30年ほど前、出張でヨーロッパを巡ったことがある。
そのとき訪れたノルウェーで、相手の会社の技術者と、夕食を共にした。
テーブルトークで、イギリス人とノルウェーの気質の違いが話題になったことがある。
「彼等(イギリス人)は、規則(ルール)がないと遊べない。
しかし、我々(ノルウェー人)は、規則をつくって遊ぶ」という。
英国のビジネスマンはすぐゴルフをしたがることを皮肉って言ったのだろう。
ノルウェー人のバカンスは、夏6月から7月頃に4週間のあり長い。
最低でも3週間は連続で休暇を楽しむという。
日本から見たら夢の様な話だった。
その人は、夏、フィヨルドの上で、トナカイを捕るのが趣味だという。
自然が相手、トナカイの好む場所を推定し、群れの大きさ、風向きを読み、地形を見て、どうしたらいい決める。
「ルールは自分が決めるもの」 それがノルウェー人の流儀だという。
フィルム写真の楽しさも、その辺りにあるのかもしれない。
フィルム写真も、自然が相手。
あらかじめ、フィルムの特性を知り、現像の特性を掴んで、準備しておき、
雑踏に紛れたり、風光明媚な場所へ出かけたり、
今度は「あれ」を撮ろうと、被写体を追う。
工夫することで、フィルム写真の範囲を広げることができる。
フィルムは一種類と決めてかかり、現像液も市販品任せでは、フィルム写真を楽しんだことにはならないだろう。

散歩にカメラを持ちだし、15年ほど経つ。
腕は上がったかというと、そうでもない。
寧ろ、昔の写真のほうが狙いはいい。
でも、楽しさは段々と深くなってきている。
フィルムはFomapan100を使用した。100フィート缶で入手できるフィルムで一番安価(小生の調べたなかで)。
安かろう、悪かろうではない。現像液を替えると、トーンも変わり、使って楽しいフィルムだと思う。

現像液は二液現像法で行った。
白と黒の境界部分にエッジが出やすく、精細感(accuitance)のあるネガができる。
銀塩写真のAccuitance(写真家特有のスラング?)と粒状感はトレードオフの関係にあり、
大きく伸ばすと、粒状感が出てしまう。

1932年か33年製のElmar 50mm F:3.5 ノンコートレンズを使用した。
90年ほど前のオールドレンズ。
「そんな古いレンズ、ポンコツでしょう」と思うかもしれないが、メリハリのあるコントラストの高いネガになった。

電話ボックスの「引く」の文字にピントを合わせる。
文字がくっきりと出るのがいい。


逆光でも撮ってみたが、フレアー、ゴーストの類いもでず、至極まっとうな写りになっている。
これが90年ほど前のレンズの実力、侮れないと思う。
Ekmar 50mm F:3.5と外観がよく似たレンズ(FED用)が戦前のソ連邦でも作られていた。
目盛盤を交換すれば、Elmar 50mm F:3.5と同じ外観になるが、
絞りの位置が2枚目と3枚目の間にあるので、
簡単に判別できる。(鏡胴に磁石を近づけても分ると思う)
FEDもノンコートだが、見分け方を知らないと、だまされるだろうなぁ。
Elmar 50mmF:3.5も レンズ構成は3群4枚でテッサーと同じ。
3群構成のレンズ(トリプレット)で、安くてなお高解像となると、テッサータイプに落ち着くのだろう。
ツアイスのゾナーは同じトリプレットだが、収差を抑えるため 3群7枚の構成となり、貼り合わせ硝子を多用している。
当時としては一番明るいF:1.5レンズだが、非常に高価だった。
ソ連邦のレンズ開発は、軍事目的だったので、
ツアイスの光学技術、精密加工技術が欲しかったのだろう。
FEDのレンズはテッサータイプになっている。
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- 2023/04/30(日) 23:03:51|
- フィルムの眼
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東京でオリンピックが開催された頃だから、
1964年ごろ、昭和38年か39年だと思う。
戸越銀座商店街に実誠堂という本屋があった。
まだ、図書館がそれほどなかったので、本屋は「知の宝庫」だった。
勿論、月刊誌、週刊誌、子供の雑誌、ハウツーものの本も置かれていたが、
哲学書や科学書などから岩波文庫本に至るまでそろっていた。
ロウソクの科学や、ガモフの科学書、星の王子さまも、この本屋で購入した。
そこで何気なく手にしたこの本に魅了されてしまった。
小川亮作訳『ルバイヤート』
最初の詩が、
チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
わが面影のいかばかり麗《うるわ》しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

ペルシャの伝統的な詩形 四行詩(ルバイヤート)だという。
大きく言語地図を広げてみれば、日本語も、ウラルアルタイ語に含まれるらしい。(専門家でないので、伝聞です)
ルバイヤートは、起承転結の詩形で、音韻は、5音7音を基本とする日本と似たところが有るという。
「チューリップのおもて」は、艶やかな女性を象徴しているように思える。
しかし「糸杉のあで姿よ」、は残念ながら見たことないので分らない。
ゴッホの「糸杉」を思い出してしまう。
次の句は、
もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来《きた》り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!
と続く。
大人になりかけようとしている小生には衝撃的な詩集だった。
そうだなぁと心を揺さぶられ・・・更に先へ進む。
自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?
科学を志し、この世の秘密を明らかにしたいと思っていた小生には、
衝撃的な詩だった。
こんな詩人、日本にいただろうか?
魂よ、謎《なぞ》を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者(*)の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃《さかずき》でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。
絶望的な詩だが・・・すごいなぁと思った。
それ以来、この呪縛から逃れられないのかもしれない。
作者のオマル・ハイヤームは、西暦1040年のペルシャに生まれている。
日本なら平安時代の後期のころだろう。
当時ペルシャは政情不安だったが、文明は世界で一番発展した地域だった。
彼は、当代一の数学者であり、天文学者であり、万事(哲学)にも通じる知識人だったという。
そんな人の歌だった。
彼の四行詩(ルバイヤート)には酒を詠んだ歌は多い。
日本にも酒を歌った歌はあるが、しかし、視点は異なっている。
歌人 若山牧水は、
白玉の歯にしみとほる秋の夜の 酒は静かに飲むべかりけり
と歌い、
昭和の流行歌では
酒は涙か 溜息か 心のうさの 捨てどころ
遠いえにしの かの人に 夜毎の夢の せつなさよ
と藤山一郎の歌声がラジオから流れていた。
日本人は、そこに心を動かされていた。
日本には 独特な私小説という分野がある。
短歌、俳句にも、自分の気持ちを表出させ、
さりげなく、同意、同情を求める一人称的(あるいは悟りきったような)表現の歌は多い。
己の身の不幸を嘆き、それを表出する。
それが巧みであれば、共感する人がでてくる。
私も似たようなもの・・・・とそのなかにどっぷり浸かっていれば、それで癒やされるのだろうが・・・
ただそれだけの閉じた空間でいいのだろうかと思う。
オマル・ハイヤームの詩は、
一人称的表現に留まらず、
視点は俯瞰的、三人称的表現となって、その不条理な「解き得ぬ謎《なぞ》」へと向かっていく。
このあたりが、日本の写真家に感じる物足りなさかもしれない。
クーデルカに匹敵する写真家も現れないし、
セバスチャン・サルガドもいない。
水俣を撮ったのはユージン・スミスだった。
「絶対非演出の絶対スナップ」を標榜した土門拳は、
筑豊炭鉱を訪れ、『筑豊のこどもたち』をだし、評判を得るが、
水俣へは行かず、『古寺巡礼』へ被写体を換えていく。
こんなの有り?
写真を撮る動機が、掴めない(不純?)。
デジタルになり、写真が簡単に撮れるようになった。
いいことだと思う。
この世の不条理を、切り取る写真家が、
そろそろ日本に 出てきていいと思っている。
- 2023/04/28(金) 16:18:28|
- 樹、草、花
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これが最後のチャンスだろうと、翌日再び舟入場へいく。



上流からの花びらは減っている。
花筏の時期は終わりを迎えていた。
下流の桜を期待し、遊歩道を下っていく。
中里橋を過ぎ、田道橋に近づくと、
花びらが集まりだし、花筏を作り始めていた。

柵に身を乗り出し、ファインダーを構え、集まり始めた花筏を撮っていると、
40歳過ぎの女性が寄ってくる。
「花筏を見たくて、下から歩いて来たけど、ここが一番。」
下流の花筏は壊滅状態だという。
川面が花びらに覆われ、花筏ができていれば、
珍しいと、持っていたスマホで撮るが、
花筏を期待し、「花筏が見たい」と目黒川に来る人は少ないだろう。
こういう方もまだいると思うと嬉しくなる。
「上流にも花筏のスポットはあるけど、そこも、もう駄目ですね」と相づちを打つ。
柵から離れ、場所を譲る。
女性は持ていたスマホで、数ショット、花筏を撮っていた。
下流の花筏は期待できない。
最後のチャンスは、この場所だろう。

時刻は満潮を過ぎた頃、流れは殆ど止まっていた。

やがて、少しずつゆっくりと流れ始める。

徐々に下流へむかい流れ始めていた。
20分もすれば、田道橋近くに来るだろうと、
田道橋で待ち受けた。
後ろからモーターボートの音が聞こえてくる。

勢いよく走ってきたモーターボートが、減速し、反転する。
前方の花筏に気づき、ここで引き返すのか、と一瞬ホットしたが、
下っていく気配がない。

やがてもう一台のモーターボートが現れる。
二台が並走しフルスロットルで花筏めがけ突進していった。
花筏の、止まることない文様の変化と、その消滅に、
「はかなさ」を覚えるのは歳のせいだろうか?
また来年があるさ。
運が良ければ、すごい花筏に会えると思えばいい。
- 2023/04/25(火) 10:38:12|
- 桜
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目黒川も上流に上れば花筏が見られるかもと期待し、
中目黒の舟入場へいく。

中目黒から上流の池尻大橋までが、花見スポットになっている。
川幅が極端に狭く、両岸から桜の枝が伸び、花見には最適の場所だが、
流れが速すぎ、花びらは舟入場に流されてくる。
でもこの場所で、花筏を見ることは少ない。

もうすこし花びらが集まってくれれば、綺麗な花筏になる・・・

数年前、川底が改修され、流れが変化していた。
以前のような文様の花筏にはならない。
下流に向かって歩いて行く。

田道橋付近で、なりかけた花筏を見る。
嘗ては、雅叙園から下流の大崎付近まで、花筏を見ることができたが、
この頃は、殆どそのチャンスはなくなっている。
今日なら可能かも・・・と足を速める。

これでは不足、もう少しなのだがなぁ・・・と思いながらカメラを構えていたら、下流から観光船が上ってきた。
花の期間は短い。
咲いたと思うと、すぐにハラハラと散っていく。
その「はかなさ」に共感し、育まれたのが、日本人のエトスだと思っていた。
しかし、人の心は変化していく。
それも、致し方なし。
遊びは必要。
一時の息抜きに花見をするのはいいことだと思う。(反対はしない)
でもそこには「はかなさ」に感じ入る日本人特有の心はなくなっているのではないか?
時代が変われば、人の心も変わる、致し方ないとおもうけど・・・
人生の勝ち組になると こんな息抜き(遊び)もできると、
これ見よと言わんばかりに、
モーターボートを乗り入れるのは 如何なものかと思う。
自分の遊びに熱中し、他人の遊び(息抜き)を奪っていることまでは想像できないのだろう。
観光船が、手こぎの和船になり、
モーターボート(モーターバイク)が、カヌーになって、花見を楽しむなら・・・・問題はないと思うのだが、
どうなんでしょうねぇ?
やはり「花見経済」優先が、日本人のマインド(心)になっているのかなぁ。
観光船乗っている人の個人の特定ができないよう、ピントを少し外して、シャッターを切った。
- 2023/04/23(日) 10:40:01|
- 桜
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日比谷公園をでて、皇居に向かう。
法曹会館(桜田門前)の桜は早、散り始めていた。

桜田濠の桜は、満開から散り始めの頃。

使ったフィルムはFomapan100、現在入手できるフィルムの中では一番安価だと思う。
安いからと言って、侮れない使い勝手の良いフィルムで、
現像液を換えると、それに応じ、トーンや粒状感、像の鮮鋭度が変化する。
現像は、高感度フィルム用(A)現像液を改良して作った(AⅢn1)現像液を使用した。
1960年代に流行った微粒子現像液に分類されるものだと思う。
桜田濠の中央付近に小さく何かが浮いているが、等倍まで拡大すると、鴨が泳いでいると分る。

銀粒子のザラッとした質感にはならず、滑らかな画質になる。



桜田門へ入る。
観光で来られた外国の方の姿をよく見るようになる。
日本へ来た記念のフォトジェニックな場所。
ふたつのパーティーは たまたま居合わせただけだが、
言葉は通じなくとも、意志は理解できる。
互いのスマホで、写真を取り合っていた。

花見には最適な時。
ただし、皇居で毛氈を敷き、車座になって花見の宴を行うわけにもいかない。
この日、皇居前広場には、皇居乾通りの通り抜けを待つ人の列ができていた。
しかし既に、桜田濠の桜を堪能している。
それで充分。通り抜けの列には加わらなかった。
-------------------------
綺麗な桜を撮りたかったら、半蔵濠、千鳥ヶ淵、北の丸公園・・・・皇居にはいろいろな花見スポットがある。
そこへいけばいい。
桜田濠はそのリストには入らないだろう。
余り見向きもされない桜だからいい、
なにか違った発見があるかもと、期待だけが膨らむ。
-------------------------
「著名な写真コンテスト、ソニー・ワールド・フォトグラフィー・アワードで受賞した作品がAI生成画像であったとして、作家が賞を辞退する騒動が起こった。」
というニュースをネットで読んだ。(2023年4月18日の記事)
https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/918
ついにここまで技術が進んだかという思いがする。
充分予見できたし、この動きが悪いわけではない。
「AIで生成したというボリス・エルダグセンの作品《The Electrician》」
は、AIと言われなければ、誰もが写真と疑わないだろう。(作者からA Iと指摘されても、写真でしょうと思ってしまう。)
写真を撮る意味が問い直されている。
心象写真と言う言葉に、小生は違和感を覚えていた。
でも、AIで生成させた写真なら、「心象写真」と公言しても良いと思う。
面白い、これで、写真とは何か?の議論が活発化すると思う。
悪くない、寧ろ 面白くなってきた。
- 2023/04/21(金) 10:15:41|
- 桜
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新橋へ出たついでに、日比谷公園まで歩いてみた。
今年の「桜」はもういいだろうと思っていた。
これまでも沢山撮ったし、遠くへ出かけて撮ろうとも思わない。
眼を引く写真など撮れそうもない。
しかし、いざ咲いてしまうと、気もそぞろ、カメラを桜に向けてしまう。

園内に入ると桜が満開を迎え、
散り始めていた。

金曜の午後、すでに花見の宴が始まっていた。

小生の場合、写真を撮るときの姿勢は二つ。
「テーマ」を決めて撮るときと、偶然の発見を楽しんでいるとき。
テーマがあるときは、しつこく、TRY&ERROR 工夫が足りないと何回も同じ被写体を追う。
偶然の発見を期待し散歩している時、
小生は「透明人間」で有るべきと思っている。
その場の雰囲気を記録しておけばいいと割り切っている。
(見栄えを良くしようと、被写体に手を加えたり、声を掛け仲良くなり、ポーズを要求したりしない)
私は、透明人間に徹したい。

整備された公園の落とし穴。
庭師がフォトジェニックな場所を用意しておく。
それにまんまと引っかかり、フレーミングしシャッターを押す。
絵はがき的な写真になってしまった。
手垢の付いた写真だなぁと、我ながら呆然。
もし、カラーで撮ったら、公園紹介の広告写真になっていたかもしれない・・・・

透明人間となって撮りたいのは、こんな写真。
以前は人物に近接し、もっと大胆な「秒撮」を行っていたけど・・・
この頃は、人は点描、あるいは被写界深度を外してぼかしたり、
顔の出さないようなフレーミングを探すので、
撮影の自由度は下がっている。
「スマホ」をかざして撮っている人が多い中、
なるべく堂々とその場の空気になって、シャッターを切る。
盗撮するなら、スマホだろうと思うのだが、どうなんですかねぇ?
- 2023/04/19(水) 11:36:06|
- 桜
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更に目黒川を上っていく。
ようやく「花筏の赤ちゃん」を見つける。

場所は中里橋近く。
この場所はまだ水深が浅く、流れは速い。
沢山の花びらが集まる前に、下流へ流されていく。
水深の深くなる雅叙園近くに花びらは集まり、
フォトジェニックな花筏になる。
この場所で、見事な花筏ができるのは希。
花吹雪の舞う頃、風が吹けば、できるチャンスはある。
さて、今年 そんなチャンスあるのだろうか?
- 2023/04/16(日) 10:10:54|
- 桜
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スーパー・パンクロフィルムとして使うなら、
広い感光域を生かし、
豊かな階調性を生かした使い方が良いと思う。
すこしたっぷり目の露光をかけ、軟調現像液で現像し、
白飽和も、黒潰もないネガを作る。
それが今回の狙い。

ふれあい橋の上から目黒川を見下ろして撮影。
フィルムの感度はISO:400、
川面を黒く潰したくなかったので、露光をf:5.6/500秒とした。
撮影したとき、水面にこれほどの文様が浮かび上がるとは思わなかった。
桜と川面の文様の対比が面白い。

花散る川面。
フィルムの眼は、人の眼の印象を越えることがある。
撮って、現像し、初めてこんなに沢山の花が散っていたのかと気づいた。
嬉しい誤算だろう。

この場の光を見た瞬間、豊かな階調を確信していた。
鉄柵に身を乗り出し、フレーミングした。
対岸の遊歩道を入れたら、台無しになる。
シンプルで、白飽和を避け、黒潰のないフレーミングを選ぶ。
撮って、現像し、画像を確認する。
いつも何らかの欠点、不備を画像に覚える。
もう少し、上部を切ったフレーミングがよかったかも・・・・
ベスト解のないのがフィルム写真。
選択肢は常に撮影者側にある。
どうするのかと、その場で、カメラから決断を迫られる。
できあがりのイメージを心に描き、シャッターを切る。
後戻りはできない。
だから、次こそと 思うのだろう。
同じ被写体を執拗に狙い、再度同じ場所に立つことが多い。
大概は、最初の写真を越えられないけど・・・
- 2023/04/15(土) 10:31:23|
- 桜
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レンズからR72フィルター(720nm以下の可視光をカットできる)を外し、高感度なパンクロフィルムとして使用した。
赤外部まで感光領域が延びているので、軟調な現像液と組み合わせると、
トーンの豊かなネガができる。

目黒新橋から眺めた目黒川の桜。
この場に立ち スマホをかざす人は多い。
小生も過去に何回か この場所に立ちシャッターを切っている。
定番の撮影スポットだろう。
遠くに見える橋は、目黒区民センターに架かる「ふれあい橋」
その橋の上からの眺望もいいので、多くの人が集まってくる。
沢山の人が入れ替わり、立ち替わり、橋の欄干にもたれかかり、桜を撮影していた。
素直に、桜を愛でる人の姿を撮りたいのだが・・・・
この頃は、人物の特定ができるような写真は控えるようにしている。

新しい切り取りかたでもないかと思うが、なかなか難しい。

人物は点描のごとく。

人の存在、人の行為を匂わすような写真ならOKと、視点を変えている。


鳩にも、桜を愛でる権利はあるが、肖像権までは保証の限りではない。
驚かないよう近づいて、堂々とシャッターを切った。

手前の桜にピントを合わせた。
これなら、人の姿はボケるので、OKだろう。
-------------------
観光船が、ひっきりなしに上り、下っていた。
もっと上流、吃水の浅い中目黒辺りまで上らないと、花筏は、難しいだろう。
- 2023/04/14(金) 15:16:14|
- 桜
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冷蔵庫に使い忘れていた赤外線フィルムが一本残っていた。
2年ほど前100フィート缶から切り出し、コンタックス用マガジンに詰めたものだった。
天気は快晴、最後の一本、今回使おうと、KyivⅡカメラに装填し、目黒川へ向かう。

第一日野小近くで、桜の樹にで出逢う。
空には月が出ていた。
月にもピントがくるよう、パンフォーカスを狙ったが・・・・ちょっと足りない。
一絞り分絞って、f:8/50秒で撮影したほうが良かったと思う。(そうすれば空を暗く落とし、月を浮き出させることができただろう)

東京電力ビルの敷地に咲く桜は満開だった。
空を見上げフレーミングする。
パンフォーカスを狙い、f:11/25秒(f:8/50秒と露光量は同じ)で撮影した。

左、斜め前から太陽の光線が射してくる。
この方向だと、赤外線効果はでにくい。
ハーフトーンが消えてしまい、面白いと思える写真にはなり得ない。

太陽が背に当たるよう方向に注意して撮影すれば、赤外線効果は発揮できるが、
桜の花も木々の緑葉も白く写り、つまらない写真になりがち。
赤外線写真用フィルターをつかうと、トーンは極端に減る。(白黒ハイコントラスト)
その点は注意が必要。
これだ、と思えるような光以外、フィルターの使用は控えた方がいい。
以後はスーパー・パンクロフィルムとして、使用した。
- 2023/04/12(水) 14:58:34|
- 桜
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天龍寺から東海橋へでる。
目黒川沿いの遊歩道を大崎の方向へ進む。

東海寺近くの桜は満開をちょうど過ぎたころだった。
上流の中目黒辺りでは、すでに桜が散り始めていると思う。

観光船が、何隻も降りてくる。

下流のこの辺りは、観光スポットから外れている。
のんびりと散策するには良いところだと思う。

大崎にでて、ちょっと寄り道。
定点で桜と新幹線を撮っている。
ワンカット撮影し、帰宅した。
最初はほんの短い散歩。
中央公園の桜を見て、帰ろうとした。
桜の妖しい魅力か・・・撮っているうちに、あそこの桜はどうなったか?と気になってしまう。
すると、堪らずその桜を見たくなり、歩を進めてしまう。
結局、「桜」に振り回され、長い散歩になってしまった。
次は・・・やはり 目黒川の「花筏」か。
- 2023/04/11(火) 09:18:40|
- 桜
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そのまま足を伸ばし、立合川河口へ。

立合川駅近くの公園、仲田稲荷の桜は、満開を迎えていた。

勝島運河にでる。

既に葉桜になっていた。

この葉桜の並木道、どう工夫して撮ったらいいのか、皆目見当も付かない。
致し方なし、旧東海道を品川に向かって歩くことにした。

品川寺の桜は、満開を過ぎ、花びらが落ちていく。


枝に花はまだ残っているが、かなり透けてきた。

天龍寺までくれば、目黒川は近い。
桜は、花筏の時期に入っていた。
- 2023/04/10(月) 22:32:34|
- 桜
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この時期、散歩していれば桜の花をそこかしこに見る。
「美しい桜を撮りたくないのか?」と聞かれたら、撮りたいけど・・・と口ごもってしまう。
綺麗な桜が撮りたかったら、東京を離れ、
あまり人のいかない場所の、古木の桜を探すか、
ネットを調べ、有名な桜の名所へ行き、撮ればいいのだろうが、
「どうしても、美しい桜を撮りたい」という切実な動機が湧かない。
「どうだ」と自慢したいわけでもなし・・・・
妻からも、桜撮りたいならカラー写真の方がいいのではと言われるが、その気にもなれない。
どうしてなんでしょうねぇ?

いつものように、カメラをもってぶらぶらと散歩する。
品川区役所前の公園の桜が見えてきた。
満開に近いようだ。

火曜の午後、天気はいいが人影は少ない。
花見をするにしても、会社帰りの夕方からだろう。

桜を撮るなら、今が最高。
これこそ、暇な老人の特権だろう。
数カット撮影する。

撮っていて、
密かに桜の名所と思っていた場所があったのを思い出す。
-----------------------
そうだ、もう少し遠出してみようと、大井町の踏切を抜ける。

左には立合歩道が通っている。
勝島運河へ出るとき、その道を通るので、
病院の敷地に、桜並木があるのは知っていた。
敷地内で、茣蓙(シート)を敷いて花見をする人はいない。
密かに名所だろうと思っていた。

ハラハラと桜が散っていく。
散っていく花びらに関心が行く。
やがて地表を薄いピンクの花弁が覆っていく。
枝に咲く桜より、地上に落ちた花弁のほうに心が動く。
- 2023/04/09(日) 11:19:47|
- 桜
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嘗ては清流の流れた立合川も 都市化と共にドブ川と化し、今は殆ど暗渠になっている。
ようやく、浄化設備も設置されるようになり、綺麗な流れが戻りつつあるが、
暗渠が外されて元に戻る気配はない。
河口付近のみ川の流れを見ることができる。
二日にわたり、同じ桜を撮影した。
3月27日は 曇り空、現像は硬調な現像液(Ⅳ)を使用、
3月28日は 一転して快晴の天気、現像は軟調な現像液(Ⅵs)を使用した。

軟調現像液は、少々現像を押しても、白飽和しにくい。
暗部の多い被写体だと、たっぷり目に露光し、少し現像を押して、暗部のディテールを出して、トーンを整えることが多い。
今回、少し現像を押したが、露光は適正露光(サニー16)を採用した。

曇り空で撮ったショットは、硬調な現像液を使用し、
コントラスト(白黒のメリハリ)のあるトーンに纏めたので、暗部は潰れている。
ハーフトーンから明るい部分のトーンは、28日撮影したものと似た感じになった。
ネガは作曲、プリントは演奏なら、小生の好みが反映していると思う。

日が射しているので、護岸のコンクリート部分の明るさは異なるが、全体のトーンは27日撮影ショットと同じようになった。

小生の好みのトーンだろう。

空を入れないようフレーミングし、たっぷり目の露光を与える。
そうすると、このフィルム、豊かなトーンを作って(記録)くれる。

空が入る構図だったので、空を意識し(白飽和させない)通常の露光だと思う。
暗い部分は、少し黒潰している。

川の流れに注目し露出を決めた。
そうすると空は露光オーバーになり、ディテールは余り出ていない。
しかし、これで良かったと思う。
要は何に注目しているかで、露光を決めるべきだと思っている。
正確に判断するなら、反射光式のスポット式露出計が良いと思うが、
高価だし、嵩張りそうなので、散歩の友にはならないだろう。
残念ながら持っていない。
露出は自然との対話だろう・・・・と嘯きながら、気ままに己の勘で決めています。
------------------------------------
BessaR2Sには追尾式露出計が内蔵されている。
ファインダー内の露光マークを 気にしないで、撮ることが多いので、
それを使って露光を合わせたかどうか、覚えていない。
ただ、露光に関しては、そのときの絞りとシャッター速度を、
(内蔵露光計があっても)ノートにその都度書き留めるようにしている。
書きためるという行為が、
光のトーンの違いを気づかせる訓練になるのか、
露光が、大きく外れることはなくなってきた。
- 2023/04/08(土) 12:22:50|
- 桜
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大崎遊歩道の桜が気になっていた。
空を見上げると、厚い雲に覆われている。
時折小雨が降ってくる。
意を決し、小雨の間隙をぬい、大崎駅を越え、目黒川に出る。

冷たい日が続いているので、満開の桜は、そこに踏みとどまっている。

小雨がパラつく川面を、満開の桜を愛でようと、観光船が行き交うようになる。


もうすぐ、花筏の時を迎える。
さて・・・どうしたものか、考え込んでしまった。
花筏を撮るとしたら、上流に上るしかない。
「目黒川の桜」が観光地化してからは、
花見客を乗せた観光船が増え、川幅を敷き詰めた豪華な花筏は壊滅した。
観光船の上らない上流域でしか、花筏は見られなくなったが、
水深が浅いので、流れは早く、敷き詰めたような花筏はなかなかできない。
花筏を愛でるなら、そこしか残っていないだろう。

やはり今年も、花筏に挑戦してみようか・・・という気になっていた。
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曇天だったので、白黒のトーンをハッキリ出すよう、
硬調な現像液(Ⅳ)を使用した。
Ortho25フィルム、現像液を替えるだけで、トーンはビックリするほど変化する。
Fomapan100では出せないトーンだと思う。
Retro80Sなら・・・・二段現像(Ⅰf)/(Ⅱof)か、二液現像法(Afx)-(Ⅱbf)で近いトーンが出せると思う。
写真を決める重要な要素は、カメラとレンズだと思い、
高価なカメラや、神と崇められたレンズを 手に入れたいと希求したが、
それは小生がメーカーの販売戦略に踊らされただけだろう。
(所有することの満足感と自分を大きく見せたい密かな虚栄心も捨てがたい魅力なのだろうけど・・・)
写真を楽しむなら、重要なのは、フィルムと現像液。
「足りない足りない、は工夫が足りない」だけ。
ようやくこの頃気づいてしまった。
オルソタイプのフィルム 捨てがたい魅力がある。
- 2023/04/06(木) 11:31:13|
- 桜
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朝 起きると、青空が広がっていた。
立合緑道の桜並木を、
碑文谷神社まで、歩いてみた。

緑道へは羅刹橋から入った。
空を暗く落とし、
桜を白く輝かせようとY2フィルターをつけて撮影したが、
思ったほど効果はない。
トーンも少し崩れてしまった。感光域が狭いので、硬調なトーンになりやすいフィルムかもしれない。

雪見橋から桜並木は一直線に碑文谷八幡まで続く。
日差しは半逆光になる。
豊かな階調性(トーン)がでた。


見上げると、月がでていた。これならとY2フィルターをつけてシャッターを切る。
ピントは桜に合わせたので、無限遠まで被写界深度は届かなかった。

眼を落とすと、花びらが散り、マンホールの蓋を覆っている。
桜は、満開を迎えていた。
女性がその上を通り過ぎていく。
碑文谷八幡は近い。


桜の花を白く輝くよう、露光を少し切り詰めた。
参道は黒く潰れるか・・・と思ったが、意外と粘ってくれた。

オルソタイプのフィルムの特性だろう。
トーンは、Retro系フィルムとも、パンクロ系フィルムとも違う。
使う現像液の種類によってもトーンは変化する。
使って楽しいフィルムだが・・・入手が困難になってきた。
白黒フィルムなど、過去の遺産のようなものだろう。
トーンの違いなどは些細なこと。
写っていればそれで充分と諦めるしかないのかも。
- 2023/04/04(火) 16:36:22|
- 桜
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桜の咲く春になったら、
立合川の上流、碑文谷当たりを伸びる立合緑道の桜並木に行こうと思っていた。
天気は曇天 どうしたものかと思ったが、
雲の流れをネットで調べてみると、どうにか雨雲は掛からないようだった。

戸越をでて、武蔵小山を目指す。
アーケード近くの公園の桜は満開を迎えていた。
このところ天候は雨がちで、寒い。
開花はすこし遅れているようだった。

武蔵小山を超えると、目黒区に入る。
立合遊歩道の桜並木は さぞすごいだろうと期待も膨らむ。

羅刹橋にでる。
遊歩道の両側には桜並木が続く。
大井町の駅の近くにも似た感じの並木道があるが、僅か100mくらいだろう。
この遊歩道はかなり長い、最終点は碑文谷八幡まで続いている。

遊歩道の地下には、暗渠となった立合川が流れているのだろう。
桜は、そのとき植えられたとしたら、樹齢は50年以上、桜としては古木だろう。

降ってきたが、桜の大木の下まで、まだ雨粒は届かない。

更に進み碑文谷八幡近くまでくると、雨脚が早くなる。
天気が回復したら、来ることにして、帰宅した。
大変な散歩になってしまった。
- 2023/04/01(土) 22:06:33|
- 桜
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