく。
ただし、やや硬調トーンになりやすいので、軟調でエッジのある画像となると、まだ難しい。
二段現像法でも、エッジのでた画像を生成させることはできるが、
その範囲は、かなり狭い。
間違えると予想外(予想不能)のトーンになってしまう。
軟調現像液(あるいは、やや軟調な現像液)でUp値180まで現像し、現像液を硬調な現像液(Ⅱ)に替え、
ネガのLow値が80~110程度になるよう現像を進める。
豊かな階調性という意味では若干落ちるだろうが、それでも階調性はあり、充分な画質になる。
カメラは内蔵露光計のついたBessaRを使用した。
レンズは、ロシア製 Induster-50 50mm F:3.5.
1964年製で、ブルーのコーティングが施されている。
テッサーレンズ(35mm用)では最高ではないか・・・と密かに思っている。
安かったし、沈胴で携帯しやすく、重宝している。
露光は、追尾式で、カメラの指示に従い(赤い○にする)、シャッター速度、絞りを調整した。
露光計に頼ったのは、±1絞り違うと、エッジ効果がでなかったり、
エッジ効果はでるが、同時にトーンの破堤があったりするこ多いから。
その危険性回避で内蔵露光計がついたカメラを選んだ。
露光に対し、非常にセンシティブ。
旅館の文字にくっきりとエッジが出ていた。
横文字は薄いが、これは赤で書かれていたため。
Retro80Sはスーパー・パンクロフィルムで 赤に対しても感度は高い。
そのため「赤」は印象より明るく(白く)写る。
武蔵小山商店街に並走して補助26号線が走っている。
街路灯を撮ってみた。
ピクセル等倍(約1300万画素)に拡大して見た。
街路灯の円柱にエッジが出ている。
粒子も目立たず滑らか、文字もくっきりと記録していた。
街路樹に近づき撮影。約1.2mだった。
幹の文様は淡かったが、この現像法で現像するとコントラストは高くなる。
等倍まで拡大すると、文様にエッジが立ち、
撮したときは気づかなかったが、
釘などで引っ掻いた「いたずら書き」がくっきりとでていた。
二液現像法では、こういうトーンにならなかったと思う。
二段現像法、コントロールの難しい方法だが、うまくいくとびっくりとした結果を生む。
面白いなぁ・・・とひとりほくそ笑んでいる。(自己満足に過ぎないけど)
2023/05/08(月) 22:09:07 |
フィルムの眼
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白黒のフィルム写真は、
見たものそのままを撮すことはできない。
自然はカラーなのに、
白黒フィルムで撮れば、
すでに現実を抽象したものになっている。
なにか少し異なっても、当然だろう。
それならば、開き直り、フィルムの眼でしか捉えることができないトーンを 作れないかと思ってしまう。
衝撃的だったのは、デジタルカメラの出現。
10年程前、ソニーのNEX-5を購入し、使って驚いた。
カメラの設定を、HCB&Wモード(ハイコントラスト・白黒モード)にして撮ると、
コントラストの美しいモノトーン写真が、いとも簡単に撮れてしまった。
フィルムは、このトーンを越えられるだろうか?
デジタルでは表現できないトーンを作れないだろうか、とも考えた。
それから、何十もの配合をつくりテスト、
ようやく現像液がどういうものか、少しずつ理解できるようになってきた。
フィルムによりトーンの特性変わってしまう。
現像液、現像方法でも、トーンに違いはでる。
そして重要なのは、その空間の光を読むこと。
これが、一番難しい。
これは、経験してみないと分らない。
暗い樹の幹を撮ってみたい。
石仏の存在感を際立たせるトーンを作ってみたい。
それが動機、
Retro80Sフィルムを使い、
トーンが変化しやすい二段現像でトーンを試している。
Retro80Sのベースはポリエステルなので透明性は高い。
スキャナーで画像を取り込むと、
画像は0~255の間に入る。
ポリエステル(Retro系フィルム)なら
ネガ上の画像は通常30(Low)~255(Up)の範囲に入る。
ネガが従来タイプの酢酸セルローズ系フィルムだと、
透明度は下がり、だいたい60~255の範囲のネガになる。
Low値が高いと、現像オーバーか、露光オーバーだと判断し、
ポリエステル系フィルム(Retro80Sなど)ではLow値が50以下であることが好ましいと考えている。
やむを得ない場合でも80は越えないようにしている。
それ以上だと、トーンが飛び、時にはトーンが不安定になることがある。(それが面白い場合もある)
軟調現像液(Ⅵ)でUp値が160になるまで現像し、(現像条件のUp値のグラフは作成済み)
LowとUp値の差が一番大きくなるよう、
硬調現像液(Ⅱ)に切り替え、現像してみた。(Up値は220を想定した)
露光計を携帯していないので、露光は三水準かえて「ススキ」でテスト撮影。(それを基準にしている。)
黒い車、氷川神社の参道は、f:8/125秒が狙いの露光となるが、
暗い部分を潰したくなかったので、一絞り開けてシャッターを切った。
一絞り開けた分、空は白く飛んでしまったが、白と黒の領域でエッジが立ち、すっきりした画像になる。
もう一絞り開けて露光を増やすと、更に暗い部分のディテールが出てくると思う。(黒光りする車を撮りたい・・・が願望の一つ)
木々の葉が一枚一枚くっきりとでる。
石柱や狛犬の台座に刻まれた文字が、くっきりと出ていた。
明るい太陽の光を避けてフレーミングしたので、三絞りあけて撮ったが、白飽和はしていない。
暗い部分でもディテールはなくならず、ゆたかに現像でき、狛犬を克明に描き出していた。
二段現像法、うまく当たれば、有用な現像法になると思う。
2023/05/06(土) 22:10:23 |
フィルムの眼
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フィルムカメラは絶滅寸前、
今はデジタカメラの時代になっている。
そのデジタルカメラさえ、ムービー(動画)の方へすり寄っていく感じがする。
新種のPhone-Cameraに、取って代られそうになっている。
人の関心は、静止画から動画へと移っていくようだ。
それと共に、フィルムの必要量は 年々下がっている。
メーカーの淘汰、品種の整理、価格を高騰が続いている。
これも技術の進歩なので 致し方ない。
写真展の葉書が届く。
会期は4月5日まで。
久しぶりに新宿へでる。
笹崎正明氏の写真を知ったのは2015年「シリウス」で開催された
「記憶の断片」 ピンホールカメラによる写真展が最初だった。
当時小生も、同じようなことを試みていたので、興味を覚え、出かけていた。
その後、2年毎 作品展があったので、そのたびに出かけていたが、
コロナの影響で、数年 個展は開かれていなかった。
久しぶりの個展、
今回はスローシャッターで撮った作品展だった。
氏のスタイルは、テーマを決めると、のめり込むように、その被写体を探し、撮影する。
いろいろと話をしたが、結局のところ、フィルム、印画紙の値上がりに話題は収斂していく。
年齢的にも、大きいカメラで撮影するのは しんどくなったし・・・・と少々弱気の発言もあったが、
この方も、自由人、
「ルールに従って遊ぶ」か、「ルールを見つけて遊ぶ」か
なら、ルールを見つけて遊ぶ人だろう。
会場を後にして、新宿駅に向かう。
晴天、ミヤマ商会はなくなり、工事中だった。
ここも カメラの老舗、ついになくなってしまった。
コクーンタワーが見えたので記念に一枚撮ってみた。
確かにフィルム写真の時代は過ぎていく。
でも「ルールを見つけて遊ぶ」フィルムカメラが、小生にはぴったりする。
新たに作った(配合を決めた)微粒子現像液(AⅢn1)で 現像してみた。
これなら、全紙に伸ばしても、銀粒子のザラつきは抑えられる。
こういうのが楽しいんだよなぁと思う。
二つのビア樽の写真、どちらもフィルムはRetro80S、現像も同じ二段現像で行った。
違いは、最初の写真は カメラはコシナ製BessaR レンズは古いロシア製レンズInduster-50 50mm F:3.5(1964年製)
二枚目は KyivⅡ(ソ連邦、ウクライナ製)カメラに コシナ製のNokton 50mm F:1.5をつけて撮影したもの。
トーンや解像感は異なっている。
どちらが好みか(評価)は、ひとによるだろう。
レンズの名前で判断する人もいるだろう。
カメラメーカーの名前で決める人もいる。
自分の好み、気に入るかどうかで決める人もいる。
しかし、トーンや解像感が異なるのは、
レンズやカメラが大きな要因ではない。
重要なのは、
撮る人が光を如何に読むか、
どうフレーミングするか、
現像液に何をえらぶか、
どう現像するか、
にかかっている。
現像は同じ二段現像法を使用したが、
最初のフィルムは、軟調な現像液でネガ濃度のトップ値が160まで現像したところで、
硬調現像液に換え、トップ値が210になるまで現像をしたもの。
つぎのフィルムは、トップ値180まで現像し、そこで硬調現像液に交換、トップ値210まで現像した。
トーンや解像感の差は、現像の影響が大きい。
レンズやカメラの影響は少ない。(余り感じない)
それが、フィルム写真。
やはり、モノトーンフィルムは 面白い。
夏の暑い日、
手っ取り早く、自動販売機にコインをいれ、冷たい飲み物を買うか、(××のモノトーンデジタルカメラを買う)
オアシスまでぶらぶらと歩いて、水を得るか、(時代遅れのカメラを大事に、修理しながら、使う)
どちらを選ぶかは、その人の知性、人生観が決めることだと思う。
そのオアシスも・・・・干上がり始めていることは確かだけど。
2023/05/03(水) 22:12:12 |
フィルムの眼
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ノンコート・エルマーとほぼ同じ時代、
ソ連邦でつくられたフェド(FED)カメラ用50mm F:3.5レンズを保有している。
散歩にカメラを持ち出した15年ほど前、ネットのオークションサイトで買ったもの(ヤオフク)。
価格は2000円はしなかったと思う。
当時、ロシア製のカメラ、レンズは投げ売りのような状態で、
FED 50mm 10個一箱 一万円と言う出品もあった。
一つ有ればいいと、選んで入札、競ることなくそのまま落札ということが多かった。
今になると、ロシア製FED用ノンコートレンズは珍しいかも。
Fake Elmarに作り替えしやすいのか、そちらに流用され、数が少なくなったのかもしれない。
ネットを検索したが、FEDノンコートレンズはヒットしなかった。
使用したカメラはソ連邦製、Zorki-4。
等倍ファインダーなので、使いやすい。
しかも視度調整ができるので、近眼でも、老眼になってもファインダーをくっきりさせることができる。
ファインダーは明るく、ピントも合わせやすい。
ただし、このカメラ、金属の塊のような重量感がある。叩いても壊れない設計か?と思ってしまう。
裏蓋はコンタックスに似るが、シャッター機構はライカ、良いとこ取りしたソ連邦の高級カメラというところだろうか。
ファインダーにブライトフレームがないのは、コンタックス譲りだろう。
フレーミングしているとき、左の自転車は見えていた。
撮ってみると、切れてしまった。
パララックス補正があれば・・・・と言い訳したいところだが、見苦しいだけ。
カメラは道具、使いこなす努力は必要。
やや逆光気味の光線だがフレアーもでず、くっきりと写っている。
フィルムの現像は(AⅢn1)を使用した。
TRI-X用に作った高感度フィルム用(A)現像液を ISO:100以下のフィルム用に調整し直した処方。
D-76よりやや軟調現像液で、昭和40年頃、超微粒子現像が流行った頃の処方に近いかもしれない。
等倍に拡大してチェックしたが、「超」とは言えないだろう。微粒子現像液という所か。
レンジファインダーカメラの最短撮影距離 約1mまで近づきピントを合わせ撮影。
ピントも来ているし、トーンも豊富でしっとりした感じの写真になった。
逆光での撮影でも、コントラストの高い写真になる。
Elmarで撮影したといっても、区別は付かないと思う。
ブランド名に拘る人は歯牙にもかけないだろうが、
写真の写りを重視する人なら、
このレンズを選ぶのが正解だと思う。
写真の最終的な評価は、紙などにプリントした写真で決まるとなれば、
レンズやカメラ本体より、フィルムや現像液のほうが大きな要因になる。
デジタルカメラ全盛の今日、一番重要だった暗室作業はなくなってしまった。
レタッチソフトを使うことを「明るい暗室」と言い直しているが、レタッチもどんどん自動化されていく(AI)、
勢い、重要なポイントは、写真を撮るならこのカメラ、これが神レンズと
権威ある雑誌や、写真家を名乗る人の評価に関心は移っていく。
規則に従って遊ぶか、規則を発見して遊ぶかとなれば、
デジタルは、(メーカーと権威の提供する)規則に従って遊ぶ方。
かなりのギャップを感じながら、フィルム写真で遊んでいます。
2023/05/01(月) 12:17:15 |
フィルムの眼
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