目黒区碑文谷の清水池公園は、立合川源流の一つ。
公園の古木を撮ってみた。


カメラは1951年製のKyivⅡ、レンズはコシナ製S-Nokton 50mm F:1.5、
Retro80Sフィルムを使い、やや硬調な現像液(Ⅲd)を使用した。
写真表現は、どんなカメラを使うかによって変わる。
選んだレンズによっても変わる。
使うフィルムによっても変わる。
現像液によっても変わる。
でも、画像表現が、一番変わるのは、撮っている人間のはず・・・・
撮った時は傑作が撮れたとウキウキするが、
家に帰り、現像し、画像を確認すると、
これで良かったのか、といつも自問してしまう。
切り取りかた(フレーミング)が適切っだったか?
フィルムのトーンが合っていないなぁ・・・
軟調現像液がよかったか・・・
光が入るのを一呼吸待ったほうがよかったかと、
判断はふらつき、一番頼りない。
デジタル映像は0,1の数字でできている。
コンピューターの申し子、膨大な画像データ処理も高速に行える。
この頃はAIで小説を書くソフトも公開されているという。
デジタルカメラに組み込まれた画像生成プログラムにも、
既にAIは入っていて、綺麗な画像を生成するようプログラミングされているのだろう。
AI技術の進歩は激しい、
もうすぐネット上の人工頭脳(AI)と対話すると、AIがカメラの設定を行い、「あなたはボタンを押すだけ」にしてくれる。
あとはカメラにお任せ、その人が望む品質の写真を撮れるようになるだろう。
そうなれば、「これでよかったか」と自問することはなくなるのだろうなぁ。
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- 2023/02/28(火) 14:54:51|
- レンズの眼、カメラの眼
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KyivⅡ(ContaxⅡマウント)にS-Nokton 50mm F:1.5をつけて使っている。
KyivⅡのいいところは有効基線長が長いので、ピントを正確に合わせられること。
古いカメラ(1951年製)なので、時代の進歩から取り残され欠点もあるが、
基本的なカメラの機能は完備しているので、今でも現役で使える。
S-Noktonはコシナが2000年の初めごろ販売を始めたレンズ。
最新の技術が取り入れられ、品質の高いレンズになっている。
最新のレンズを古いカメラでも使えるのは、嬉しいことだと思う。
3時頃、家をでる。
東に向かい、三ツ木通りを歩いて行くと、
月が出ているのに気づく。

R2(赤)フィルターをつけ、空を暗く月をくっきりと出そうと思った。
区役所通りの交差点近く、妙光寺の樹の緑を入れてフレーミングした。
期待したほど樹の緑は白く写らなかったが、空の月はくっきりと写った。

区役所通りの交差点を右に回り、区役所の方向に歩く。
JRの車両基地の上に月が昇っていた。
広い空に、月の明るさが一層増しているように思えた。
ネガを拡大して、画像を確認。

50mmレンズの画角だと、ネガに記録できた月は米粒にも満たないが、
レンズの解像度のおかげで、月面の文様も確認できている。
拡大画像を見ていると、月以外に小さく飛行機も写っていることに気づく。

地平線近く、雲と雲の間に小さく写っていた。
羽田を出発した飛行機だろう。
ネガのほかのカットも調べてみたら、
飛行機を捉えている別の写真もあった。

飛行機は意識の外、飛んでいるとは思ってもみなかった。

レンズは、しっかりと、それを記録していた。
勿論、デジタルカメラの解像度は高い。
約1300万画素など、入門機レベル、あるいはそれ以下だろう。
悲しいかな、35mmフィルムでは1300万画素は限界に近い。
特殊な低感度フィルムを使えば、2000万画素くらいはだせるかなぁとは思うが、
対応できるレンズも限られるだろう。
S-Nokton 50mm F:1.5、かなり高性能なレンズという評価を受けると思う。
デジタル時代入っても、あえてフィルム用のレンズを作ったコシナ社の英断に感謝、感謝。
- 2023/02/27(月) 22:19:55|
- レンズの眼、カメラの眼
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人は、美しくだまされたいのだろう・・・・その人が見たいように脳は見えてしまう。
それがなかったら、夢を語る広告写真は成立しないし、
Fake news(プロパガンダ)に心を動かすこともない。

川面を水鳥が右に泳いでいく・・・
それを見て、ちょっと変だと、見た瞬間感じた人は鋭い。
見た人をだます仕掛けが入っている。
もしトリミングし画像を整えていたら・・・・だまされる人は多いだろうなぁ。

ニコンマウント用のレンズを、コンタックスマウントのカメラで使っている。
なんの細工も必要ない。
マウントの互換性はあると思う。
レンジファインダーの最短撮影距離 約0.9mから無限遠までピントは合ている。

枝にピントを合わせた。距離は10mくらいだろう。
建物までは20m、f:4なら被写界深度の中にはいるが、f:2では少し外れる。
でも 像の崩れが少ないので、f:2でも解像感は出ている。

昭和の記憶のような被写体だなぁと思った。
リアカーをつけた自転車が止まっていた。
ペダルに焦点を合わせ 撮影。
被写界深度を外れても、像の崩れ方(ボケ方)は綺麗で、解像感は残る。
S-Nokton、確かにいいレンズだと思う。
だますのは、常に人間の欲望、レンズに責任があるわけでもない。
使ってみて、今のところ、ピントが合わないという経験はしていない。
「ピントは合わない」とするネットの記事は、一体何なんだろう?
- 2023/02/26(日) 09:46:17|
- 品川宿
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2月3日、林試の森を散歩すると、河津桜の開花が始まっていた。
2月20日 そろそろかな、と思い、林試の森を散歩する。

まだ 蕾の樹もあったが、陽のあたる所の桜は、満開を迎えていた。

スマホで撮影する人は、花に近づき、1,2カット撮ると、それで満足なのか、樹から離れてしまう。
本格的な、デジタルカメラを持っている人は、
「量のない質はない」と言わんばかりに、樹から離れなれず、
ベストショットを撮ろうと熱心に河津桜を撮っていた。
使うカメラにより撮影スタイルも変わってくる。
赤みを帯びた河津桜の花を、白黒写真では表現できない。
逆光を利用し、白く輝く桜をバックにし、子供の姿をスナップした。

後ろに大人が立っていることは気がついていたが、
暗い服装と枝の影が地面に落ち、バックの桜の輝きが、
子供の姿を浮き出させるはず、それがいいだろうと思い、シャッターを切った。
縦800ピクセルに縮小したが、像の崩れはなく、子供の顔も、後ろに立つ大人の顔も識別できてしまった。
本来ボツ画像だが・・・等倍に拡大して、びっくり。
首からぶら下げているカメラは、ハッセルブラッド。(おそらく)
手にはブローニーフィルムを持っていた。
ハッセルブラッドは 昔のアマチュアカメラマンなら一度は使ってみたい憧れの機種。
プロが使うカメラだった。
いまでも、ハッセルを使う人がいるのか・・・フィルムで遊ぶ人がいると思うと、少し嬉しい。(もしかしたらプロかも。)
よく見ると、視線は小生の方向、訝しげな表情だった。
年齢は40台だろう。かろうじてフィルム式一眼レフ時代を知った世代。
その前の時代に流行ったレンジファインダーカメラには、触らなかったと思う。
あの老人の使うカメラ、何だろう・・・と思ったようだ。
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逆光で、河津桜を狙う。

すこしずつ後退し、シャッターを切る。


これで今年の林試の森の桜撮影は終了した。
この河津桜が咲く頃になると・・・池上梅園の梅もまた満開になっているはず。
そして、中央公園の白木蓮の蕾も膨らみ、すぐに開花する。
慌ただしい春が、また今年も巡ってくる。
撮ることになるのかなぁ。
- 2023/02/24(金) 17:52:25|
- 桜
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1970年代は、一眼レフカメラが、しのぎを削る競争の時代、
憧れの一眼レフを持つことがカメラ愛好家のステータス。
一眼レフカメラは高級機というイメージが先行していたのか・・・
価格を安く抑え 求めやすさを武器にしたメーカーが、どんどん撤退していった。
ペトリはNikon Fの三分の一ほどの価格で、ペトリV6を発売する。
機構的にもユニークだと思われたが、
「安かろう、悪かろうだろう、」そんなカメラで撮っていたら低く見られる・・・・
市場の反応は今一だった。
ミランダにセンソレックスという一眼レフカメラがあり、魅力的だったが
これも撤退し、今はない。
価格的には、Nikon Fよりずっと安価、これにしようかと一時迷った。
メカがユニーク、標準レンズにソリゴールレンズがついていたと思う。
AF-35カメラに続き、コシナは80年初め頃、一眼レフカメラも作ったが、
当然ながら、余り話題にならなかった。
ニコン、キャノン、アサヒペンタックス、オリンパス、ミノルタなどが残り、日本は、世界のカメラ産業の中心になる。
時代はそろそろデジタルカメラに移り始めたころ、
突如?、コシナは、フィルム用、レンジファインダーカメラ Bessaシリーズを作り始める。
Bessaカメラはドイツのフォクトレンダー社のつくったカメラ名、
古い歴史のある光学機器メーカーだが、
その商標権をコシナがどのように収得したか・・・よく分らない。
YouTubeを見ていると、外国の写真愛好家、プロの写真家も 戸惑ったようで、
同じ名前だが、今発売されているレンズは、日本製だと一言注意していた。
でも「フォクトレンダ-」の名前は、インパクトがあり、「いいレンズだ」という期待感を醸す。
上手い戦略だろう。
Nikon SPのサブカメラが欲しかった小生は、
BessaR2S(ニコンマウント)がでたとき、購入している。
2003年のことだったと思う。

しかし、手にした瞬間、距離計の基線長が短いことに気づく。
広角レンズで使うカメラだとおもった。
望遠系のレンズは余り使わないので、これでもいいだろうと思った。
今、使っているカメラは、主にこの三機種。
BessaR2Sは、Skopar 35mm F:2.5レンズ専用で使用している。
レンズ交換して使うのは、ニコンSPかKyivⅡが多くなっている。
Nikon SPにツアイスのSonnar T 50mm F:1.5,
KyivⅡにコシナ製S-Nokton 50mm F:1.5を つけ、この正月から使用している。
距離計の基線長は、ネットやカタログなど探すが、記載されたものが見つからないので、
物差しで長さを測った。1mm程度の誤差はあると思う。
ファインダー倍率は、BessaR2Sは0.7倍(カタログに記載)、
KyievⅡも0.7倍というネット記事があったので その値を使ったが、
目視で確認すると・・・BessaR2Sに似ているので、それでいいかとも思うが、
0.65倍だと、有効基線長は、Nikon SPとほぼ同じ長さになる。(0.65倍かも・・・・)
Nikon SPもKyivⅡも、最短距離でもピント合わせで迷うことないが(有効基線長、58mmと63mm)
BessaR2SでS-Nokton 50mm F:1.5をつけた場合(有効基線長、26mm)、近距離でのピント合わせは、難しいだろうなぁと思う。
50mmレンズをつけたら、f:2.8辺りがストレス無く使える限界ではないかなぁと思う。
(ということで、BessaR2Sは広角専用にしている。50mm以上の交換レンズをつけて撮影につかったことは無い)
今回も、Skopar 35mm F:2.5で撮影した。

逆光で撮影しているが、反射光がボーと霞むだけ、フレヤーやゴーストは出ていない。

キリッとしまった解像感のある写真になった。

暗い部分のディテール(解像感)も潰れていない。


レンズ構成は5群7枚、ダブルガウスに似たレンズ構成だろう。
空気と硝子の界面が10あるが、
コーティング技術の進歩で、コントラストの低下は完璧に抑えていると思う。
7枚のレンズ構成で、収差もすくなく抑えていると思う。
いいレンズだと思うが・・・天邪鬼なのか、優等生過ぎるレンズは・・・面白くない。
時々浮気して、Jupiter-12(35mm F:2.8)を使うが、残念ながら、BessaR2Sに内蔵した露光計にぶつかるようで、つけられない。
Nikon SPかKyivⅡで使用している。(露光計無し)このレンズも 古いレンズ構成だが、名レンズだろう。(4群6枚構成らしい)
直接光を入れないようフレーミングに注意すれば、画質は現在でも通用すると思う。
あと10年もしたら、スマホの動画の画質も大幅に改善される。
写真を撮るならスマホで充分という時代になるだろう。(すでにその傾向が見られる)
デジタルカメラ自体の需要は落ちて、小さなマーケットになっていくと思う。
その機を捉え、コシナはデジタルミラーレスカメラに参入する・・・・
そんな想像をしている。
- 2023/02/22(水) 18:20:20|
- レンズの眼、カメラの眼
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戦後 荒廃した日本に、雨後の竹の子のようにカメラメーカーができる。
二眼レフカメラは、作るのが簡単なので、
部品を調達し、レンズを調達すれば
4畳半程度の家の中でも組み立てることができたという。
二眼レフカメラの名を集めると、AからZまで カメラがあると言われた。(ジョークか?)
小生が最初に使ったカメラは「スタートカメラ」だった。
改めて見てみると、35mmフィルムを切って裏紙に巻き、
12撮り(?)の長さのスプールになっていた。
レンズはどうだったか 覚えていないが、それでも結構良く写った。
それらカメラメーカー向けにレンズを作るメーカーもあったと思う。
カメラ名に隠され、レンズメーカーの名が表に出てくることはなかった。(覚えていない)
昭和30年頃になると、4畳半メーカーも淘汰されていき、徐々に現在の形に近づく。
その頃になり ようやくカメラでなく、レンズ名を冠したレンズメーカー?が現れる。
最初に覚えたのはソリゴールレンズだった。
その後、チバノン、コミナー、コムラー、タムロン、トキナー、シグマなどのレンズ専門メーカーが現れてくるようになる。
(チバノンもコムラーも同じメーカーか?)
しかし、Cosina AF-35を購入するまでコシナ社を残念ながら知らなかった。(購入は1979年;昭和54年)
この会社も、戦後の勝ち組会社だったのだろう。
レンズ専門メーカーからカメラ製造まで手を伸ばそうとする。(おそらく、国内のカメラメーカーに、レンズを卸していなかったからできたのだろうと想像する。)
AF-35の後、すぐに一眼レフカメラを製造したが、
カメラメーカーは既にマーケットに根を下ろしていたので、
新規参入は、難しかったのでは。
しかし、2000年頃になると、ニッチな市場を選択し、再びレンジファインダーカメラ(BessaRシリーズ)を製造する。
Nikon SマウントのカメラBessaR2Sは成功したとは思えないが(小生は購入した)、ライカマウントのBessaR シリーズはある程度の台数は売れたのではないかと思う。
勿論、カメラと共に、ライカMマウント用レンズ(フォクトレンダー名)を多種製造し、販売した。
ライカファンは高価なカメラの使い手、画質に関し「一言もった人」は多い。
そこでの品質評価が重要。
おそらく レンズを売ることが目的で、カメラはその手段だったのだろう。
フォクトレンダー名をつけた効果もあり、コシナ製レンズの認知度は上がり、
コシナは優秀なレンズメーカーという評判を得た。
何本か、コシナの交換レンズを購入したが、その中で良かったのは、
Skopar 21mm F:4とNokton 50mm F:1.5の二つのレンズ。
Nikon Sマウントの Nikkor 21mmレンズは、中古市場では レアなレンズで、とても高価、手が出せない。
Nikkor 50mm F:1.4(ゾナータイプ)は、開放絞りでは使う気になれないレンズだった。
その代替えとしてNokton 50mm F:1.5は 非常に魅力的なレンズに思えた。
購入し 使ってみると やはりいいレンズ、開放絞りから優秀だった。
Cosina AF-35 Cosinon 38mm F:2.7で撮影した古木の写真と、(一つ前の記事に作例を載せている)
同じコシナ社のNokton 50mm F:1.5で撮影したものとを比べてみた。

段違いの解像感、コントラスト。

絞りのボケ具合もいい。
AF-35を欲しがるユーザー向けから、高級志向へ、
この20年で大きな生産技術の改革があったと思う。
安ければそれでいいという方向から、性能重視へ。
さもなくば 新興国、韓国、中国のメーカーに飲み込まれてしまうという危惧があるのだろうなぁ。
ブランド名「フォクトレンダー」も差別化には有効だろう。
デジタルになり、一時マーケットは拡大したが、
いまはPhone-Cameraに押され、カメラメーカーも先細りの傾向になっている。
デジタルカメラ(高級ミラーレス)は、ごく一部の愛好家が選ぶ ニッチな市場になっていくように思える。
レンズを必要とする分野は広い。
縁の下の力持ち産業だと思うが、
次の一手を どう進めるか、興味が湧く。
- 2023/02/20(月) 11:13:20|
- レンズの眼、カメラの眼
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二回目のテスト撮影では、AFもONにして撮影をした。
前回の撮影では、曇天の柔らかな、やや薄暗い光だったので、
現像は、エッジがでて精細感がでるやや硬調な現像液(Ⅲo)を使用した。
想定よりオーバー気味の肉のり良いネガになったが、
それが幸いしたのか、粒状性をあまり感じないネガになった。
今回は晴れの天気だったので、現像はやや軟調な(Ⅰd5)現像液を使用した。

大崎駅の構内は、光が柔らかなので(Ⅲo)で現像したいところ。
一カット毎に現像液を替えることはできないのが、フィルムを使う宿命。
自動露光は機能しているし、ピントもどうにか合っている。・・・・しかし全体にレンズの解像感は低い。
絞りが開放近くだったのだと思う。
露光は、f:4/60秒で切れるだろうか? 小生なら迷わずf2.8/60秒に設定する。

中心から右の解像感は高いが、

左は、解像度が低下する。
これレンズの癖だろうか?
サービス判程度でアルバムに貼るなら問題ないが、
4つ切りまで伸ばしたら、その差は歴然とするだろう。
家庭用なので、4つ切りは想定外、安くカメラを提供するのを優先させた結果だろう。

駅の構外を撮影。
自動焦点だが、シャッターを押すと、ゾーンマークは「山」を指していた。(フィルムを捲くと、指標は消える)
自動焦点もどうにか作動していた。

カメラが選んだ絞りとシャッター速度は不明だが、おそらくf:8/125秒近辺だと思う。
絞りが効いているので、解像感に不足は感じないが、
等倍まで拡大してチェックすると、高級カメラのレンズとかなり差がある。
大きく伸ばすことはできないと感じた。

真ん中の硝子玉にピントを来るよう、マークを合わせたのだが、
シャッタ-を押したら、距離指標は「三人」になっていた。
後方の樹の幹にピントが合った。
フレーミングに気を取られ、カメラを動かしてしまった結果かも。

近づいて撮影した幹(約1.5m)にピントが合っていた。

逆光でもフレアーやゴーストは出ていない。
このカメラの良いところだろう。
トーンの豊かな写真になった。

絞りが開いてしまう薄暗い撮影では、どこにピントが合っているのか不鮮明になる。
何に注目したらいいのか眼は画面を彷徨ってしまう。
全体の解像感は失われる。
高級なニコンやキャノン、ツアイスなどの高級なレンズでは、
ピントの合った部分は極めてシャープなので、
眼はピントの合った所へ向かう。
そこに主題となる被写体があれば、
写真にメリハリがでる。
この辺りが、高級なレンズの凄さ(違い)だと思う。

露光を考えなくてもいいのはストレスが少ない。
焦点も自動で合わせてくれるので、いいなと思ったら、すぐシャッターを押せるのは大きなメリット。

フレーミングに集中する。
それが写真の一番重要なところ。
絞り、シャッター速度、ピント合わせなどは単なる技能。
大したことではないはずだが、
しかし、だからこそ、自動化されてしまうと、大切な何かを失っているような気がしてならない。
昭和30年代、カメラの電子化はされていない。
まだ、レンジファインダーのカメラが主流だった。
当時の写真家(木村伊兵衛)は、ポケットにフィルム数本と、交換レンズを一本を入れ、
カメラをぶら下げ街にでてスナップ写真を撮る。
撮影が終わり、家(あるいは宿)に帰れば、丁寧にカメラを掃除したと言う。
自家薬籠中の物のごとく機械式カメラを操作し、フレーミングに集中し、最良の瞬間にシャッターを切る。
それが、スナップ写真、言うは簡単だが、実行するとなると難しい。
---------------
沖縄の市場を撮した写真では、
画面の下の部分に売り子のおばあさんが入っているのに気づかなかったという。
(ファインダーにパララックスがあり、ありがちのことだけど)
しかし、その人が入っていたことが、却って写真を引き締めることになり、傑作の一つとなって記憶に残っている。
フレーミングに集中し、将にその瞬間と思っ時にシャッターを切る。
そんな撮影スタイルの先に、傑作が待っているのだろう。
できれば その域に近づきたいものだ・・・・

現像液を(Ⅰd5)に替えた効果だろう。
黒潰も白飽和も感じない、トーンの豊かな写真になった。
エッジの効果も出て、解像感もでたネガになった。
単三乾電池2本でAF機能が動くようになる。
露光不足の時は、警告マークがファインダーに出た記憶があるが、
その機能は作動していない。
露光はすこしオーバー露光気味だが、機能している。

池田山公園の枯れた古木の幹を撮影してみた。
午後4時頃、太陽は公園内に差し込まない。空からの自然光で撮影。
幹までは1.5mくらいだろう。

暗いので、内蔵ストロボのスイッチをONにする。
しかし、30秒経っても、パイロットランプは付かない。
故障か?
もう少し待ち、シャッターを切ってみた。
ストロボは発光した。
パイロットランプなどの電子部品は劣化して作動しなくなったが、
自動露光、自動焦点(AF)、ストロボは まだ機能していた。
比較しようと、等倍まで拡大して、びっくり。
そして密かに笑ってしまった。

自然光で撮影したコマは、絞りがかなり開いていたのだろう、
木漏れ日がクラゲかキノコのような形になっていた。

ストロボを焚いたコマは、絞りが閉まり、木漏れ日が楕円形になっていた。
このレンズの絞りは、面白い形をしている。
絞りもかなり簡略化したものだろう。
そうは言っても総合的に評価すれば、バランス良くできたカメラ。
レンズメーカーが作ったカメラ、立派なものだと思う。
- 2023/02/18(土) 12:41:57|
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戦争が終わって、ホット一息入れた頃、
外資を稼ぐため、輸出用のカメラの生産が活発になる。
まだ日本は貧しかったが、
自由な世界になった開放感から、国内の需要も大きかった。
祖父は戦前、カメラを趣味にしていたので、
1953年頃だと思うがMamiya-6を購入する。
それが、家のカメラの始まり。
1960年の初めころ(戦前のGNPを既に越え、もはや戦後でないと言われていた。)、
2台目のカメラとして、キャノネットを手に入れ、それが次の家のカメラとなる。
カメラを使う上で一番難しいのが、適正露光を選ぶこと。
そのストレスがなくなったことが大きい。
シャッター速度優先の自動露光のカメラで、
45mm F:1.9の明るいレンズが付いていた。
レンズの解像度は高く極めてシャープ。(このレンズは今でも充分使えるレベルだと思う)
60年以上前のカメラだが、今も フィルムを入れれば、使える。
1970年頃になると、コンパクトカメラが出てくる。
母はハンドバックに入れてもいいと、Minolta Hi-Matic Fを手に入れた。

祖父はすでに他界、父もカメラを手にすることはなかったので、
母専用のカメラとなる。
38mm F:2.7のレンズが付いていた。
やや広角なレンズで、被写界深度は深い。
距離を3mあたりにしておけば、日中ならボケた写真にはならない。
良いレンズだと思うが、キャノネットほどではない。
でもキャビネ程度なら、充分綺麗な写真が撮れる。
しかし、暗いときは距離計でピントをあわせる必要がある。
また暗すぎても、シャッターは切れてしまうので(警告はでたか?はっきり覚えていない)薄いネガ作り失敗する。
1970年の後半になると、ジャスピンコニカの名で有名なベストセラーカメラ、コニカC35 AFが発売される。
子供の成長を記録するなら、子と一緒にいる母親が撮影の適任者。
自動露光、自動焦点、それに暗い所ではストロボ撮影もできる。
センセーショナルなカメラだった。
これを購入し、妻に渡そうとおもっていたら、
1979年だったと思うが、
突如、コシナというカメラメーカーが現れる。
初めて聞く名なので、新聞、雑誌等の記事を読み、
「コシナ」は外国輸出が主のレンズメーカーだと知った。
レンズメーカーが、カメラ本体を作る。しかもAFだ。
コニカとほぼ同じ仕様のカメラ、面白い(と応援する気持ちも有り)
新宿、角筈にあるという直営店へ出向き購入した。

1980年代 妻は機械音痴で、カメラを操作するのが余り好きではないが、
このカメラで我が子を撮影、傑作をものにしていた。
子供が大きくなったこと、
更に便利なズーム付きコンパクトカメラができたので、
いつしか使われなくなった。
単三乾電池2本で 使えるので、便利だったことは確か。
サービスサイズ程度なら、なんの問題も無く使えていた。
-------------------------------
棚を探すと、隅にCisona AF-35が置かれていた。
まだ使えるか、試してみた。
単三乾電池2本をいれ、バッテリーチェックボタンを押すと、ランプが赤く点灯した。
使える。
まず、オートフォーカスを外し、
ゾーンマークで焦点を合わせて使ってみた。
ゾーンマークの「一人」は1m、「二人」は2m、「三人」は4m、山のマークは無限遠だろう予想した。

暗いので、おそらく露光は、f:2.8/60秒、このカメラの測光範囲限界に近い。
ピントはゾーンマーク「三人」とした。合っていると思う。

ゾーンマーク「一人」にし、近づいて撮影。露光はおそらく(勘ですが)f:4/125秒が適正露光。
カメラ任せでも、自動露光はちゃんと機能していた。
センサーの劣化は少ないようだが、現像してみると、全体に少しオーバーだった。
カメラは、f:4/60秒、あるいはF:2.8/125秒を選んでいたのかも。

山のマークに合わせたが、全体に解像感がでない。ゾーンフォーカスを「三人」にしたほうが 良かったのか・・・これは不明。

「三人」に合わせ、撮影。問題ないとは思うけど、写真全体に精細な感じは出ていない。

でもこの程度の写真になるので、普通に使うなら問題ないカメラだろう。
このカメラで 白黒フィルムを使うのは初めて。
キャノン、ニコン、ツアイスの高級な(高額な)レンズに比べたら、
コントラスト、解像度、精細感は 落ちるのは当然。
しかし、写真で一番重要なのは、撮る人のカメラアイ。
カメラは道具に過ぎない。
移ろいゆく瞬間の一番最適な瞬間に、シャッターを切れるか否かは、撮影者による。
その点では、このカメラのほうが、シャッターチャンスに強い。
まして、四六時中一緒にいる子の姿を捉えるとしたら、このカメラを使う母親のほうが優れていると思う。
レンズは3群4枚の構成で、マルチコートが施されているようだ。
カラー向きのレンズだったのだろう。子供の成長を撮っていたが、色で駄目というコマはなかった気がする。
3群4枚の構成なので テッサータイプのレンズだと思うが、
シャッターはレンズのすぐ後ろにある。
レンズシャッターのカメラは、何台か見てきたが、
シャッターの後に絞りがあるのが普通と思っていた。
これは、シャッターの前に絞りが入っていた。
レンズメーカーの意地、他社とは違うぞという心意気かも。
でも、白黒フィルムで使うなら、Minolta Hi-Matic Fのほうが すこしいいかも。
つぎはAFをONにしてテスト撮影をする予定。
- 2023/02/16(木) 17:54:10|
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コンタックスマウントのKyivⅡカメラに、
コシナ製S-マウントの S-Noktonレンズをつけ、
Nikon SP に Sonnar T 50mmレンズをつけていた。
いずれかのカメラを持って、散歩に出ることが多い。

林試の森、入り口近くに 手袋が落ちていた。
手袋にピントを合わせ、絞り開放にして一カット撮影した。

ネガは、約1300万画素でPCに取り込んだ。
手袋までは 約1m(3フィートくらい)、ピントはきちんと合っていると思う。
数日後、再び林試の森を散歩。
手袋は、ポンプの上に載せられていた。

ピントは、ポンプの★のマークに合わせた。
距離は これも約1mだった。

ピントは合っていると思う。
被写界深度は狭いので、ピントをしっかり合わせなければ、狙った場所はピンボケになる。
しっかり作られたカメラの、ピント精度は高い。

Nikon SPは等倍ファインダー、
ContaxⅡ(KyivⅡ)はファインダー倍率0.7倍程度と小さいが、
基線長は長いので、ピントの精度はNikon SPと同等になる。
当時(50年以上前に話だが)、キャノンの最高機種、Canon Ⅳsbを使ったことがある。
フレーミングと距離計は別になっているが、距離計の倍率が変えられた。
135mmレンズ相当の倍率だったろうか、
このカメラの距離精度も高かった記憶がある。(F:1でもピントは合うのでは?)
丁寧に作られた高級機は、基本をシッカリ抑えた精密光学機器だったと思う。
電子部品は一切入っていないので、
修理すれば(ライカマウントのカメラを修理してくれる業者はまだ多く残っている。)
今でも使えると思う。
しかし、父あるいは祖父の残してくれた古い高級機を取りだして、
あるいは、中古品を購入し、新たにやってみようと思う人は希だろう。
それに、フィルムのほうも 供給が不安定になってきている。
新たにフィルムカメラを始めるのは、かなりハードルは高い。
Rollei Retro系のフィルムは、また、棚に戻ってきたが、
Fomapanのフィルム(100フィート缶)は、まだ戻っていない。
特に小生が使っている、Fomapan100は、この半年、棚から消えたまま。
冷蔵庫に保管してあるので、当面は このまま、「散歩にカメラ」はできるが、
段々と、心細くなってきた。
消え去るのみかなぁ。
- 2023/02/13(月) 18:09:21|
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ツアイスを手本に、軍用の光学機器を製造していた日本光学は、
敗戦により、民生用メーカーに転換しなければならなくなった。
ライカ用のレンズは、すでに国内メーカー(複数社)に供給していた。
カメラを作るとなると、ライカマウントでは、得意先と競合することになり、商売上問題になる。
それを避けるため眼につけたのが、コンタックスマウントのカメラ。
コンタックスマウントのカメラを作っているメーカーは、世界ではツアイスのみ。
しかも、敗戦により、西ドイツ側に逃れたツアイスは、まだカメラの生産が始まっていない。
そこに商機を見いだした日本光学は、コンタックスマウントのNikon Sシリーズのカメラを作る。
最初は、米国向けだったと思う。
米国には、当時、ライカだけでなく、ContaxⅡを使う報道関係の人も多くいた。
(歴史的に有名なノルマンディー上陸作戦の時、キャパが使用していたカメラはContaxⅡで、ライカではない。)
もし米国でNikon Sが売れなくとも、コンタックスマウントのレンズは売れる。
経営者なら、「マウント、フランジバック、ピッチ(回転)、はContaxⅡと同じで設計せよ」(完全互換)
という指示が出て当然だろう。
基準にした標準レンズの焦点距離が違うとか、ピッチ(回転角)が違うというのは、解せない話である。
「ニコンは独自のカメラを作った」と 思いたい人の幻想が生んだフェークではないだろうか?
KyivⅡ(ContaxⅡのクーロンカメラ:東ドイツ側にあったコンタックスⅡ製造工場を、ウクライナのキエフに移設して生産)
にコシナ社が製造したNikon S用のS-Nokton 50mm F:1.5レンズ(2004年に購入したレンズ)を装着し、
絞り開放で、写真を撮ってみた。

ピントは手前の葉の付いた枝に合わせる。距離は約1.5m

やや軟調な現像液を使用したため、コントラストが出なかったが、ピントは合っていると思う。

リュックを背負った人にピントを合わせた。距離は約7m。

やや軟調な現像液なので、トーンの幅は広い。
白飽和と黒潰は防げたが、コントラストは低下し、やや眠い感じのトーンになる。
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大井の仙台坂を下っていた時、撮影。
建物のエッジ部(禁煙マーク近く)にピントを合わせる。
距離は約15mだった。


コントラストを上げ、解像感をだそうと、やや硬調な現像液の(Ⅲo)を使用して現像した。
黒潰はしていないが、粒状感が出てしまった。(Ⅲz)で現像すべきだったかも。

この被写体だと、粒状感は問題なくなる。

白黒のコントラストが効いている。
(Ⅲo)現像液向きの被写体だったと思う。
ピントは、つり広告のエッジ部分に合わせた。
距離はレンジファインダーカメラの限界0.9mで撮影した。
ピントは合っていると思う。
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フィルムをFomapan100からRetro80Sに交換した。
Fomapan100より、ハーフトーンから明るい部分で、コントラストが強く出る。
そのためやや軟調な現像液(Ⅰd1)で現像した。

全体としてはFomapan100をやや硬調な現像液で処理したのに似たトーンなる。
暗い部分は、Fomapan100より粘ってくれるが、それも写真としては善し悪し。
Fomapan100のほうがすっきりとまとまり、綺麗な写真になる場合がある。

レンガの壁の直線にピントを合わせた。距離は約5m。
(Ⅰd1)現像液なので、精細感は出るが、副作用として粒状性の出る方向に働く。

建物まで約20m。

すべて開放絞りf:1.5で撮影したが、画質的に問題ない。
これなら、問題なく使える。
S-Nokton 50mm F:1.5良いレンズだと思うが・・・・古いレンジファインダー用レンズ、時代は先を行く。
コーティング技術、コンピューターの驚異的な発展に支えられた計算技術、
多種多様な光学硝子の供給、研磨技術の発展など、レンズの開発は容易になっている。
この程度のレンズなら・・・新興国でも作れるようになると思う。(嘗てのコシナが、先行するカメラメーカーのレンズ技術をキャッチアップしたように)
中国辺りから、安くて高性能なレンズが でてくるのではないか?
「ブランド名」が差別化だとしたら、日本では通じても、世界ではどうだろう?
将来は暗いような気がする。(といいながら、小生このメーカーの開発精神、高く評価している。)
- 2023/02/11(土) 12:23:14|
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日常の見慣れた光景のなかから、
アッと思わせる切り取り方をした写真を撮る方がいる。
できそうだと思い、やってはみるが真似にもならない。
似て非なるものしか撮れない。
それがカメラの難しいところであり、面白いところだろう。


写真の訴える力は
シュールリアリズム運動を肌で感じ取っていた古い写真愛好家のほうが、
ずっと高いと感じている。
光学機器は長足の進歩を遂げたが、
それを必要とするのは科学技術分野の専門家だと思う。
機器が便利になった分、
写真愛好家の「カメラの眼」は甘やかされて、
センスを失っているのかもしれない。
- 2023/02/09(木) 22:44:21|
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勝島運河まで散歩しようと、旧仙台坂を下っていく。

海晏寺を覗くと、白梅が咲いていた。
梅は枝振りというが、

花をアップで撮ろうと、距離計の限界まで近づいて一枚撮ってみた。
近づくほど、ピンボケかどうか、わかりやすくなる。
インターネットがない時代なら、
本や雑誌、そして技術系の文献を図書館で探し調べ、
実際に試して事実の確認をするが、
インターネットの時代になると、事実の確認がおろそかになり、
ネットの噂話が、そのまま事実のように語られるようになる。
ニコンSPのカメラでは、コンタックスのレンズとピントが異なり、
使用しない方がいいと助言する人ばかりが眼に付く。
(フランジバックは同じという人は多い、
基準にした50mmレンズの焦点距離が違うという人、
ヘリコイドのピッチが違うという人もいた。
一見、科学的論拠で語っているように見えるので、信用する人も多いようだ。
しかし、それを裏付けるデータの開示はない。
これでは恣意的で、信用できない。眉唾の話だろう。)
次の日、林試の森を散歩。

まだ春にはならない。

しかし、河津桜が咲き初めていた。
立春前というのに、早いもの。
河津桜が満開の頃になると、中央公園の白木蓮の花が咲き、それが目黒川の桜の開花へと繋がる。
老年になって、季節の移り変わりが早くなったと、感じている。
急がねば・・・・
これも、約1mまで近づきシャッターを切った。
ピントは合っていると思う。
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レンズのことなど、違っても 大きな間違いを生まないが、
ネット社会になり、確かめもしない情報を発信する人が増えている。
Fakeニュースはキャッチーだし、何度となく繰り返され拡散すると、そうだと信じてしまう。
ウクライナとロシアの戦争をみていると、
Fakeニュースがネットを飛び交っている。
確かめようとするが・・・どうしても応援する方の情報に、アクセスすることが増える。(ロシア語は分らない)
すると、AIが履歴でも取っているのだろう、
関連した記事ばかりが、ヒットし提示されるようになる。
これがFakeニュースなら、何度となく繰り返されると、これが事実だと誤認しやすくなる。
沢山の情報に接することが、人間の心を豊かにするものに繋がっていない。
情報に溺れてしまい、知性の低下が起きているような気がする。
AIに支えられた検索エンジンに問題があるなぁと思っている。
- 2023/02/07(火) 21:46:56|
- 樹、草、花
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月が出ていた。
歩き回り、ベストな撮影ポイントをさがす。

レンズにR2フィルターをつける。
遠くの方から、シュプレヒコールが伝わってきた。
「あそこだ」と思った。
声の方向に進む。




説明は必要ないだろうが・・・
この国の混乱・独立には、日本の過去が深く関わっている。
- 2023/02/04(土) 09:05:01|
- ある場所、ある瞬間
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散歩にカメラを持ちだしたのは、2007年から。
それから「散歩にカメラ」のフィルムに通し番号をつける。
現在その番号は1552に達した。
16年間で1552本のフィルムを使ったことになる。
よくも撮ったなぁと、思う。
「散歩にカメラ」を始めた頃は、スナップで人の姿を撮るカットが多かった。
顔がはっきり写てしまい、現在では憚れるフレーミングになっていた。
でも、秒撮に近い撮影スタイルなので、撮られたことを気づかなかったと思う。
表情は自然体、周囲の光景に溶け込んでいる。

逆光の道のトーンを撮ろうと、しゃがんでフレーミングしていたら、
小さな女の子が、近づいてきた。
遠くにいるお母さんも、微笑んでいたので、撮影OKと判断し、
ピントを合わせた場所に来た瞬間、シャッターを切った。
いまは、こんな写真撮れないだろうなぁと思う。
16年前の写真、2歳児だとしたら、今は18歳、お母さん似の素敵な人になっていると思う。
ことしの正月、近くの小さな公園へいったら、女の子が滑り台で遊んでいた。
父親とおぼしき人がベンチに座り、スマホを操作していた。

ちょっと後ろめたいが、その瞬間、透明人間になって撮影。

小さい女の子、
この小さな公園に溶け込んでいると思う。
あと16年経ったら・・・・、
小生はこの世にはいないだろうが、
この子も18歳くらいの素敵な娘さんになっているのだろう。
(スナップ)写真の撮り手は透明人間が基本だと思っている。
~~を撮らせたら、私は上手い、経験を積んでいる。ポージングはこうした方がいいと
写真の撮り手がおもてにでてくると、自然な(素)光景が破壊されてしまう。
写真のクオリティは高いのだろうが、
ありきたりで金太郎飴のような写真だと・・・感じてしまう。
スナップで写真を撮るなら、
被写体には触れない、被写体に影響を与えないが基本。
撮り手は出しゃばるな、透明人間であるべきと思っている。
偶然だが、レンズは16年前に使用したコシナ製Nokton 50mm F:1.5を使用。
カメラがNikon SPから KyivⅡに換わり、フィルムはTri-Xから、Fomapan100になった。
- 2023/02/01(水) 12:31:33|
- 人物 ポートレート 踊り
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